焦熱を刻む | ナノ

 無自覚ってなんでもタチ悪いなあ、なんてのんびり考えていた俺はもうとっくにやられていたのかもしれない。
 それは夏の暑さなんかより、もっとずっと身体の奥に染み込んで。


「うええー、あつい…」
「そんなこと言わないで頑張ろうよー、ほらっ! 及川さん応援しちゃう!」
「今すごい帰りたくなった」
「えっ、」



 雨も降らないほどの快晴に、俺の口から出るのはいつも同じ言葉。隣を歩く及川は暑苦しさを倍増させるし、いつも暑いけど今日は特に暑い気がする。
 まだ何か言う及川に言い返す気力もなく手でしっしっと追い返すようなジェスチャーを見せれば、捨てられたー! と叫び声を上げて及川が走って行った。意味はわからないけど、うるさい及川がいなくなったからよしとしよう。
 あー、俺も早く気合い入れないとなあ。
 よいしょ、なんて年寄りくさい声を出しながら俺は勢いよく立ち上がった―はず、だった。




「…れっ?」
「っと…あっぶねーな。大丈夫かよ」
「ご、ごめん」
「いいけどよ。たまたま通り掛かっただけだし」

 いきなり立ち上がったからなのか、ぐらりと視界が歪む。
 揺れる頭の感覚にやばいと感じた時には、俺の腕をしっかりと誰かが掴んでいた。すぐに飛んできた声から、その誰かが岩泉だとわかる。
 ありがとう、とお礼を言った…はいいものの、何故か岩泉が手を離してくれない。
 及川とはよく喋る―というかあっちからちょっかい出してくるから仲が悪くはないんだけど、岩泉とこうして一対一で喋る機会はめったにないから。まったく喋らないわけじゃないんだけど。



「体調でも悪いのか」
「いや、ちょっと立ち眩みかな」
「そういやお前顔色悪いな」
「んー、ちょっと暑くて…」


 特別仲が良いわけでもないのに、こうやって心配してくれるのはさすが岩泉といったところか。どっかの主将とはえらい違いだ。
 とは言っても暑いのはしょうがないし、俺だけじゃなくてみんな同じことだ。
 ちょっと休んだから大丈夫、なんて言葉を返せば岩泉はやっと手を離してくれたからよかったけど、腕組みしながら俺をじっと見ている。主に顔を。
 自分で思うより顔色悪かったのかな?
 なんて思っていた矢先、それは起こった。




「…ん、やっぱり。お前熱あんじゃねーの」

 こつん、と軽くおでこが当たる感触。俺の、おでこに。
 こんな至近距離にいるのはひとりしかいない。近くで岩泉の声がする。固まって声が出ない。
 ぴったりくっついたおでこはちょっと冷たいのに、顔がじわじわと熱を持つ。そんな俺に勘違いしたのか、悪い、と短く謝った岩泉がゆっくり離れていく。
 ちょっと休んどけ、ちゃんと水分とれよ。
 岩泉の言葉に返事をする前に、頭にぱさりと何かが乗っかる感覚。それをゆっくり掴むと、乗せとけ、と微笑む岩泉が見えた。




「あっれー? どうしたの、具合悪い?」
「…悪くない! 動く!」
「えっ、そんな必死にならなくても…顔色よくないよ?」
「平気だっ…て、」


 もう復活したのか及川がこっちにやってきて、俺を心配する言葉を掛ける。やっとか、なんて別に及川に心配されたかったわけじゃないけど。
 さっきの岩泉の笑顔が頭から離れなくて、やけになったように及川に返す。
 ああくそ、暑さに頭やられちゃったのかも。
 及川の声にも聞こえない振りをして、岩泉にありがとうってタオルを返すつもりだった俺の横で、珍しく焦るような及川の声が聞こえた。



「休んでろって言ったろうが」
「えっ、具合悪かったの? ちゃんと言ってよー!」
「及川、こいつ休ませる」
「オッケー。ちょっと監督とコーチに言ってくるねー」
「ちょ…!」


 今日の俺は運がないんだろうか。
 また―しかもさっきより大きくふらついたところを、岩泉に助けられてしまった。さっきと同じように、左腕をしっかりと掴まれて。
 小走りな及川の後ろ姿を追い掛けようとしても、しっかり掴まれた腕がそれを許してくれない。懇願するような気持ちで岩泉を見つめてみても、ただ黙って首を横に振るだけ。
 監督とコーチに話す及川の姿だけは確認できた。


「う、動けるって」
「ダメだ。倒れたらどうする」
「俺だけ練習しないわけには、」
「まだ顔熱いじゃねーか。いいから座ってろ」
「でもっ―」

 それに続く言葉が言えなかったのは、頬に感じた緩い熱のせいで。それが岩泉の手だと理解するのに、時間が掛かってしまった。
 また固まった俺に、大人しくしとけよ、と囁いた岩泉に座らされる。
 もう抵抗する力は残ってなくて、同じように頭に乗せられたタオルを今度はそのままに俯くしかなかった。



「横にならなくて大丈夫ー…って、さっきより顔赤くなってない?」
「もうやだ…岩泉がイケメンすぎてやだ…」
「なーんだ、そのせいか。岩ちゃんもやるねー!」
「うるさい顔だけイケメン」
「えっちょっとそれひどくない!?」

 誉めてんの貶してんのどっちねえ、と及川に肩を掴まれてぐわんぐわん揺さぶられる。
 待って俺一応今具合悪いの、さっき飲んだポカリ出そう。
 それを口に出せないまま、このまま揺さぶられたら吐く、なんて思っていたら蛙が潰れたような及川の声と鈍い音。
 病人相手に何やってんだ、と呆れたような声。
 ああ、きっと岩泉が及川の頭でも叩いたんだろう。


「いいから練習やんぞ。お前は座っとけ」
「ボール拾いぐらい…」
「…なんなら今すぐ帰らせてもいいんだぞ?」
「…おとなしくします」
「よし」



 俺の髪をくしゃくしゃと崩すように撫でる岩泉を見て、岩ちゃんお母ちゃんみたーい、なんて及川のからかうような声。
 いや、それは俺も思ったことあるけど。主に及川といる時の岩泉には。
 そんな及川に岩泉の声が低くなって、及川の襟首を掴んで引き摺るように離れていく。
 苦しそうにする及川をちょっと笑えば気が楽になった。



「…あっついなあ」

 俺のそんなつぶやきも、練習が始まればたくさんの掛け声に掻き消される。
 ぼーっと練習を見ていても岩泉にしか目がいかなくて、岩泉と目が合う前に膝を抱えた。
 具合悪いと思われたなら、もうそれはそれで好都合で。
 こんなの、はじめてだ。
 誰にも聞こえない小さな声は、俺も知らない熱を孕んでいた。




「あっちー…」
「あ、岩泉。お疲れ」
「おう。だいぶ顔色よくなったな」
「あ、タオルありがとう。洗って返すよ」
「いーよ。お前大して使ってねえだろ」
「いや、でも借りたし」

 何だろう、この自販機の前で微妙に小銭が足りなくて借りたから後日返すと言ったら受け取ってくれない感じ。
 確かにタオルはほとんど使ってないけど俺の頭に乗った限り、少しは汚れているはずだ。触った感じでは、湿ってはいないけど。
 なかなか引き下がらない俺に岩泉が短く溜め息を吐いたけど、俺だって引くつもりはない。
 今日は岩泉にお世話になってばっかりなのに、これぐらいはさせてもらわないと申し訳ないし。



「俺が押し付けたからいいんだよ」
「うっ…じゃあなんか奢る!」
「別にいいっての。それより早く元気になれ、頼りにしてんだからよ」


 じゃあ俺、着替えてくるわ。
 そう言い残した岩泉が、数回俺の頭を優しく叩いて離れていく。ちゃっかり俺の手にあった岩泉のタオルを回収するのは忘れずに。
 ま、負けた…。ていうか、何あの言葉。
 及川とか他の奴に比べたら俺なんか全然頼りなくて、岩泉は及川のことしか見えてないと思ってたのに。ずるい。
 俺は岩泉にこんなによくしてもらって、同じように返せるんだろうか。




「…っし、じゃあすみません、お先ー」

 監督とコーチに今日は早めに帰れよ、と釘を刺されたので俺はいそいそと着替えを済ませて荷物を持った。
 コーチに送るかと聞かれたけど、歩いて帰れない距離ではないのでお礼だけ言っておいた。歩いて通える程度の距離だし。でも高校に入ってからひとりで帰るのは、はじめてかもしれない。
 今日はさぼっちゃったようなもんだし、明日こそ頑張ろう。
 そう決意して一歩踏み出した俺の足を止めたのは、やっぱり岩泉だった。



「送ってく」
「えっ、いいよ。もう涼しいし」
「ひとりだと危ないだろ」
「女じゃあるまいし大丈夫だって」
「あのなあ…」


 急いで着替えたんだろうか。心配してくれるのは嬉しいけど、至れり尽くせりといっても過言ではないほど岩泉に世話を焼かれてはさすがに申し訳ない。
 それにいつも途中で別れるから、岩泉や及川が逆方向なのは知っている。
 疲れてるんだし早く帰りなよ。
 そう言い残して、また明日。そんな意味を込めて、ひらひらと手を振ったのに。
 二度あることは三度ある、とでもいうのか。また傾いた俺の身体は、今回だけ岩泉によるものだった。



「…っおぉ?」
「送ってく」
「俺の話聞いてた?」

 また岩泉に腕を掴まれてしまって。しかも今度は、ぐいっと引き寄せられるように。
 すたすたと歩く岩泉は手を離してくれないものの、俺を気遣ってくれているのかその歩幅はいつもより狭くゆっくりだ。それでも俺の腕を掴む手はしっかりで、ひとりで帰らせてはくれないらしい。
 それに、と囁いた岩泉に顔を上げる。


「…こんな風に、抑え込まれたら終わりなんだぞ」
「い、岩泉っ」
「男って言ったけど、自分より力の強い奴に迫られたら抵抗できねーだろ」
「っ、でも」
「あ? まだ何かあんのか」



 岩泉の顔が近くなる。それは今までのどれよりも一番で、おでこがくっついたその時以上に。
 身体を引こうとしても岩泉の手が離れる気配はなくて、それどころか空いた左手が腰に触れてぐっと引き寄せられる。
 まだ何か言おうとすればもっと顔が近付けられて、ないです、と言うのが精一杯だった。




「なんで、ただの部員にここまでしてくれんの…?」
「は? ただの部員にここまでするわけねえだろ」
「…はい?」
「お前になんかあったら俺が嫌だから。それだけ」

 それがどうした、みたいにけろりとした表情で言う岩泉に頭を抱えたくなった。
 これ、女子が言われたら絶対落ちてるやつだ。俺は女子じゃないけど、今ちょっと岩泉のことかっこいいって思っちゃったもん。
 そうですか、なんて口に出してみたものの棒読みよろしくの声は俺の動揺を隠しきれていない。
 なんでカタコトなんだよ。
 そう笑う岩泉の表情に、無自覚イケメンがちくしょう、とは声に出せず。
 別に、と言いながら顔を背けるのが精一杯だった。



「あ、花巻だー。おはよ」
「おー。もう具合大丈夫なの?」
「ばっちり! …とは言い難いけど、昨日よりはいいかな」


 昨日いっぱい迷惑かけちゃったし、今日こそは部活出るんだ…!
 意気込んで朝練に向かう途中、の道。見慣れた背中に声を掛け、横に並んでそのまま歩く。
 暑いのは相変わらずだけど、昨日ほど暑さにやられてないし。
 花巻にも迷惑かけてもごめんね、と謝ればおでこを押された。
 そういう時は心配かけてごめんねって言うでしょ、と言う花巻は心配してくれたらしい。
 元気になったならもういいいけど、と続ける花巻にふとした疑問をぶつけてみた。




「ねえ、岩泉ってもてんのかな」
「あー、人並みじゃない? なんで」
「なんか最近岩泉がイケメンすぎて申し訳なくなってきた」
「ああ…別に好きでやってるみたいだし、いいんじゃない?」

 確かに及川への扱い方から岩泉って世話焼きだなあ、とは思っていた。思っていたからこそ、今困っているのだ。
 気にすることないと思うけど、と返す花巻に会話を続ける。


「でも岩泉には及川がいるじゃん」
「…ん?」
「及川と岩泉っていつも一緒にいなきゃいけない感じがして…」
「あー…まあ、お前がほっとけないのは事実だけど」



 花巻からのストレートな言葉に、うぐっと喉を詰まらせる。
 花巻にもそんなこと言われるとか、どんだけ頼りないの、俺…。
 いや、別に頼りがいあるなんて言われるはずもないのはわかってるけど、高校生にもなって。
 目が離せないって感じ? と花巻が追い討ちを掛けてくる。
 それに肩を落とすと、ああでも、と声色を変えた花巻に思わず顔を上げた。


「及川に抱いてる感情とは違うと思う」
「どんな?」
「それを俺の口から言うのはちょっと」
「えっ、花巻はわかるんでしょ?」
「今お前にわからないなら、俺の口からは何も言えない」
「帰りシュークリーム奢るって言っても?」
「それは魅力的な誘惑だけど、俺だって友達のプライドぐらいは守るから」



 意味がわからないと首を傾げる俺に、花巻は珍しく曖昧な笑みを浮かべた。
 それどころか、シュークリームに花巻がつられないなんて…!
 これは岩泉頑張らないとなあ。
 部活のことだろうか。俺も頑張る、と拳を握れば花巻が溜め息を吐いた。
 えっ、なに。

「いーや? 強敵だと思って」
「? 俺、花巻より成績悪いけど」
「あーはいはい、俺も頑張ろうってね」


 鈍感って罪、ってよく言ったもんだ。
 大きく一歩を踏み出した花巻に追い付くのに気を取られて、理解できないその言葉は横に流れていった。
 学校まであと少し。岩泉に会ったらおはようって挨拶して、昨日のお礼して、今日は岩泉が俺を気に掛けなくていいぐらい頑張ろう。
 照りつける太陽は、今日もじりじりと焦げるように熱かった。





fin.

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