「――愛してるよ」
年齢の割にやたら整った顔立ちをした男が囁いた。
色気に満ちた心地良い低音が女の鼓膜を震わせる。
ベッドの上。男の真摯な表情に見つめられ、女――あたしは耐えきれずに噴き出した。
「〜〜ない! ないない! ごめん、烏哭……似合わなすぎ……っ」
こんなに笑ったのはいつ振りかっていうくらい、あたしはベッドの上で笑い転げた。
ああ、涙が出てきた。笑われた張本人――烏哭は、珍しく引き攣った表情を浮かべている。
「……ちょっと。自分から頼んどいて失礼じゃない?」
「〜〜ごめんってば。怒らないでよ。烏哭、性格さえ知らなければきっとすっごくときめいたと思う!」
先程までの情事の熱が一気に吹き飛ぶくらい笑ったあたしは、同じく、否、正反対の意味で熱を冷ましているだろう烏哭を必死の調子で宥めすかした。
事実、先程の烏哭は冗談抜きで絵になるかっこよさだったから、出逢って間もない頃だったならうっかり騙されていたに違いない。
「……じゃ、その気持ちを書けばいいんじゃない?」
「ええっ? 今のじゃちょっと難しいよ……。せめてもう一回!」
「何度やっても同じでしょ」
早々に切り上げようとする烏哭に食い下がるあたし。一体どうしてこんなやり取りをしているかというと、それはあたしの職業が発端だった。
あたしの職業は小説家。歴はまだまだ浅いけど、これでもヒット作を何本か出して名前も作品もそこそこ知られている売れっ子作家だ。
デビュー作からずっと、あたしが書いてきたジャンルはミステリー。しかしこの度、抱えていた連載も一段落したということで、急遽路線変更を思い立った次第だった。
ずばり、次に書きたいのは男女の恋愛をメインにした純愛もの=B未知の世界の物語に敢えて手を出すことを誓ったあたしは、丁度良く訪ねてきた烏哭三蔵法師様にあるお願いをしたのだった。
……シミュレーションしたいから、恋愛ごっこに付き合って、と。
「にしても、なんで急に恋愛小説なんて書く気になったワケ? いいじゃない、今まで通りミステリで」
煙草に火を点けながら烏哭が言う。
そりゃああたしだって、これまでに築き上げた作風は崩したくない。それでも新たな道に手を伸ばす決意をしたのは、あたしなりのプライドがあるからだ。
「ファンレターで言われたのよ! ペンネームも中性的だし作風や心理描写が男らしいので女性だと知って驚きました≠チて!」
シーツを手繰り寄せながら熱弁するも、烏哭は依然として不思議そうな顔をしている。
「……それで?」
「信じられないでしょ?! こんなにイイ女が紙面の向こうじゃ男扱いされてるなんて!!」
きー! とまるで烏哭を責めるように憤慨する。
手紙の差出人に悪意が無くとも、女としての、梦月≠ニしてのあたしは傷付いたのだ。
「イイ女は素っ裸で笑い転げたりしないけどねぇ」
「……何よ。もしかしてさっきの根に持ってるの?」
「まさか。てゆーかいい加減服着たら?」
「あたしの完璧なプロポーションに悩殺されちゃう?」
「あー……君って本当に残念」
はー、と大きな溜め息を吐いてそんな憎たらしいことを言う烏哭に、背後から思いきり抱き着いてやった。じゃれないの、と窘める烏哭だけど、自分だって上半身は裸なクセに。
……素肌と素肌が触れる感触は温かくて心地よい。文句を言いつつ引き剥がさない烏哭もまた、同じ気持ちだったらいいのになと、漠然と思った。
「……ねぇ烏哭。じゃあ、烏哭が本当に心から愛してる≠ニか言える人間だったとして、恋に落ちた女の子はときめいた後どう答えるもん?」
再度、烏哭に純愛の話題を振る。烏哭なら、人間の心理くらい軽々と網羅している筈だ。
「んー……赤面して黙り込むとか? 恋愛小説って少女漫画みたいなもんでしょ?」
「烏哭の口から少女漫画だなんて……!」
「梦月……さっきから僕のこと馬鹿にしてるの?」
「してないよ! むしろ先生として崇めてます!」
再び吹き出しそうになったあたしは、慌てて烏哭を媚びるように誉めた。
ダメだ。烏哭大先生とそのテの話は思いの外相性が悪すぎる。いや、想像以上に、と言うべきか。
……その後もまぁ、あーでもないこーでもないとベッドの上で議論を繰り広げ。結果、あたしはある一つの答えに辿り着いていた。
ちなみに、今は正面から烏哭に抱き着いてる状況。
「――うーん、じゃあ、行動原理を好きだから≠ノすればそれっぽくなるかな?」
好きだから=Bそれは我ながら魔法の言葉のように感じられた。
甘酸っぱい、その言葉だけで、無敵になれる魔法の言葉。……まぁ、あたしにはあまり縁の無い感情だけど。
「ああ、好きだから抱き合う≠ニか?」
呆れながら、それでも一応ちゃんと聞いてくれていた烏哭が言った。しかし、その行動原理はやっぱりあたしには解し難いもので、間抜けにもキョトンとしてしまう。
「え、セックスって気持ちいいからするんじゃないの?」
「…………」
真っ黒な目を見て尋ねれば、何故か一瞬押し黙る烏哭。
「僕とスる理由はそうでも、初めての時なんかは違ったんじゃない?」
数瞬置いて掛けられた言葉に、あたしは自分のハジメテの時を思い浮かべる。
アレは多分、あたしがまだ思春期の頃――。
「――ああ、確かに初めては好奇心だったわ」
「……君、根本的に純愛とか向いてないよ」
官能小説でも書けば?
そんな言葉があたしに届くのとほぼ同時。ドサリ。あたしの背には再びシーツの海が広がった。
「……なんで押し倒すの?」
「ん? 官能小説を書くんだったらひたすら実戦あるのみじゃない?」
「官能小説なんて書かないし! やっぱりあたしの完璧なプロポーションに欲情しちゃったんでしょ!」
「はいもう黙って。色気のない子は減点するよ?」
「な! ちょっと烏哭、待っ、ぁンっ」
――恋愛ごっこなんてお遊びじゃなくて、イイ女ならリアリティーを追求しなきゃ。
――誰よりも嘘臭い男がそういうこと言う?
――この行為に嘘は無いけど?
レンアイごっこ
(ただ愛を囁くママゴトよりも)
(もっと淫らで純粋な関係)