おさがり | ナノ

「残念だったね、赤也」

 擦れ違い様にそうやって笑うアンタを、俺はいつも崩せなかった。



「やあ、赤也」
「…なんスか」
「ああ、良かった。泣いてなくて」
「…は?」
「いやあ、昨日あのあと一言も発していなかったら心配になってね。」
「だっ、れが泣くか! アンタにも勝つ!」


 大体何回アンタに負けたと思ってんだ。
 そう、それは楽しみだ。と目を瞑って笑うアンタにぷいっと顔を背けると、こら赤也、なんだその態度は! それに言葉遣いもだ! と副部長の怒号が飛んでくるも、それを宥めるアンタの姿が見えて、俺は逃げた。
 思えば俺がここ最近真田副部長の拳骨を喰らっていないのは、アンタのおかげとも言えるかもしれない。絶妙のタイミングで真田副部長を宥めるのだ。お前は赤也に甘い、と腕を組む真田副部長がアンタに甘いのも確かだと思う。
 …悔しいから、お礼なんか絶対言ってやんねェけど。



「赤也、今日もやるかい?」
「当たり前ッス」
「よし、行こうか」


 自信満々に笑って…いるわけではないのだろうが、アンタに勝負を挑んだその日から連敗している俺にはそうとしか思えなかった。アンタはあんまり動いている印象もなくてそれまでに試合しているところを一度も見たことがなかったので、もしかしたらいけんじゃねえのか、なんて考えていたあの時の俺はバカだったのだ。だって見た目ひょろくて弱っちそうだったし。…まあそんな言い訳をする前に俺はアンタに打ち負かされて、お決まりのあの台詞を擦れ違いざまに吐かれることになるのだが。



「あ、」
「やあ、赤也。…ところでそれ、全部食べるのかい?」
「…弁当、早食いしちゃったんで」
「はは、赤也らしいな。じゃあそんな育ち盛りな赤也くんに、これをあげよう」
「…いいんスか?」
「ああ、どうやら兄さんが弁当を届けてくれたらしくてね。買ってから電話入るんだもの、参っちゃうよねぇ」
「ハァ、」
「だから素直に受け取っておきなさい。よく食べてよく運動して、よく寝て」


 俺を打ち負かせるようになれるぐらいにね。
 そう歯を出して笑うと、俺の頭を数回撫でて先輩は行ってしまった。先輩から貰ったクリームパンを見つめながら、チッと舌打ちをした。…むかつく。たぶん、嫌いではないのだろうけど。



「あれ? 今日いないんスか?」
「ああ、彼か。ちょっと家が忙しいらしくてね、暫くは出られないそうだ」
「へぇ…」
「がっかりした?」
「しっ、しないッス!」
「かわいいね、赤也は」


 幸村部長に頭を撫でられ、アンタの手とは違うなあ、と感慨に浸る。俺を撫でてくれるアンタは、いない。

「――が、入院した」


 部活が始まる前―俺は、いや、俺たちは衝撃の事実を知ることになる。紛れもなく幸村部長の口から発せられた名前は、アンタのもので。
 入院? 誰が? なんで? だって俺、あの人に負けてばっかりだったんスよ、なんであの人が入院なんかするんスか、そりゃ細くて丈夫そうな身体には見えなかったけど、そんな素振りなんて見せなかったくせに。
 言いたいことはいっぱいあるのに、言葉にならない。突っ立っていると誰かに型を叩かれて、咄嗟に顔を上げる。…幸村部長だ。




「…赤也、お前の言いたいことはわかるよ。会って、ぶつけておいで」
「なん…」
「病院の場所だ。部活はいいから、行っておいで」


 俺は幸村部長からそのメモを引ったくると、すんません! と言ってそのままコートを出る。メモを頼りに、必死で走った。
 そうだ、入院といっても検査的なものかもしれない。もし病気だったとしても、手術すれば治るものかもしれない。ない頭で必死に組み立てた希望を、俺は早く確認したかったのだ。
 病院内に入ってメモに書かれた病室へと急ぐ。垂れた汗を吹いてノックをすると、少し懐かしい声が聞こえた。



「…やあ、久し振り。かな? 赤也」
「それ…」
「ああ、コレねぇ。見た目ほどは痛くはないんだよ。動きづらいのは不便だけどねぇ」


 来てくれて、ありがとう。そう笑うアンタからは儚さしか感じられなくて、アンタに繋がれた沢山の管を見て俺は背筋が震えた。座れば、と椅子を叩かれて俺はそのまま無意識に腰を下ろす。初めて、目が合った。なぜか、逸らせなかった。



「赤也は来てくれないんじゃないかと思ってたよ」
「…治るんスよね?」
「うーん、それは難しいだろうな」


 実は薬で騙し騙しやってたんだけどとうとうガタがきてしまってね、このザマさ。今じゃ殆ど力が入らないんだ、テニスはもうできないだろうなあ。
 淡々と語るアンタに、バカな俺の頭がついていけるわけなんかなくて。

「1ヶ月」
「…は、」
「タイムリミット、ってやつ? 俺の命は、それまでだ」


 公式戦までには間に合わないだろうと思っていたけどまさかここまでとはねぇ、いやはや病気って怖いもんだねぇ。まあ赤也は病気しなさそうだから大丈夫だな、と言うアンタはなぜ笑顔なのか。理解できない理解できない、理解が、できない。



「なん、で、」
「ん?」
「なんで、手術しないんスか、なんで、いきなりこんなこと言うんスかっ、」
「赤也、」
「…なん、で、」


 俺がアンタに勝ったら、ジャージくれるって言ったくせ、に!
 張り出した声は情けなく震えて、溜まった涙が筋を作った。濡れた頬に、アンタの綺麗な指が触れる。まったく…と囁いたアンタは、嬉しそうに笑っていた。



「いいかい赤也、俺はね、もうテニスができる身体じゃない。それどころか、機械で命を繋ぎ止めるのがやっとだ」
「っ…」
「だから、俺のジャージを奪ってみせて」

 はた、と顔を上げる。涙は止まっていた。
 俺はもうテニスはできないけれど、俺が消えたらレギュラーには枠が開く。そうなれば、レギュラー争奪戦が始まるだろう。学年なんて関係ない。つまり、赤也にもチャンスがあるってことだ。



「そしたら、俺のジャージを赤也にあげるよ。幸村たちにそう伝えておく」
「アンタの、ジャージ…」
「本当は今日、此処で赤也にあげるつもりだったんだけどねぇ」


 赤也を見ていたら気が変わったよ、もちろん赤也が今ここで俺のジャージを手に入れたいというのなら受け付けるけど、どうする?
 …ああ、この意地悪な笑顔も久し振りだ。そんなの、決まってるじゃないか。ふるふると首を横に振ると、そうこなくっちゃ、とアンタは嬉しそうに笑った。




「大丈夫、俺と毎日試合をしてたんだ。絶対勝てるよ」
「…自画自賛スか」
「まあ、赤也は俺に一度も勝てなかったからね。自信もつくさ」
「…あっそ」
「だから、赤也も自信を持つといい」


 レギュラー以外で、俺とまともに試合ができたのは赤也だけだからね。
 そう笑う先輩に、ふと思った。…もしアンタが、試合をしない、のではなく、試合をする意味がなかった、としたら。理解した俺をわかったのか、それとも癖でもついたのか、アンタは俺の頭を撫でた。わからない。俺には、アンタの心はわからない。




「勝ちます」
「うん」
「勝って、アンタのジャージ持ってきて、…此処に来ます」
「…楽しみにしてるよ」



 ひとつ、約束をした。俺がレギュラーになるまで、会いに行かないこと。反対する人もいたけど、約束したことを告げると、それならしょうがないね、と幸村部長が笑ったことにより誰も何も言わなくなった。だけど、会うことは制限されても関わりを持つなと言われた覚えはないので、手紙を書いた。見舞いに行ってくれる先輩たちにそれを託して、アンタから返事を貰って、また託す。赤也が手紙を書くなんてこれが最初で最後なんじゃないのかい、幸村部長は笑って言った。




「ゲームセット!」

 高らかに鳴り響くホイッスルと、俺に群がる先輩たちに痛いッスと言いながら、俺は笑っていた。幸村部長に渡されたジャージを手にしていると、俺が着せてやろう、と柳先輩が着せてくれた。初めて袖を通したそのジャージは意外に大きくて、先輩の香りがした。
 行っておいで、と肩を押す幸村部長に、行って来ます! とジャージを羽織ったまま俺は走り出す。見せたい。早く、アンタに。



「幸村、いいのか?」
「少し待とう。…彼と赤也の、最後の時間だからね」
「そうだな」


 病院から連絡を受けた通話記録を眺めていた幸村部長なんか知る由もなく、俺はひたすらに走っていた。試合したから足が重い、でも嬉しい。ワクワクする。胸が躍るような感覚だった。
 病院につくと走りたい気持ちをおさえ、気持ち早歩きをする。病室前に1人の男性が立っていた。…お兄さんだ。会ったことはないけれど、すぐにわかった。だって、アンタにそっくりな顔をしていたから。その人は俺を見ると、会ってやってくれ、と言う。顔色は、悪い。嫌な予感しかしなかった。急いで扉を開ける。




「なん…で…」

 そこには、いつか見たアンタなんかいなかった。ただ真っ白なベッドの上に横たわる、誰かの顔にかけられた真っ白な布。震える手でそれを取ると、紛れもないアンタだった。その表情は笑っていて、今にも動き出しそうで。
 俺の頭を撫でた細く綺麗な手も、今はだらんと垂れている。握ると、冷たかった。俺の涙がアンタの手に落ちたけど、ドラマみたいにアンタの目が覚めることはない。



「…君のことは以前弟から聞いてたよ。有望な後輩がいる、と」
「おれ、が…?」
「嗚呼、よく見れば君は弟と似ているな。そのジャージも、よく似合っている」


 弟が気に入るのも無理ないな、と笑ったその表情は苦しそうだ。アンタそっくりな顔でそんな風に笑われると俺までつらくて、どうしていいかわからなかった。
 お兄さんは、あぁそうだ、とアンタが息を引き取る間際のことを教えてくれた。俺が試合に勝った、まさにその時。窓の外から覗く景色を見ながら、こう言ったと言う。



『おめでとう、赤也』

 俺は涙が止まらなかった。お兄さんのほうが辛いはずなのに、なんてなりふり構ってられなかった。アンタの躯に縋り付いて、嗚咽を漏らしながら泣いた。俺の頭を撫でてくれたお兄さんの感触がアンタと違うのを実感して、また泣いた。お兄さんは、声を殺して泣いていた。




「赤也、出番だぞ。赤也!」
「んあ?」
「まったく、お前はちゃんと話を聞いとるのか!」
「全部倒しゃいいんでしょ? 楽勝ッスよ」
「…頼もしくなったねぇ、赤也は」
「さっさと終わらせてきますよ」




 アンタのジャージを着て、俺は今日もコートに立っている。





fin.

第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -