短編

虚無に沈む


 嫌がってもいいよ、なんて。
 何て身勝手な言葉だろう。私の気持ちなど無視して進む行為は、いつだって私を置き去りにする。
 今、悪戯に肌を這う手そのものが、ニィ健一という人間の本質を表していると思うと、無性にやるせない気持ちになった。

「もう抵抗しないんだ?」

 ベッドの上に組み敷かれ、惰性に身を任せていると、真意の窺えない声が降ってきた。
 瞑っていた目を薄らと開ける。悲しくも見慣れた闇色の瞳が、無感情にこちらを見下ろしていた。

「無意味なことをするのには疲れました」

 なるべく乾いた声でそう零す。
 無意味。無意味だ。きっと全て、この会話すら。
 少しだけ昔を思い出す。
 始まりは、もっと酷かった。硬い床に押し倒されて、そのまま貞操を奪われた。
 暇つぶしか、それともまた悪趣味な実験の一環なのか。拒絶ばかり示す私の何が良いのか、以降も手酷い仕打ちは続いた。
 それを思えば今、きちんとベッドで事に及んでいるという状況は、随分マシであるように思う。
 相変わらず合意の下ではないが、確かに私は彼の言う通り、抵抗を示さなくなっていた。

 ふーん、と呟かれたつまらなそうな声音に、背筋をなぞる手とはまた違う理由で身体が震える。
 これが遊びでも実験でも、この人は私を見てなどいない。初めは恐ろしくて堪らなかったその事実が、いつからだか切なさへと変わっていた。
 ……いつからだろう。この行為の中に、彼を探すようになったのは。
 飄々として実態を掴ませない男の中に、自分を探すようになったのは。
 その、光を通さない闇色の瞳に。一度でも、私を映してほしいと願うようになってしまった。
 同時に、深く絶望もした。だってそれは、叶うはずのないことだ。
 現に今日も、この人の瞳に私は居ない。拒まなくなった本当の理由も、知れれば直ぐさま捨てられてしまう。
 私は、その程度の存在なのだ。

「どうして、私なんですか」

 驕るな、と警告する心とは別に、僅かな期待が首を擡げる。
 だって、貴方なら居るはずだ。もっと他に、良い人が。
 意外と面食いで、美人が好みなのも知っている。だのにこんなつまらない同僚を抱いて、貴方は何を満たしているの。
 ――もし、それが解ったら、私は少しでも報われるだろうか。

「――プッ、ククッ」
「何が、おかしいんですか」

 明らかな嘲りを含んだ笑いに、少しだけ感情を乱される。
 ああ、嫌だ、気付かないで。そう思うのに、声が震える。

「いや? 意外だなと思ってね」
「……意外?」
「理由なんて、求めるタイプじゃないと思ってたから」

 身体を弄る動作が止んで、代わりに探るような目が私を捉えた。一瞬前までの緊張が、言い知れぬ歓喜へと姿を変える。
 待ち焦がれたこの人の瞳が、今、間違いなく私を映している。身体を繋げる前で本当に良かった。
 もし、この身に彼を受け入れてたら、隠し通すことなど到底出来なかっただろうから。

「……いつも無理矢理されてるんだから、弁明くらいほしいだけです」

 そうだ、私は理由が欲しい。
 私に貴方を拒まなくなった理由があるように、貴方の中にある、私を相手に選んだ理由が。

「ああ、建前ってやつ? そんなもの、一体何になるの?」

 冷たく、素っ気ない言葉。今度はなんて返そうか。返答に窮し迷っていると、私を見下ろす瞳が愉しげに歪んだ。

「意味なんてないよ?」

 少なくとも、ボクにはね。
 嘯いて、私を玩ぶ男は嗤った。心臓を握られてしまったように、私は喋ることも、呼吸さえ出来ない。
 心を、見透かされたようだ。
 こんなにも理由を求める私の、この関係に意味を求める心を。いとも容易く不躾に掴んで、そして愚かだと言われた気がした。

「ッなら、私じゃなくたって……」
「あれ。またそこに戻るんだ」

 やっとのことで絞り出した言葉に、尚も面白そうな声で彼は言う。長く男らしい指が怖いくらい優しく唇を撫で、首筋を通って胸元に触れた。

「理由をあげようか」

 ドキン。再び鼓動が、煩く騒ぐ。しかしまだ、私は心臓を捕らわれたままだ。

「そうだなぁ。それじゃあ実験だとしよう」

 語るように残酷な言葉を紡ぐ。それは確かに、私が慈しみを覚える声で。

「キミが抱えてるキモチが全て。それが答えだよ」

 遂に視線すら遠のいて、鎖骨に唇を落とされる。これが狂気の沙汰ならば、私の知る絶望は、希望に過ぎなかったのかもしれない。

「だけど感情にカタチなんて無いから、この実験は無意味だねぇ」

 ほら、これが本当の絶望だ。

 答えはお気に召したかな? そう言って何事も無かったかのように、彼は行為を再開させる。だけどきっと、これが最後になるのだろう。漠然と、けれどそのくらいは、どんなに馬鹿な私でも解った。
 初めから、何も無かったと。知っていたのに、何故期待した。
 酷い彼。狡い人。
 求めた理由をくれないばかりか、私の理由すら取り上げて。それなのに何も、そう、初めから何も無かったように。
 貴方は私を、虚無へと堕とした。


虚無に沈む

(どうせなら、本当に心臓を握り潰して)
(このまま息の根を止めてくれたらいいのに)


−−−−−
最後の発言は、冒頭付近の台詞にも掛かっています。気付いていると思っていて本当は気付けていない女と、気付いていない振りをして本当は気付いている男の話。これがもし烏哭さん視点だったら「馬鹿だねぇ」で終わりです。


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