メザイヤ | ナノ

 僕を不安げに見つめるその瞳が、捨て犬みたいで愛でてあげたいと思ったものだ。


「…おや。これは珍しい。あの御剣検事が僕なんかに何の御用かな?」
「…からかわないでください」
「ふふ、お噂はかねがね。そんなところに突っ立ってないで、座りなさい。お茶ぐらい淹れてあげよう」
「…では、失礼します」
「ああ、そこの君もね」



 突然の来訪に驚くわけでもなく、紅茶を淹れるために立ち上がると、御剣検事―もとい怜侍くんは相変わらず堅い喋り方のまま椅子を引いて座った。横の彼は僕を警戒するように見るとおずおずと椅子に座った。
 取って食べたりしないのになぁ、と思いながら彼だけミルクティーにして香り立つティーカップをそっと置いた。 やはりあなたの淹れる紅茶は美味しいですね、と一息つく怜侍くんはなかなかの紅茶マニアだ。


「さて、まずは用件より自己紹介をしてもらいと思ったのだけど―その様子じゃ無理かな」
「…すいません。彼も色々とあったもので」
「もしかして、一柳さんの息子さん?」
「! …ご存知でしたか」
「例の事件は新聞で見たからね。君は大活躍だったそうじゃないか」
「…恐縮です」

 そこまで会話して彼がまだ口を付けていないことに気付いた怜侍くんは、飲みたまえ、と彼に促す。熱いから気をつけて、と僕からも添えると彼は恐る恐るといった様子でそれを一口飲んだ。ティーカップから口を離すと、おいしい、と呟いた。まだ幼さの残る声。
 それに僕と怜侍くんが顔を見合わせて笑ったのも束の間、彼の目から一筋の涙から零れた。怜侍くんはぎょっとしている。…驚くと白目を剥く癖は相変わらずのようだ。
 これはいよいよ自己紹介どころではなくなったらしい。



「…紹介を交えて用件を聞こうか。お願いできるかな? 怜侍くん」
「ええ、彼はこの様子ですし…」
「ああ、これ。渡してくれるかな」
「はい。…一柳くん、これで涙を拭きたまえ」
「ふぐッ、ううっ」

 傍らにあったティッシュを怜侍くんづてに受け取ると、彼は声を漏らしながら泣き始めた。気にはなるが、そのまま話を進めるしかない。
 聞いたところによると彼は新米検事なのだそうだが、父親があんなことになっては当然師にするべき人物が必要になる。もともと敵の多いこの世界だ、それほど選べるわけでもない。それはわかったが―



「どうして、僕にわざわざ頼もうと?」
「私で良ければ引き受けたかったのですが、最近何かと忙しいもので…」
「まあ、売れっこだものね。おかげで僕は退屈してるよ」
「…ム、申し訳ない」
「ふふ、冗談だよ。わかった、引き受けよう」


 ありがとうございます、と頭を下げる怜侍くんに微笑んで彼を見やると、一通り落ち着いたのか鼻を啜る音が聞こえた。
 先程紹介してもらった名前で呼び掛けると、泣き晴らした目を此方に向けた彼はきょとんとしている。ちょっと待ってて、と言い残し奥から濡れタオルを持ってきて、腫れるといけないから目に当ててね、と言って渡すと彼は素直に応じた。どうやら嫌われてはいないようだ。




「では、私はこれで…」
「ああ、そうだね。わざわざありがとう」
「いえ、此方こそ。また改めてお礼に伺います」
「美味しい紅茶を用意して待ってるよ」


 去って行く怜侍くんを見送って、さて、と呟くと彼は濡れタオルを取って覆っていた視界を露わにした。別にそのままでも良かったのだけど、挨拶ぐらいは目と目を合わせて言ったほうがいいものだろう、と思い直して彼のすぐ近くに座る。



「君はこれから僕のもとで学んでもらうことになるけど、主に僕のお手伝いから始めてもらおうかな。大丈夫かい?」
「…うん」
「といっても怜侍くんほど忙しくないから、最初は簡単な雑用からだけどね」
「…レイジ?」
「ああ、ごめん。御剣検事のことだよ」


 彼は泣くのに必死で僕と怜侍くんの会話には気付いていなかったのだろう、僕にとっての御剣、という名は彼1人だけではないので敢えて下の名前で呼んでいるのだが、彼を前にした場合呼び名を改める必要があるかもしれない。そう考えていたら、キラキラした瞳で見つめられて思わず拍子抜けした。…何かを期待されているのだろうか。



「御剣検事の知り合いなのか?」
「まあ、師というほどではないけどね。可愛がらせてもらってたよ」
「ししょう?」
「ん?」
「アンタが御剣検事の師匠なら、俺はアンタの弟子になるのか?」

 突っ込むべき場所は多々あるが、全部そんなことをしていたら日が暮れてしまうだろう。喋ってくれるようになっただけでも進歩だ。
 曖昧に返したところで、やっぱりこの子は怜侍くんに教えてもらいたかったんじゃないのかな、と今更なことを思っていると彼が椅子から立ち上がった音が聞こえて、僕は其方を見やる。




「師匠、よろしくお願いします!」
「…此方こそ、よろしくお願いするよ」


 ああ良かった、彼はやる気のようだ。



「はい、では一柳検事、被害者の名前は?」
「かぶら…かぶらゆみ?」
「鏑木由美子だね。惜しかったよ」


 落ち着いてやれば大丈夫だからね、焦らないで。と声を掛けると、彼はやる気を出すように拳を作った。
 ちょっと緊張したりしたら軽い失敗はするものの、落ち着いてやれば一人前程度のことはこなせるようになってきた。そろそろ法廷での裁判に同席させてもいいかな、と思っていたら彼から視線を感じたので、ん? と優しく話し掛けてやる。



「どうしたの?」
「今日俺、頑張った?」
「うん、偉いね。よくできました」
「じゃっ、じゃあ、お願い、聞いてくれるか?」
「いいよ。どんなお願いかな?」
「おっ、親父って、呼んでいい…?」


 突然のお願いに暫し固まったが、そういえば彼は裏切られるのと同等な形で父親を失ったことを思い出した。特に大好きだったなら尚更だ、なら断る理由はない。



「それで君の気が済むのならいいよ。弓彦」
「! …俺の、名前」
「あれ? 違ったかな?」
「ううん、ありがとう! 親父っ」


 子供のように無邪気に抱き付いてくる彼の頭を撫でてあげながら喜んでいる自分に、これじゃ本当の父親みたいだ、とどこか他人事に思った。これは、独り立ちさせる日が遠くなりそうなものだ。良くも悪くも。



「これからも、下の名前で呼んでいいかな?弓彦くん」
「! …うんっ、」

 ああほら、僕の彼への想いが確たるものになってゆく。怜侍くんが息子なら弓彦くんはその弟かな、1人考えて思わず笑った。





fin.

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テーマ「人外ファンタジー」
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