姉はうつくしく兄はたくましく妹はきひんあふれ弟ははくしきで母はやさしく父はつよく神はざんこくで | ナノ
生まれた頃から、身近な他人と比べられる環境にあった。
大きくなったら立派な子になるんだぞと、親の嬉しそうな声を今でも覚えている。
でも、俺は出来損ないだった。
他人に比べられるたびに向けられるあの眼差しは、今でも僕の心を抉る。
「スターフェイズさん」
「ん? ああ、もう終わったのか。ありがとう」
「他にやることは」
「ああ、いいよ。君はもう休んで」
「…はい、わかりました」
秘密結社ライブラ。異質とも言えるこの街で、僕はここの事務を担っている。
縁あってここで働かせてもらっているが、僕はしがないただの事務員だ。戦えるみんなとは違う。
最近入ってきたウォッチのように、特別な能力があるわけでもない。ひたすら、与えられた仕事をするだけ。
仕事をする以外に、僕が生きる理由なんてない。だって、働かないと生きることもままならないのだから。
休めと言われたなら、それも僕にとっての仕事になる。落ち着かないな、と自分でも思うけれど。
「ほら、そんな腹黒男ほっといてこっちに来なさいよ〜!」
「…はあ、どうも」
「素直な子は好きよー。ドーナツは?」
「食欲は別に」
「まーたそんなこと言って!だから細いのよっ」
「んっ、ぐ」
K・Kに手招きされて座った先で、半分ぐらいに割られたドーナツを口に突っ込まれて息が詰まった。
喉の奥に到達しなかったのが、不幸中の幸いとでも言うべきか。
嘘は言っていないが、僕の口に入ってしまった以上は仕方がない。そのままドーナツを掴み、咀嚼する。
目の前のK・Kと言えば食べることもせず、僕を見て笑うだけで。
おいしいかどうか、と聞かれたら僕は迷わず甘いと答えるだろう。口の中の水分が急激に奪われる感覚だ。腹にたまりそうだけど。
「大体働きすぎなのよ。少しは休みなさい」
「…僕ができることは、これしか、ないから」
「あら、いてくれるだけでいいのよ?」
「そうですよ、ザップさんとは正反対で善人すぎるんですから」
「おい、陰毛頭てめえなんか言ったか? あ?」
ウォッチが口を開いた直後、ソファで眠っていたのかと思うほど動きを見せなかったレンフロがむくりと起き上がった。
ウォッチの言うことを間に受けたのだろう。眠っていたとは思えないほど、その瞳ははっきりしている。実際、そこまで眠っていなかったのかもしれないけれど。
大きな欠伸をしながらその銀髪を掻いたかと思うと、酔っ払いのような足取りで僕の隣に座り、残りのドーナツをすべて口に運んだ。
一気に口に入れたためか、その口はリスのように膨らんでいる。
それをじっと見つめていると、大きく喉を鳴らして飲み込んだレンフロがゲップを出した。
「きったねえ!」と騒ぐウォッチを気にしないレンフロの顔に、ティッシュを当てて軽く擦る。食べカスが付いていたのだ。確かにこれは汚い。
取れたよ、という意味で見れば「そういうことじゃないのに…」と息を吐いたウォッチに、首を傾げたのは僕だった。
「お前、危なっかしいくせに面倒見いいよな」
「そう? レンフロが案外面倒見いいと思うけど」
「あのなあ、変な勘違いしてんじゃねえよ。俺は命令されたら従うしかねえの」
「じゃあ、女遊びやめろって言われたらやめるの?」
「…それとこれとは別問題だ」
レンフロの口元を拭いたティッシュを僕の手から奪い取ると、丸めてゴミ箱に投げ入れた。ちゃんと入るところはさすがだ。
「使い終わったゴムでも入れられるぜ」という言葉は、この際聞かなかったことにする。
まあ、レンフロの女遊びがひどいからといって僕に実害が及ぶわけでもないし、刺されるのは物騒だな、とは思うけれど。
レンフロの顔をじっと見つめる僕に何を思ったのか、そんなことより、とレンフロは僕の顔を指差す。
「お前、それやめろよ。その呼び方」
「どうして? レンフロはレンフロじゃない」
「気色悪いったらありゃしねえよ。そうやって呼ぶの、お前だけだぞ」
「…それは、仕事?」
「…お前のクソ真面目、嫌いじゃねえけど理解はできねえわ」
そう言ってわしゃわしゃと僕の髪型を崩したレンフロは、今度こそ部屋を出て行った。
撫でられた頭を押さえながら、レンフロを怒らせてしまっただろうか、と考えてみる。
苦笑したウォッチは僕の考えなどお見通しのようで。それは神々の義眼の能力なのか、それとも僕がわかりやすいだけなのか。
「まあ、ぶっちゃけ思いますけどね…僕もいまだにウォッチですし」
「よくない?」
「ああ、いや、そんなことはないんですけど」
「バッカねー、名前で呼ばれたほうが嬉しいに決まってるじゃない」
「…そうなの?」
「そうそう。クラっちも呼んであげなさいよ、絶対喜ぶから」
K・Kに肩を叩かれて痛いと言えないほど、彼女は僕を見て笑っていた。それはウォッチも同様に。
僕自身、別に意固地になって名前を呼ばないわけではないのだ。ただ、気付いたらこっちで呼んでいた。
誰も何も言わないしそれでいいんだと思っていたから。でも、ウォッチの表情でそれは間違いだったのだとはっきりわかる。
僕は、このアットホームな雰囲気が少し苦手だ。家族を思い出すから。
家族に嫌われていたわけじゃない。僕も、家族のことが好きだったのだと思う。
あなたは何もできなくていいの。何かあったら守ってやる。腐るほど聞いた言葉。
でも、そのたびに向けられる比べられる視線が嫌だった。あいつはひとりでは何もできないんだと、言われている気がして。
名前を呼ぶことで、その家族を思い出してしまうんじゃないかと意識していたのかもしれない。
「それが仕事なら、僕は呼ぶけど」
「仕事とか命令とか、好きよねー、そういうの。趣味はないの?」
「仕事…が、趣味に、入るなら」
「ダメよ、まだ若いんだからもっと遊ばないと〜」
「僕は、仕事してるほうが楽しいから」
くるっと振り返り、スターフェイズさんのデスクを見る。
大きなその身体で隠しきれない大量の書類は、とてもじゃないけれど今日中にスターフェイズさんひとりで片付けられる量ではない。
別に今日中に片付けなければいけないということはないし、そういう命令も受けていない。
でも、いつもより目の下の隈が濃いスターフェイズさんを見ると、僕の身体は動いてしまうのだ。
「スターフェイズさん、手伝います」
「ん? …ああ、君に手伝わせるとK・Kが怖いんだけどなあ。もう睨んでるけど」
「手伝わせてください」
「君がそこまで言うなら、お願いしてもいいかな? コーヒー淹れようか」
「いえ、結構です。飲みかけがあるので」
その書類の半分以上を手に取り、与えられた自分のデスクへと足を進める。
いつでも仕事が始められるようにと電源をオンのまま畳んでいたパソコンを開いて、マグカップに残る黒い液体を一口啜った。
とっくに冷めてしまっているそれは香りが落ちてしまっているが、アイスコーヒーだと思えばいい。
キーボードを叩く作業に集中すれば、視界の端でスターフェイズさんがウォッチたちのもとに行くのが見えた。
K・Kがなにか言ってるのが聞こえたけど、またスターフェイズさんに敵意を剥き出しにしているんだろうか。
「あんなに仕事やらせるなんてほんと鬼。腹黒鬼男」
「変な言い方をしないでくれるかな…しょうがないだろう、あそこまで言われちゃあ」
「スティーブンさんって、実は甘いですよね」
「ううん、なんだかほっとけないんだよなあ」
「あ、それは僕も思います。末っ子なんですかね?」
「さあ。直接聞くのが早いと思うが、今は無理だな」
ここでの僕をよく知るいちばんの人と言っても過言ではないスターフェイズさんは、仕事が終わるまでデスクから離れない僕をよく知っている。
よくできた弟と妹がいるよ。決して口には出さず、心の中で返事をする。
家族の中で、誰かを嫌いになった人はいなかった。僕も含めて、他人の目がなんだと思えた時も。
それでも、少し離れたところから僕を手招きする妹たちを見て思ったのだ。
ああ、この家族は僕が姿を消して、はじめて完成する。
嫌だったわけじゃない。愛されていた。それでも、僕は耐えられなかった。
バイトで貯めた資金で、何も言わず家族の前から姿を消してこの街へやって来た。
行くあてもない僕に優しく手を差し伸べてくれた、ラインヘルツさんは神のように見えた。
「クラウス・V・ラインヘルツだ。君の名前は?」
外見は少し怖いと感じるほどなのに、その優しい声に惹かれて、誘われるままに気付いたら名を名乗っていた。
いい名前だ、と言葉をこぼし握られた手の感触は今でも忘れられない。
この街に来て、僕さえいなければ完成するはずだった完璧な家族を忘れられると思っていた。
そんな家族を思い出すどころかそれを上回るほど、完璧に洗練された神だった。
きっとこの人は、ひどく優しく、僕にとって残酷だ。
でも、それがなんだというのか。神が残酷なことなど、僕があの家族の中に入れられてしまった時からわかりきっていたことだ。
だから僕は、迷わずその手を取った。願わくば、僕を傷付けてくれるのはこの人だけでありますように、と。
「おーい、まだ残るのか?」
「あ、お先にどうぞ」
「ほどほどにしとけよ? またK・Kに嫌味を言われる」
「その時は僕が謝ります」
「そういうことじゃないんだけどな…ま、いいや。お疲れ」
そうして、すっかり陽も落ちて暗くなった時間。スターフェイズさんも帰ってしまった今、残ったのは僕だけになった。
これはよくあることで、スターフェイズさんにも呆れられているがどうしようもない。僕の性分なのだ。
それをわかっているから、無理矢理帰らせたりしないスターフェイズさんに甘えてしまっている部分もあるのだろうけれど。
去り際に優しく叩かれた頭に触れて、ふと思い返してみる。
レンフロといい、みんな僕の頭を触るのはなにか意味が込められているのだろうか。置きやすい位置にあるとか?
ウォッチとあまり身長は変わらないけれど、ウォッチの頭にはいつもソニックがいるからかもしれない。
「まあ、いいか。仕事しよう」
考えても答えが出ないことは、もちろん仕事が捗るわけもなければ時間を奪うだけだ。
急を要する仕事でもないけれど、息をしなければ人間は死んでしまう。僕にとっての仕事は、これと同じこと。
室内の電気を消して、デスクの電気だけを頼りに作業をする。目に悪いと怒られてしまいそうだけれど、パソコンの光もある。叱る人もいなくなった今、僕がここでどうしようと自由なのだから。
仕事は好きだ。働けば働いたぶん、それが僕の糧となってくれる。
お酒は好きじゃない。煙草もやらない。食事にさほど興味がない。
でもこれもすべて仕事だと言われてしまえば、どんな屁理屈でも僕は全うしてみせる。
お金が好きなんじゃない。あって困らないことはないけれど、ただの事務員にしては充分すぎるほどだった。
それが嫌だった。まるで、施しを受けているようで。
「もっと…もっと、がんばらないと」
みんなと違って命を懸けているわけでもない。怪我でぼろぼろになったみんなを泣きながら迎え入れる性格でもない。
きっとこのライブラは、僕がいなくても進行する。世界は、そういう風にできている。
それでも、もう何もできないなんていやだから。
一度逃げてしまった僕を、把握した上で置いてくれる優しい人がいるから。
何もできない僕は、ここで頑張るしか、ないのだから。
「結局あいつってさ、ひとりじゃなんにもできないんじゃねえの?」
「守ってやる、ってさ。あいつ、男だろ?」
「つーか、妹と弟にも勝てないってどうなんだろ」
暗闇でひとりになると消えてくれない言葉は、今でも僕の脳に響く。
うるさい。うるさい。うるさい。僕だって、好きでこうなったわけじゃない!
家族の笑顔が、黒く太いもので塗り潰される。なんで笑ってるの。笑わないで。僕を見ないで。
そして、とどめにいつも突き刺さる、深いそれ。
「あいつだけ、違う親の子供だったりしてな!」
それを合図に高く響く笑い声に、耳を塞いで座り込む。
いやだ、いやだ、やめて。どんなに叫んでも、心の中の彼らは僕を笑うことをやめない。
その人数はだんだん増えていって、中心では家族も笑っている。僕を見て。その声はどんどん高く、大きく、僕を圧す。
「い…やだ、やだ…!」
まだ生きていたい。僕は死にたくない。
もっと、もっと仕事をしないと。この声が消えるまで。いくらでも。
何度彼らがやって来ても、僕はこうすることでしか生きられない。
早まる鼓動は落ち着かない、汗で張り付く服が気持ち悪い。それでも僕は、仕事をしなければ。
俯いた顔を上げたのは、消したはずの電気が点いていたから。
ゆっくり顔を上げると、そこにはラインヘルツさんが立っていた。
「ラインヘルツ、さん」
「君は、」
「すみません、すぐ、します、しごと」
「もういい」
「どうして…?」
腕を掴まれて、ふるふると首を横に振られる。その表情は見て取れない。拒否とも取れるその言葉。
身体が震える。呼吸が苦しい。視界が滲む。何を言っているのかわからない。
ありったけの力を振り絞って、ラインヘルツさんから離れる。笑うようにがくがく震えて、膝から崩れ落ちた。
聞きたくない。見たくない。あなたから紡がれる言葉なんて!
耳を塞いでも、残酷な神は僕を許してはくれなかった。
「大丈夫だ、私は君を傷付けたりしない」
「や…だ、なんでも、なんでも、しますから」
「落ち着いて。私の声が、聞こえるかね」
「しご、しごと、あ、」
「…私の目を、見るんだ。失礼する」
目からこぼれた熱いものは僕の頬を汚す前に、温かく大きなその手によって拭われた。
じっと、その瞳が僕を見ている。力強いその視線から逃げることができない。こわい。
少しクリアになった視界の先で、僕の手を握ったまま、ふっとラインヘルツさんが近付く。
声を上げる暇もないまま、僕とラインヘルツさんの額がくっつく音がした。
「怖がることはない。私はここにいる」
「あ、」
「ここに、君を誰かと比べる者など存在しない」
「っ、」
「君だけがいい。君しか、いらない」
どうしてだろう。なんで、残酷なはずのこの人は僕が欲しい言葉をくれる?
わからない。だってあなたは僕にとって、ひどいほど優しい人だったはずなのに。
そしてその優しさは、僕を傷付ける。そうすることで僕の世界の均衡は、守られていた。
だから、そんなこと言わないで。優しくしないで。どうしたらいいか、わからなくなってしまう。
目を開けていたくなくて、自分から暗闇の中に飛び込む。これ以上、なにも知りたくなかった。
そんな僕の考えを吹き飛ばした、引き寄せられる感覚。抱き締められているのだと、近くなったその鼓動で意識する。
「君は、とても頑張っている。私は知っている」
頑張っていない。命を懸けて戦うあなたたちからすれば、僕なんて全然頑張れていない。
「君ほどの頑張り屋さんを、私は知らない」
うそ。うそだ。もっと頑張らないと、僕はここにいる理由も、資格もないのに。
「おかえりと言ってくれる君がいるから、私は何度でも帰ることができる」
ちがう。僕は関係ない。あなたは僕と違ってなくてはならない人だから、それで、
「君のそばにいると、誓おう。私が終わる、その時まで。離しはしない」
目を開けた瞬間、限界を迎えた涙がぼろりと零れる。ラインヘルツさんは、まだ僕を離してくれない。
その大きな手を僕の背中に置いて、優しいリズムを奏でる。
ラインヘルツさんの胸の中で震えることしかできない僕は、ひどく無力で。
いやだ。もう聞きたくない。これ以上優しくされてしまったら、もう戻れない。
言葉が出ない。唇が震える。待ちわびるように、神が与える、残酷な宣誓の瞬間を。
「君が涙を見せるのは、私の前だけであって欲しい」
「っあ、」
「もっと、君を見せてくれ。私しか知らない、私だけの君を」
「あ、ああ…っ…!」
「大丈夫だ。ここには君と、私しかいない。だから、」
安心して、思う存分泣きたまえ。
今まででいちばん優しい声で囁かれたそれに、堰を切ったように嗚咽がこぼれる。
情けない声が出るのを止められない。口を塞ごうとした手ごと掴まえられて、薬指の上、落とされるくちづけ。
僕の汚い泣き声を受け止めてくれる、大きくて、温かなその存在が僕には毒だ。
「君が眠れるまで、そばにいる。飽きるまで愛を囁こう」
「っぐ、あ、は…っ」
「君を他の誰にも渡さないためなら、私はどんなことだってする」
「っ…!」
「…私は、浅ましい男なのだよ。申し訳ないとは思うが、」
私だけしか知らない君を、愛しくて仕方がないと思っているのだから。
…ああ、やっぱり、優しいだけの人じゃない。ひどく、残酷なのは知っていたのに。
ただでさえ弱い僕を、あなたなしではいられぬように変えたこの人を、残酷以外になんと呼ぶのか。
「私のそばで、ずっと共に、生きてはくれないだろうか?」
答えなんてわかっているくせに、こんなにひどいことを言うあなたは、僕にとって神以外有り得ないの。
fin.