永遠を刻み付ける方法 | ナノ

 思い出す暇もないぐらいに、知っていた。わかっていた。
 あなたの視線が、俺や他の人に向けるものと、あの人へのものが明らかに違うことに。



「お前、相変わらずほっそいな! もっと食えよ!」
「わっ、急に触んないでよ! ていうか木兎と一緒にしないで」
「? 同じ男じゃん」
「いや、そういうことじゃなくてね」

 首を傾げる木兎さんに笑って、もういいよと言うあなた。これはまだ、俺や他の人にも向けられる表情だ。
 教えてくれよー、とあなたを引っ張る木兎さんに笑うあなた。ちょっと困ったけど嬉しそうなこの表情は、明らかに他とは違うもののたまに俺にも向けられる。


「あっ、赤葦ー! 意味わかるか?」
「木兎さんがちゃんと説明できるなら。で、何の話ですか?」
「赤葦くんまで巻き込んで…ごめんね?」
「いえ、大丈夫です。木兎さんの無茶振りには慣れました」
「ちょっとー、後輩ならもっと後輩らしくしろよなー」
「誰かさんが先輩らしくしてくれればいい話なんですけどね」
「なにおう!?」




 木兎さんが俺の頭に手を置いてのしかかってきた。重いです、と言いながら笑うあなたをちらりと盗み見る。
 知っているのだ。俺に絡む木兎さんをしょうがないといった風に笑うその表情に、少しだけ羨みが込められていることを。
 俺だって、あなたと今日話したのはさっきが初めてなんですよ。
 いくら木兎さんの幼馴染みとはいえ、腐れ縁だけで済まされない想いが込められた眼差しが向けられるのも、ただひとり。それに気付けるのも、俺はあなたしか見えていないから。



「よっしゃー! ブロック飛んでくれ!」
「えー、木兎のスパイク際限ないでしょ」
「頼むって! 俺のスパイクに付いて来られる奴、お前がダントツだし!」
「そりゃ、伊達に幼馴染みやってませんから?」

 あ、ちょっと悲しそうな顔。一番近い距離でも、それ以上は埋まらない壁があなたを阻んでいる。
 それは一見、薄くて簡単に割れそうなのに。でもあなたはそれを割るどころか、壁の向こうに手を伸ばすことすらしない。きっとそれは、きっかけか誰かの後押しさえあれば粉々に砕け散ってしまう危うさを持っている。だから、俺はその壁を避けて、壁を越えたその先へ音もなく落とす。
 鋭いスパイクが、あなたの心臓を貫いてしまわないように。



「タダで聞くのはちょっとねえ。どうしよっかな?」
「頼む! お願い! 帰りなんか奢るから!」
「乗った。木兎着替え早いんだから、先に帰ったりしないでよ」
「おう! じゃあ赤葦頼むなー!」
「…わかってますって」

 安すぎる報酬なんて、本当はいらないと知っている。それでも、あなたはそうやって笑顔で言うから。
 木兎さんがあなたの髪をぐしゃぐしゃに掻き回して背を向けた後、髪の毛を直す振りをして木兎さんの温もりが残るそこに自ら手を当てて、嬉しそうに頬を緩めるその姿も。
 俺は何ひとつ、木兎さんにはかなわないけれど。


「赤葦くん、行こう」
「…はい、先輩」

 たとえ木兎さんに勝てなくたって、木兎さんの知らないあなたを俺が知るというその事実だけで充分だったのだ。
 少なくとも、この時までは。



「赤葦ー、お呼び出しだぞ〜」
「赤葦くん、急にごめんね」
「…はあ、どうも」

 クラスメイトに、にやついた顔でそう言われたのは翌日のことだった。
 何事かと思えば、見知った人の登場に頭を下げたものの自分の口から出た言葉はあまりにも素っ気ないものだった。見知った人と言っても、よく知る人ではない。
 木兎さんとたまに話してるのを何回か見かけたことならある、おそらく木兎さんと一番仲の良い女子の先輩だと思われる。
 …性別も何もかも取っ払った前提で言えば、あの人に勝てる人なんていないけれど。


「また木兎さんが何か?」
「ああ、違うの。いや、間違ってないんだけどね」
「? はあ…」
「ちょっとここじゃ何だから、移動してもいいかな?」

 周りの視線を気にするように耳打ちしてきた先輩に、こくりと頷いて教室を出る。
 前を歩く先輩は贔屓なしで見ても美人と言われる部類に入るほうで、サバサバしているせいか木兎さんとは仲が良かった気がする。
 スカートから覗くすらっと伸びた長い脚は目眩を起こしそうなほど白いのに、俺はいつか見たあの人の申し訳程度に付いた背筋を見た時のほうが熱を持ったことを思い出した。




「赤葦くん、木兎と仲良かったよね?」
「…まあ、仲が良いかどうかはわかりませんけど話しますかね」
「木兎って、その…彼女とか、いる…?」

 人気のないところに連れて来られた時点で前向きな期待をしない掟は俺自身も自負している捻くれた性格によるものだったが、どうやら今回は正解だったらしい。
 目の前にいるこの人ぐらいの美人なら、選り取り見取りだろうに何故木兎さんなのだろう。
 恋愛なんて奥手どころか、バレーが恋人だなんて言い出してもおかしくないほどのバレー馬鹿だ。あと鈍感。
 そういうところが、逆にいいのだろうか。あの人が木兎さんに想いを寄せる理由のひとつに、これも含まれているのだろうか。



「赤葦くん?」
「ああ、すみません。いないと思いますよ」
「ほんとっ!?」
「バレーしか頭にない人ですから。もういいですか?」
「うん、急にごめんね」
「いえ。じゃあ、俺はこれで」

 木兎さんのこと、好きなんですか?
 …そんな誰が見たって一目瞭然なことを聞くのは、野暮だと思った。そもそも、他人の色恋沙汰など首を突っ込まないに限る。自分のことですら、ままならないというのに。
 とは言っても、あの人がどうにかしない限りあの薄い壁が粉々に砕け散ることはないし、壊れなければ誰が怪我することもない。
 じっと息を潜めながら、ガラス張りの部屋の中で行われるような“永遠”を、俺はずっと見つめ続けるのだろう。今までも、これからも。



「赤葦くん、話があるんだ」

 でも、いつになく真剣なあなたの表情に薄い壁に小さなヒビがピシリと入った。予感する。このヒビは、変化だと。




「…どうしたんです? 改まった顔して」
「…こんなこと話せるの、赤葦くんしかいなくて」
「…何でしょう」
「背中を、押してもらえないかと思って」

 好きな人がいるんだ。
 まるで死刑宣告のように響いたそれは、心臓を茨の鎖で何重にも巻かれた感覚だった。
 ずっと昔から一緒にいて、このまま現状維持でいいやって思ってたんだけど、そろそろけじめを付けてみるのもいいかと思って。
 いつもは甘く感じるあなたの声が俺の耳に届くたび、その鎖は硬度を増して容赦なく縛り付く。棘が食い込み、その棘からまた棘が生え、どんどん奥に浸食していく。苦しい。痛い。
 あなたが笑うたび、俺の中の毒が顔を出す。あなたに噛み付いたら、俺の毒であなたは苦しむだろうか。
 助けを求めるだろうか。俺によって?



「俺でよければ。…せっかくだから、いい場所教えますよ」
「! …ありがとう」
「いいえ。先輩」
「うん?」
「頑張ってくださいね」

 俺が牙を向けたことなど、気付かないあなたは俺に向かって笑いかける。
 まだ早い。もう射程圏には入った。あとは、ほんのちょっとの仕上げだけ。


「旧校舎側に面した、裏庭なんですけど―」

 ねえ、先輩。俺は優しい後輩になんて、なれないんですよ。




「…っ、はあっ、はっ、う…っ」
「…先輩?」
「あ、かあし、くっ」
「どうかしたんですか? 告白は?」
「あ…あ、っ」

 取り乱した様子の先輩に息を殺しながら、平静を装ってゆっくりと近付く。
 今にも吐きそうな気配さえ見せるほどに狼狽えるあなたに、微笑んでしまいそうになるのを必死にこらえて声をかける。
 背中をさすってあげると、びくりと震えた身体からふわりと香る甘い匂い。ああ、あなたの毒に惑わされたい。


「な、んか、女子と、話し、てて」
「はい」
「す、き、って」
「…誰が誰を、ですか?」
「あ…っ、おれ、おとこ、なのに…っ!」
「…先輩」

 ああ、薄い膜で濡れたその瞳を隠さないでください。もっとよく見せて。俺に。俺だけに。俺以外の誰からも、見られることのないように。
 さらさらの髪に今すぐ顔を押し付けて、身体全体にあなたの匂いを吸い込みたい。
 その衝動をおさえながら、ゆっくりと引いた先輩の手は驚くほどに冷たい。
 俺の手によって、先輩が色を取り戻したら? ああ、想像するだけで胸が震えてしまいそうだ。



「大丈夫ですよ。俺は先輩の好きな人がたとえ同性だって、引いたりしませんから」
「あ、かあし、く、」
「苦しそうな先輩を見るのは、不本意ですけど」
「…っ」
「…俺の前でぐらい弱音吐いてくれていいんですよ、先輩」

 きっとあなたは知らないでしょう? 木兎さんのタイプはあなたに当てはまっていると言い喜ぶ彼女に、木兎さんは鈍感だからはっきり言わないと気付かない、と言ったことも。
 それだけで舞い上がってしまって、木兎さんに勢いで告白したあの可哀想な人も。
 あなたが走り去った後、断ったであろう木兎さんの本心も。
 俺が何故、あの場所を教えて、あんなにタイミングよく彼女と木兎さんの空間に紛れ込んでしまったかも。



「大丈夫ですよ、ここにいます」
「う、っ…あ」
「誰も、見てませんから」

 あなたと木兎さんの間にしか知らないお互いがあるように、あなたと木兎さんには決してわからないお互いの顔を俺は知っていますから。
 木兎さんは、恋とか愛だとかそんなものを全部飛び越えたレベルであなたを大切に想っていること。
 あなたと木兎さんの、想いは通じ合っていること。
 あなたも木兎さんも、どうしようもなくバカみたいに信じきってしまうということ。
 優しくない後輩を見抜けないほどに、疑うことを知らないお人好しだということに。




「俺はずっと、先輩のそばにいますから」

 一度ヒビが入った薄い壁に亀裂が入ってしまえば、それは粉々に砕け散らない。貫くような音を立てて、バラバラになった破片が四方八方に飛び散る。
 その一番大きくて不格好な欠片が、締め付ける鎖ごと俺の心臓を掠めていった。
 傷付いたって構わない。血なんていくらでも流してあげる。
 こんなに傷付いて弱ったあなたに、縋るような目を向けてもらえるのなら。



「大丈夫ですよ、俺だけは―」

 大きな瞳から零れ落ちた涙を合図に、あなたの腕をゆっくりと引く。抵抗はない。壁は壊れた。胸元に押し込めたあなたが、小さくしゃくりを上げる。
 ああ、口元が歪むのを止められない。かわいい。かわいそう。うれしい。
 木兎さんは、いつ戻ってくるだろうか。戻ってきたら俺があなたを泣かせたと思い、殴るだろうか。優しいあなたは俺を庇ってくれるのだろうか。木兎さんはその瞳に、絶望の色を写すのだろうか。



「だって俺は、あなたの後輩でしょう?」

 たとえ間違っているとしても、あなたに永遠を刻み付けられるのならどんな方法だって厭わないのだから。





fin.

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