あざとさに隠した純真 | ナノ

「ぶぇっくし!」

 間抜けとも言えるくしゃみが響いたのは、部活が開始して間もなくのことだった。


「また盛大に出たな。風邪?」
「いや、風邪じゃ…っくし、」
「まだ出てんじゃん。ジャージは?」
「忘れた」



 あー、と鼻声になりながら鼻水を啜っているのであろう、ずびっと音を立てた先輩が寒そうに腕を擦る。
 蒸し暑いといっても、今日は雨も降って昨日より5度も気温が下がっている、と朝のニュースで言っていたのを思い出して無理もないと思う。
 周りを見てみれば半袖なのは先輩だけで、俺だって長袖でちょうどいいぐらいだ。




「俺の使う?」
「や、いいわ。木兎が寒いじゃん」
「あったまってきて、ちょうど脱ごうと思ってたんだよ。ほら」
「なんでまだ始まったばっかでこんなあったけーのお前」
「お前は冷たいな! 気持ちいいからいいけど!」


 木兎さんの手を握りながら騒ぐ先輩に、一件落着したな、と言い残し木葉さんが離れていった。
 木兎さんの手から暖を取れたことによって機嫌がよくなったらしい。単純だ。
 さすがエース! 木兎惚れちゃう! などと木兎さんを持ち上げているのは、きっと無意識だろう。木兎さんほど頭は悪くなくとも、同じ部類の人間だ。
 それに機嫌をよくしたのか、もっと触っていいぞ! と両手を広げて待ち構える木兎さんはもっと単純だ。
 どちらにしろ落ち着いたことだし、早く部活再開しますよ、と声を掛けようとした俺を止めたのは先輩と木兎さんの会話だった。




「うわー、木兎のでっかい!」
「あんまり身長変わんねーのにな」
「横幅が違うんだろ」
「何!? 俺が太いってことか?」
「逆だっつーの。こいつが細いんだよ」

 聞こえてきた木葉さんの声によって、木葉さんも会話に混ざったのがわかる。
 いや、そんなことはどうでもいい。問題は会話の内容だ。
 今日、挨拶以外では先輩に関わっていない。自分から話し掛けに行くほうではないし、どちらかといえば先輩のほうから話し掛けてくる。それも木兎さんや他の人と話している時は勿論なくて、今がまさにその時だ。
 ちらりと盗み見るつもりだった俺の目線は、しっかりと見る羽目になってしまった。



「えー、細いなら赤葦とかだろ! おっ赤葦! これ見てー似合う?」
「……………」
「あれー? 赤葦? おーい」
「細いとか言ったから怒ってんじゃ!? 俺知らねーぞ!」


 木兎さんの的外れな呟きが聞こえてきたが、それに返すだけの余裕はなかった。
 くるっと振り返って、俺の前で腕を広げて笑って見せる先輩が羽織っているのは間違いなくジャージで。そのジャージも会話の内容から、木兎さんのものだとうかがえる。
 でも当然先輩と木兎さんのサイズが釣り合うわけはなくて、おまけに下はハーフパンツのまま。少し短いぐらいのハーフパンツに大きすぎる木兎さんのジャージは一見下を穿いてないようにも見えて、前を閉めているなら尚更のこと。指が辛うじて見える程度の袖は、既視感があった。




「なんて言うんだっけ、こういうの」
「ん? 何が?」
「なんか女の子であんじゃん、えーっと…」
「? 女じゃなくて男だろ」
「普通は女の子なんだよ…あっ! 彼シャツ!」


 先輩の発言によって、自分の肩が僅かばかりにひくりと動くのがわかった。
 ジャージだから彼ジャーか! と呑気に笑う先輩にまたひくり。
 思い出してすっきりしたのか首を傾げる木兎さんに先輩いわく彼ジャーの説明を続ける先輩から、木兎さん以外のみんなが離れて行く。それも俺のほうを見た途端に目を逸らして離れて行ったので、俺は今とんでもない目をしているのかもしれない。気付かないのは木兎さんとバカなこの先輩、もといバカふたり。
 先輩からの説明を聞き終えたらしい木兎さんの首根っこを、木葉さんが素早く掴み離れて行った。
 それにありがとうございます、と心の中でお礼を述べる。今口を開くと、自分がどんな声を出してしまうかわからなかったから。
 取り残されて首を傾げるこのバカな先輩に、はあ、と溜め息を吐いて近付く。




「脱いでください」
「え?」
「前を、開けて、脱いで、ください」
「そんなゆっくり言わなくても聞こえてるけど?」


 さっきまで無言だったのにどうしたー、なんて笑い飛ばしながら先輩の手が俺の肩をぽんぽんと叩く。
 ジャージの擦れる音がして、それが大きすぎるのだと嫌でも実感して俺の中の何かが音を立てた。



「俺の貸しますから。身長が違うだけであんまり変わらないでしょう」
「えっ、今木兎の借り、」
「脱いでください」
「えー」
「先輩」
「わ、わかったよ…脱げばいいんだろ」


 目線で訴えたのが聞いたのか、ぶつぶつと小声で何かを言いながらもジャージを脱いで行く。
 木兎に返して来なきゃ、と脱ぎ終えて言う先輩から木兎さんのジャージを引ったくり、手早く丸めて木兎さんのいるほうへと投げる。
 あとはお願いしますね。そんな意味を込めて木葉さんたちに笑顔を向けたが、うまく笑えていたかは鏡を確認しなければわからなかった。
 それだけの余裕もないので、木葉さんたちの反応を見る前にくるりと先輩に向き直る。




「俺の着てていいですから」
「え、いいよ。そしたらお前が寒っ、ぶぇっくし!」
「…俺は暑がりですから」
「でも」
「いいから早く着ろって言ってるんですよ」

 脱いだジャージを無理矢理先輩の顔に投げ付ければ、間抜けな声を出しながらもキャッチした先輩が俺のジャージを広げた。さっき動いたし、木兎さんほど都合良く温まる身体でもないが寒くはない。
 先輩は素直に袖を通したものの、やはりさっきの木兎さんのジャージに袖を通した時とは明らかに違う。微々たる変化だが、袖と裾が若干短いのだ。細いくせに長い手足をした先輩に、うっかり舌打ちが出る。



「ちっちぇーな」
「大きすぎるよりはいいでしょう。それで我慢してください」
「大きいほうが腕捲れてよくない?」
「…捲ってもすぐ落ちてくるでしょう」


 すみませんね、ちっちゃくて。
 不機嫌を隠しきれない声色でも、バカな先輩は気付かない。この時ばかりはこの先輩のバカでよかった、と思わずにはいられない。
 長いこと止めてすみませんでした、と先輩方に謝ってから練習を再開しよう。
 そう思って踏み出した足を止めたのはない先輩の何気ない一言だった。




「あっ。赤葦のにおいする」

 少し足りない袖を、ぎゅうぎゅうと引っ張って。それを顔に近付けて、すんすんと鼻を鳴らす。
 赤葦っていっつもいいにおいするよなー! 洗剤どこの使ってんの?
 そんな先輩の言葉が辛うじて聞き取れた。その程度だった。俺の意識をさらりと奪っていった先輩の発言に、応える余裕はなかった。限界だった。
 次に先輩が何かを口にしたら、ああ、ダメだ。
 予知は確信へと変わり、近くにあったボールを振り返らずに投げる。衝撃音と先輩の悲鳴で、一撃で命中したことだけはわかった。



「いったあ!?」
「俺は謝りませんよ」
「何なの? 今日赤葦何なの!? 優しかったり酷かったり!」


 鼻折れたらどうすんだ! と後ろから聞こえる抗議の声を無視して、すたすたと歩く。悟られないようにするのが精一杯だった。
 当てるつもりもなかった。狙ったわけじゃない。
 ただ、ずっと好意を寄せていた先輩が誰かのジャージを纏っているのが気に喰わなかった。俺のジャージが木兎さんのものに比べて小さいことはわかりきっていたし、我慢できると信じていた。実際に、できた。それなのに。




「…これだから、嫌なんですよ。無自覚は」

 騒ぐ先輩と宥めるような木葉さんたちの声が遠くに聞こえる。この距離だから見えないとわかっていても、熱を持った自分の耳にそっと触れた。あつい。
 背を向けているから、ばれることはない。きっと大丈夫だ。そう言い聞かせないと、保てないほど顔が熱かった。思わず口元を押さえる。
 早く静まれ。プレー中よりも早い音を訴える自分の心臓に、無理難題を願わずにはいられなくて。




「…嫌いになれたら、いいのに…っ」

 思ってもないことを口にして、そっと目を閉じれば過ぎった先輩の笑顔に蓋をした。





fin.

「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -