短編

マジェスティック・ハニー


 吠登城にはもう一人、女帝が居るという噂があった。
 玉面公主が正当な意味でのソレならば、彼女はその経歴や性格からそう評されていると言っていい。
 女の名は、色梦月。正式な立場は女帝ではなく、吠登城四博士のうちの一人である。

「――これはどういうことかしら、ニィ博士」

 穏やかな夜には似つかわしくない、底冷えするような声が響いた。
 薄明かりの中、眠りを妨げられた宝玉の瞳は、剣呑な光を宿している。

「何がかな? 色博士」

 一方、気配もなく彼女に覆い被さって見下ろす男――ニィ健一は、常の飄々とした姿勢を崩さず、その非難を受け止めていた。

「私の認識に間違いが無ければ、ここは私の部屋で、今は真夜中の筈だけど」

 ついでに言うと、彼と彼女は同僚であったが、夜更けに寝床を共にするような仲ではない。

「ボクとしてもそうでなきゃ困るなぁ。夜這いに来た意味がなくなるし」

 そう言って髪に触れる手が気に食わず、梦月は容赦なくその手を払った。
 寝起きとはとても思えない、意思の強い瞳が男を映す。昼間ならばいざ知らず――不法侵入犯に気を許す程、彼女の気位は低くなかった。

「疲れてるの、他を当たって」

 心底面倒だと言わんばかりに、梦月は膠もなく瞼を閉ざす。爽やかな朝を迎える為にも、この男に構っている暇は無い。

「大変だね、ストレス?」
「今、何時だと思ってるの? ストレスを感じているとしたら原因は貴方よ」

 尚も言い寄ってくる男の気配を、ピシャリとした口調で撥ね退ける。
 本来、職務外では関わりのなかった男だ。これまでにも何度か誘いはあったが、それがお遊びに過ぎないことなど、梦月は当初から理解している。
 何事にも感情の動かない男が、今更改まって何のつもりか。一瞬そんな考えが過るも、元より梦月とて興味はないのだ。

「あらら。それなら尚のこと、責任は取らせていただかなくちゃ」
「責任を取るのにどうして距離を詰める必要があるのかしら」

 寝返りを打ち、枕に片頬を埋めたところで、更に密着度が増した気がした。
 重い。果てしなく邪魔だし、鬱陶しい。
 けれど梦月は、言葉以外の反応を示さなかった。一瞥をくれてやるのも惜しい。こうしている間にも、夜明けは刻々と近付いているのだ。
 ――しかし。

「人間はキスをするとストレスが緩和されると言われてるけど、妖怪はどうかな」

 反応が無いのを良いことに、男の手は梦月の柔い唇をなぞった。そうして耳元で囁かれれば、いよいよ相手せずには居られなくなる。

「……試したいのならすればいいわ。舌が無くなるのを覚悟でね」

 言外に噛み千切るとの警告を漏らし、梦月は不機嫌そうに瞼を開いた。やはり近い位置にあった顔を押し退け、追撃の舌打ちも忘れない。
 瞬間――何が楽しいのか――満足そうに笑んだ男だったが、細められた瞳に宿る本気の色に、漸く少しだけ身体を離した。

「何でかなぁ。キミにはどうしてか無理強いする気が起きないんだ」
「賢明な判断ね」
「その賢明さを評価して、少しはその気になるとかないの?」

 再び寝入ろうとする梦月を阻むように、男の手が背中へと差し入れられる。文句を言う暇もなく抱き起こされて、梦月は形の良い柳眉を寄せた。

「健一、いい加減にして。私と話がしたいなら、日中いくらでもできるでしょ」

 先程の他人行儀な呼び方ではない。この日初めて、梦月は男の名前を呼んだ。
 別段、親しみも何もない。ただ、相手が自分を名前で呼ぶから、梦月もそれに倣い始めた。
 それ故に滅多に口にしないその響きは、男の存在を表すように胡散臭い。

「言葉よりカラダで確かめ合う方を希望でね」
「私はあの女公主とは違うもの、貴方の希望を通す義理は無いわ。今すぐ部屋から出ていかないと、日中も口を利いてやらないわよ」

 それから、確かめ合うことだって何もないわね。
 取り付く島もないとはこの事だろうか。噂に違わず女王然とした女の態度に、男はやれやれと肩を竦めた。

「つれないなあ。ボクのことを知りたいとは思わないワケ?」
「思っているように見えるなら、眼鏡を新調することをお勧めするわ」
「キミのそういう気の強いところ、とても好きだよ」
「ありがとう。好意を告げられてこんなに薄気味悪く感じたのは初めてよ」

 互いに、気のない言葉が次々と零れる。
 彼女がどうかは知らないが――こうやって滑らかに弾む会話を、男の方は確かに気に入っていた。
 何処までも、自分にしか興味がないという雰囲気の女。そんな傲慢なまでに真っ直ぐな態度は、珍しく男の気を引いているのだ。

「言い慣れない所為かな。貴重なんだからもっと喜んでくれてもいいんじゃない?」
「貴方の好きは観察対象に寄せる類のものでしょう。生憎、私は化学者からモルモットに成り下がった覚えはないの」

 煩わしそうに片手を振って、剥がれてしまった毛布を手繰り寄せる。
 昔から、梦月は自分の気持ちに正直だった。好きな時にやりたいことをして、何よりも自分の意志を尊重する。
 だからこそ、徒らにペースを乱そうとする、この男は本質的にいけ好かないのだ。……否。もしかしたら、薄っすらと似た部分もあるが故に、本能的に関わりたくない相手なのかもしれない。
 何より、この男の業の深さは自分以上だ。関わってしまえば最後、決して碌な事にならないと、梦月の直感が告げている。

「モルモットより、もっと即物的なものとして隣に降りてきてくれると嬉しいんだけど」

 ねぇ、梦月。
 そんな思考さえ邪魔するように、クセになるような低音で名前を呼ばれた。
 けれどそれで流される程、やはり梦月は愚かではない。

「堕ちて、の間違いでしょう。本当に趣味が悪いわね」

 徐にネクタイを引っ張って、そのお喋りな口を塞いだ。触れるだけ。体温の低い唇に、梦月のそれが押し当てられる。
 思えば、梦月から男に触れたのは、これが初めてのことかもしれない。

「ほら、これでおしまいよ。寝ぼけた烏はとっとと自分の巣へお帰りなさい」

 何事もなかったように唇とネクタイを放せば、珍しく男は固まっていた。その様子にほくそ笑み、梦月はにんまりと口唇を歪める。
 真意などあったものではない。単純に興が乗っただけだ。
 今日も明日も、今だって。ふたりにとって互いがどうでもいい相手であることに変わりはない。
 だけど確かに――安眠妨害のツケに足るくらいには、貴重なものを見れたかもしれない。
 少しだけ上を向いた気分のままに、梦月は再度毛布へと潜った。
 傍らに居る男のことなど、最早完全に意識の外だ。


マジェスティック・ハニー

(まったく、どこまで気付いてるんだか)
(これだから目が離せないんだよねぇ)

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最後、ヒロインが烏≠ニ言ったのは、彼がよく烏に餌やりしているのを知ってるからで他意は(多分)ありません。でも、怪しいとは思ってる。烏哭さんは巣の無い烏ですがこの場合は自分の部屋へお戻りってなニュアンスで。――さて、振り回されてるのはどちら?


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