対君アレルギー | ナノ

 お世辞にも愛想がいいとは言えないおまえが、瞳を細めてにこやかに笑うその姿に気付くべきだったのだ。
 敵はもう俺の喉元に、牙を立てているのだと。


「いってえ…」
「ん? どうした! 怪我かー?」
「いや、違うんだけどよ。背中がちょっと」
「背中ぁ? 腹叩けば治るんじゃねーの」
「木兎の頭は何回殴っても治らねーだろうな」



 お前が言ってるのってあれだろ、別の場所痛めて痛み紛らわそうとしてるだけだからな。わざわざ腹痛めるぐらいなら背中痛いままでいいし、そもそも背中の痛みは物理的なものではないのだ。
 頭の悪い木兎に言っても通じるなんて有り得ないから、黙っとくけど。
 背中痛いって言ったのに笑いながら背中叩いてきやがるし。バカか。バカなのかお前。知ってたけどな。

「…やっぱりだ」
「お? 治った? ブロック飛んでくれブロック!」
「治ってないけど治った。あとブロックは飛ばん」
「んん? 治ってないのに治ったってなんだ? …何ぃ!? ブロック飛んでくれよ〜」
「引っ付くんじゃねえよ汗くせえ。しつこい」


 後ろからぴったりと張り付いてくる木兎から、じんわりと湿った熱が伝わる。これが冬ならありがたいけど、今は夏手前だ。むしろ今日は快晴で夏本番さながらの暑さだ。
 うぜえ、と思いながら回された木兎の腕をつねってやろうかとでも思って振り返った時、あっ、と木兎が声を上げた。




「…何やってるんですか」
「赤葦ー! こいつがブロック飛んでくれないからさあ」
「お前のスパイクは腕がもげる」
「腕もげたことねーじゃん! それにお前のブロックが一番燃える!」
「ものの例えだ。他の奴に飛んでもらえ」
「…とりあえず、離れたらどうですか?」



 見てるこっちが暑苦しいんですけど、と表情を乱さずに言う赤葦に、ちょいちょいっと俺の身体に回された木兎の腕を指差す。言葉がいらずとも理解したのか、赤葦が木兎の名前を呼んだ。返事はしたが離れる気配の感じられない木兎に、トス上げませんよ、という赤葦の脅しが効いたらしい。
 すぐ離れた木兎は、ちぇー、と言いながら唇を尖らせている。男がやっても可愛くねえからやめろ、それ。


「悪いな、赤葦。助かった」
「いいえ。木兎さんがうるさいのはいつものことですから」
「…そうだな。じゃ、後よろしくー」

 ひらひらと手を振って、その場を後にする。
 ああ、まただ。やっぱり痛い。背中にちくちくと突き刺さる痛みは、針で刺されたようなやさしいもんじゃなければ、空気を変えるような冷たさを帯びている。木兎が炎だというなら、赤葦は、氷だ。
 誰にでも対してそうなのか、と聞かれたらわからない。けれど俺だけには、痛いほどに赤葦の視線が刺さるのだ。



「わっかんねーなあ…」

 別に、嫌われてるわけではないと思う。そもそも嫌いだったら、いくら木兎絡みだからといって俺に関わってくるわけもないと思うし。
 じゃあ俺自身はどうなのか? 嫌いではない、としか答えられない。冷静な赤葦の瞳が怖いと感じるようになったのは、いつからだっただろう。
 今となってはそれもわからず、俺をじっと見つめる瞳から逃れるように逃げてきたのだ。今だって。


「おい、木兎」
「お? ブロック飛んでくれる気になったか!」
「違うけど。ちょっと、俺のこと見てくんね?」
「見るだけでいいのか? どこを?」
「顔。…主に目、かな」
「…………………」
「…顔はそこまで近付けなくていい」




 あっ、と気付いた木兎が顔をちょっと離す。あまり顔を近付けてくるもんだから、つい顔をしかめてしまった。
 木兎がバカなのは今に始まったことじゃないから、別に気にしてもいないけど。俺も目線を合わせて、じっと木兎の視線を受けた。
 ……違うな。少なくとも、赤葦のような突き刺さるような目線は感じられない。
 もういい、と言えば不思議そうに首を傾げた木兎に向き直った。



「お前さ、赤葦によく見られてんなーって感じることない?」
「そりゃセッターだし、よく見てんじゃねーの?」
「試合以外で」
「ない!」
「…清々しいほどの断言をありがとうよ」


 そりゃ、セッターが見る理由なんてひとつしかない。木兎の言う通り、セッターである以上見るのはしょうがないことなのかもしれない。俺の考えすぎか。
 あんまり長居すると、また木兎にブロックを要求されそうなので早急に去ろう。
 そう思った俺の足を止めたのは、木兎の声だった。

「でも、赤葦はお前のことよく見てるな!」
「…わかるのか?」
「いっつもそうじゃん。ふつう」
「ふつう、」
「あっ! 答えたんだからブロック飛んでくれよ!」
「はいはい、気が向いたらな」


 今飛んでくれよー! と叫ぶ木兎に背を向けて、今度こそ退散した。明確な答えは得られなかったが、そこそこ収穫もあったのでよしとしよう。
 それにしても、俺だけが感じてたと思ったあの視線は周りも感じていたらしい。あの木兎でさえわかっていたし、普通ということは日常化していたんだろうか。でも、一体なんのために?
 俺と木兎はよく話すけど、赤葦とはそうでもない。赤葦と木兎はポジション上、仲良くなるのは必然的だけど。



「すみません、ちょっといいですか」
「うおっ!? …あ、ああ、赤葦か。どうした? 木兎?」
「違います。先輩、痛いとか言ってましたよね」
「あー…木兎に叩かれて痛み麻痺したから大丈夫」
「それは大丈夫とは言わないです」


 いきなり表れた赤葦に、思わず声が裏返った。しかも俺が気にしていたことを指摘されて、目が泳ぎそうになる。
 その間も赤葦はずっと俺の瞳を射抜くように見つめてきて、困った俺は足元に視線をうつす。
 だって、背中の痛みは後輩のおまえがやけに見つめてくるから、なんて本人を目の前にして言えるほど俺のメンタルは強くない。
 もし勘違いだったら、ただの自意識過剰だし。



「…一応見ますよ。部室行きましょう」
「平気だって、俺は―」
「見るだけですよ。それとも、何か問題でも?」
「…それは、ないけど。大袈裟だって言っ―」
「大袈裟でもなんでも、何もなかったら安心材料に繋がりますから」

 そう言うと赤葦は俺の手をとって、迷うことなく進んで行く。
 痛い原因がそもそもおまえの視線なんだけど、それを言葉に出さずに回避する術は残念ながら見つからなかった。
 俺の手を引いて歩く赤葦の背中を見て、いつもと逆だなあ、なんて呑気なことを思った。


「とりあえず、服捲ってもらっていいですか」
「え、外傷ないと思うけど」
「一応見ますから。背中だと自分で確認できないでしょう」
「…じゃあ、よろしく」

 言われるがままに、服の裾を持ち上げて胸の高さまで捲る。赤葦の目を見なくていいのはよかったかもしれない。
 ていうか、ここまで捲るなら脱いだほうが早かったんじゃないのか。外傷もないし。
 はい終わり、で片付くと思っていたのだ。それぐらい、赤葦が俺の背中を見る時間は酷く静かで、長いものに感じた。



「あ、赤葦? まだ?」
「すみません、ちょっとそのままで」
「何もなかっ、あっ!?」
「念のためと言うこともありますので。もうちょっと触りますよ」
「あ、赤葦、くすぐったいって…」
「我慢してください」

 赤葦の指が、俺の背中を滑る感触に大袈裟なほど身体が跳ねた。赤葦の手が止まることはなくて、指の腹でなぞられたと思ったら押されたり、あまり筋肉の付いていない箇所を軽く掴まれたり。
 まったくわからない状況の中で、これはもう怪我のチェックをしているわけではないと。わかっていたのはそれだけだった。


「あか、あっ」
「…ここですか? 痛いです?」
「痛くねえ、けど、…っふ」
「我慢しないで。痛いなら痛いって言ってください」
「ちが、痛いんじゃ、ねえ…も、やめ、―っあ!」



 上から下、背骨をなぞる指先の感触に寒気のようなものが走る。今の俺にできることといえば、捲ったシャツを強く握り締めて声を我慢するしかなくて。歯を食いしばった唇の隙間から熱い息がもれる。
 そうすることでしか、耐えられないと思ったから。こんなことなら、適当に理由つけて痛い場所をでっち上げればよかった。
 今からでも遅くないかな、ていうかもうシャツ下ろしてえ、このシャツはもう伸びて使えないな。
 そう思って瞳を閉じたら、後ろの影がすっと離れる感覚がした。


「もういいですよ。大丈夫みたいです」
「…ああ」
「でも、本当は痛いところなんてなかったでしょう?」
「…? だから、最初からそう言って―」
「みんなの目があると、先輩は気にするだろうと思ったので」
「赤葦?」
「まさか、気付いてないなんて言いませんよね?」




 振り返った赤葦の表情に、声が出なかった。だって、赤葦が―笑っていたから。あの、赤葦が。しかも、今までにない笑顔で。いつも俺を射抜くようなその瞳を、すうっと細めて。
 変な汗がじっとり浮かんで、思わずごくりと唾を飲んだ。あまり身長が変わらないとは言え俺のほうが高いのに、影を作るほどの至近距離に怯みそうになる。
 無意識にシャツの裾を握っていたのか、シャツ伸びますよ、という赤葦の声で慌てて手を離した。

「どうでしたか? 俺に見られる気分は」
「あ、赤葦はセッターだし、見るのは別に変なことじゃないだろ?」
「…そのわりには、声が震えてますけど」
「っそん、」
「…ああ。あと、ここも」


 するりと伸ばされた赤葦の指が、俺の唇に押し当てられる。赤葦の顔から笑みはもう消えていて、しっかりと開かれたその瞳は俺を捉えて離さない。指をそれ以上押し込むわけでもなく、かと言ってその指を離そうとする気配は感じられない。
 声も出せないこの状況で、俺は赤葦越しの部室を見るしかなかった。



「俺が、木兎さんたちと同じように先輩を見ていた、とでも?」
「…っ、」
「ああ、これじゃ喋れませんね。すみません」
「赤葦っ…」
「我慢してたつもりなんですよ。これでも」

 正面から見られる気分はどうですか? なんていつもの真顔よろしく囁く赤葦と、さっきみたいに笑顔の赤葦どっちが怖いかと聞かれれば、選べないというのが本音だった。
 背中に受けてた視線は痛いと思ったが、今は痛いなんてそんなもんじゃない。
 なんとなく、気付いてしまったのだ。赤葦の、俺を見つめる瞳に込められた、その意味に。


「あ、赤葦さ、ちょっと失礼なこと聞いてもいい?」
「どうぞ。木兎さんほど失礼ではないと思いますので」
「赤葦って、俺のこと、すき、なの?」



 衝動的に出た言葉だった。何言ってるんですか、って赤葦がバカにするのを期待していた。そんで、そしたら。なーんて、って笑うつもりだったんだ。
 僅かばかりに瞳を見開いた赤葦は俺を見て、深い溜め息を吐いた。

「もうここまで来たら単刀直入に言いますけど」
「ん、うん」
「先輩で抜けるぐらいには好きですよ」
「…は?」
「先輩をおかずに自慰行為を」
「ち、ちょっ待て! ストップ!」


 手を前に出して待ての態勢を取ると、赤葦は木兎と違って聞き分けはいいのでおとなしく黙った。それを確認して、できる限り頭を捻って考える。
 赤葦は俺のことを好きだと言った。それはわかる。
 ぬ、抜くって。赤葦の口から、抜くって。しかも詳しく言って欲しいために聞いたんじゃねえよ。
 赤葦が好きなおかずなんて菜の花からし和えだけだと思ってたし俺はおかずじゃありません、なんて言わないとやってらんないほど俺は混乱に陥ったらしい。



「あ、赤葦? 大丈夫?」
「俺は別に大丈夫ですけど」
「あ、あー…暑い? 疲れてる? 熱ねえ?」
「そうですね、無自覚な先輩のせいで熱いですけど」
「どこがっ、」
「下が」
「だから…!」

 ちょっと待て赤葦おまえ下ネタとか言うキャラじゃないだろ。そこはおまえの担当じゃない。
 思わず赤葦の下半身を見てしまって、ぐるんと慌てて目を逸らす。いや、別に赤葦の下がどうなってたとかはないけど。ハーフパンツだから目測で確認できなくて当たり前だけど。
 そうだ、きっと木兎の世話ばかりで疲れが溜まってるんだ。木兎相手なら俺もちょっとは手伝えるから、いつもの赤葦に戻ってくれないか。頼むから。




「もう少し、危機感持ったらどうなんですか?」
「え?」
「自分のことを好きな後輩と、密室にふたりきりというこの状況に」
「…ん?」
「…嫌いじゃないんですか? 俺のこと」
「? 赤葦に好かれて、悪い気はしないけど」
「…はあ」


 ま、また赤葦が溜め息を吐いた。俺は赤葦を落ち込ませることでも言ってしまったのだろうか。
 俯いた赤葦に手を伸ばしかけたところで、勢いよく顔を上げた赤葦に手が止まる。こ、こえーよ。

「そうやって煽るの、やめてもらえませんか」
「煽る?」
「襲われても文句言えませんよ」
「おっ…」
「あと、無防備に背中見せちゃダメですよ」
「それは赤葦が見せろって言うから―」
「意地でも断ってください」



 え、ええええ。ここまで引っ張って連れてきたくせに赤葦がそれ言うの?
 いつの間にか腕組みして俺を見つめる赤葦に、すみませんと謝ってしまいそうなオーラさえ感じる。俺悪くないけど。
 説教されてるみたいで、おまえはいつからお母さんキャラになったのかと。ああでも、木兎の世話とかしてるあたりお母さんキャラなのかもしれない。

「もういいです。気が抜けました」
「えっ、ああ、ごめん?」
「練習、戻ります?」
「あー、さっき木兎にも言ったしな。戻る」
「…ああ、でも、その前に―」


 くるっと向き直った赤葦が、俺のシャツを掴んで勢いよく捲った。ぎょっとして赤葦を見るも、赤葦はただ俺の腹を見るだけだ。見るっていうか、凝視。
 え、何これ。背中触られた時よりよっぽど恥ずかしいんだけど。



「あ、赤葦さーん?」
「先輩の臍、好きなんです」
「そりゃどうも…?」
「なので、今日はこれで勘弁しときます」
「勘弁ってな、にっ!?」

 屈んだかと思えば、近付いた赤葦の直後にちくりとした痛みが伝わる。い、いや、音からなんとなく何されたかなんてわかるんだけど。でも。ちょっと待て。
 慌てて赤葦の肩を掴んで離すと、赤葦はけろっとした表情でこっちを見ている。
 赤葦が離れたことで下りたシャツの裾を再び捲れば、臍の少し上が赤い痕を作っていた。一見虫刺されのようにも見えるそれは、己の指でそろりと触れてみても痒さは感じられない。
 ゆっくり顔を上げると、いつの間にか至近距離に迫っていた赤葦に思わず目を瞑る。


「…そこ。いつか、舐めさせてくださいね」
「あか、」
「それじゃ、先戻ってますから」

 俺にまったく触れることなく、耳元で囁いた赤葦は俺を置いて部室から出て行った。静かに閉じられた扉を合図に、へなへなと座り込む。
 もう一度シャツを捲って確認したそれは存在感を放っていて、また俺はシャツを握り締めた。



「…あー、ダメかも?」

 この痕は、俺が赤葦にどうにかされてしまうタイムリミットなのかもしれない。痕が薄くなって、消える頃には、その時は。
 部室は俺ひとりしかいなくて静かなのに、どくどくと激しい鼓動を奏でる心臓がうるさかった。





fin.

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