短編

キミ、マニア


「ねぇ、いつも楽しそうにしてるけど、疲れないの?」

 夕暮れの教室。早々に家路に着く者、部活動や委員会の類に奔走する者。それぞれが思い思いに飛び出していき今や閑散とした一室で、不意に凜とした声が響き渡った。
 黒板消しを滑らせる手を止め、そちらを見る。声を発したのは、現在この部屋に残る唯一の女子生徒、色梦月。
 正確には、現在俺達は二人きりで、日直当番という至極面倒な仕事に取り組んでいた。

「……何?」

 先程の発言を聞くなりまじまじと凝視していたら、それに気付いた彼女もまた日誌から顔を上げて俺を見た。
 自分から口を開いたクセに、その表情はまるで鬱陶しいとでも言いたげだ。

「いや……意外だなぁと思ってさ」
「何が?」

 再びチョークを落とす作業を再開させながら軽く返す。
 無駄に筆圧の強い字で綴られた化学式は、授業が終わればこびりついた汚れでしかなく実に不快だ。
 彼女の声もまた不快を表していて、この部屋には不穏が満ちていると思った。

「そんな小言を言ってくるタイプだとは思わなかったから」

 教卓を挟んだ距離で会話する。今度は俺の方が、背中に彼女の視線を感じる番だ。
 色梦月。顔立ちは美しく、密かに男子生徒からの人気も高い。比較的大人しい部類に入る上に、涼やかで思慮深い雰囲気を纏った彼女の口からそのような嫌味が飛び出すなんて。
 そう、ただの嫌味だと思ったのだ、最初は。

「小言? アナタ、何か勘違いしてない? 私はね、楽しそうなフリをするのは疲れないのか、って訊いたのよ」

 彼女の声は大きくもないのに澄んでいる為かよく通る。そして今日は饒舌だった。
 少なくとも、再び俺の手を止めて軽く目を瞠らせるくらいには。

「……どうしてそう思う?」
「一人になった瞬間のアナタ、一体どんな顔してるか判る? 能面だってもう少し表情豊かだわよ」

 振り返り改めて見た彼女の顔は、夕日の紅を受けて酷く妖艶にも無邪気にも見える。
 頬杖を着き、どこか挑戦的な眼差しを向ける彼女。ふと、その目に今の俺はどう映っているのか気になった。

「へえ……。まさか見抜く奴が居るとは思わなかったな〜」

 黒板消しを放り出し、くるりと身体全体で彼女を捉える。
 誰かと向き合って話すのはいつ振りだろうと考えるも、判らない。そのくらい長い間塗り固めていた本性を、あっさり見破った人間に興味が湧いた。

「やっぱりね。普段のは全て演技なの?」
「さぁ? 君の目にそう映ったのなら、そうなんじゃない?」

 見定めるように食い付いてくる彼女に、肩を竦めて言ってやる。集団という特性が如何に面倒で退屈かを。

「くだらないよ、何もかも。みんな何だってあんなくだらないことで笑えるのか理解出来ない」
 別段、したいとも思わないが。
 絆や友情だといって無意味に群れたがる集団心理は滑稽だ。そして皆、見えないモノに縋ってはそれが尊いモノであると疑わない。
 ――くだらない。

「……内心では、いつもそんな風に思ってたのね」
「いつも? これだって俺のほんの一部分でしかない。君は俺の何を知った気でいるの?」

 教卓に乗り出して一番前に座る彼女の顔を覗き込む。声と同じように澄んだ目が、臆することなく見返してきた。

「少なくとも。アナタがそうやって自分以外の全てを見下して生きてる性悪だってことは判るわ」

 なかなか的確な意見だと思う。彼女が俺を観て弾き出した答えは、確かに俺という人間の本質を捉えたものだった。
 だけど、俺の脳内でも幾つか追加事項が生まれる。

「アナタが今言った通り、人≠チて推し量るのがとても難しい生き物なの。自分だけが特別みたいに言うの、どうかと思うわ」

 色梦月は、クールに見えて直情的。
 毒舌というよりはストレートで気が強く恐らくは負けず嫌い。
 俺から絶対に目を逸らさないのがその証拠。

「初めてだよ。そんなこと言われたの。色さんって案外キツいんだ?」

 ククク、と笑って揶揄すれば、案の定彼女はその整った顔を顰めてみせた。
 ……意外と判り易い、も追加かな。

「何が可笑しいの」
「いや? 随分よく見てるな〜と思って。そんなに俺に興味あるんだ」
「はぁっ? 勘違いしないでよ、自意識過剰!」
「あ。新たな発見。実は照れ屋=B強気なのは照れ隠しかな。……顔、真っ赤だよ」
「――〜! 最低!」

 腕を伸ばし、顎を持ち上げるように頬へ触れる。教卓とその前に位置する机の距離は、清掃時の影響なのか今日に限りそのくらい近かった。
 夕陽の射し込む教室に、同じくらい赤い彼女の罵声が響き渡る。

「最低で結構。……そうだ、俺マニアな色さんは、俺の進路もご存知なのかな?」

 卒業間近……とまでは行かないが、高校三年生の秋。当然、卒業後の進路も定まる頃だ。
 しかしそんな問い掛けに、彼女は凄い剣幕で噛み付いてきた。

「知る訳ないでしょ、興味ないもの! 大体何なのよ、俺マニアって!」
「あら? 人の微細な表情の変化を逐一観察して更にその性格までを分析。充分過ぎるマニアじゃない」
「な……! たまたまよ! たまたまアナタの表情が切り替わる瞬間を見ちゃったの!」

 ガタンと勢いよく立ち上がる彼女。目線が一層近くなる代わりに、頬に添えた手は振り払われた。

「でも、その後も継続的に観察を行なってたワケでしょ? 意外と研究者タイプなんだ」
「けん、きゅうしゃ……?」
「そ。ちなみにコレ、さっきの話の答えでもあるから」

 さり気なく、先程の問い――俺の進路を彼女に語る。
 県内でもトップの高校に通う俺達はそれなりに期待もされてる訳で。その中でも更に成績トップの俺は、卒業後は留学して化学者を志すと決めていた。
 ま、どうせ簡単に成れるだろうから、志すという表現は大袈裟だけど。

「――俺もさ、好きなんだよね。観察するの。解明されるまでとことん研究するのもさ」

 君は研究しがいがあるよ。薄く微笑んでから耳元で告げれば、彼女――梦月は夕陽と融け合うくらい真っ赤な顔でひたすら何かを喚いていたけど。
 いち早く鞄を引っ掴み教室を後にした俺の耳には都合の良い部分しか聞こえなかった。

 ――健邑くん!

 高校三年生、卒業を控えた秋の夕暮れ。
 初めて君に名前を呼ばれて、灰色だった日々にも少しだけ朱色が射した気がした。


キミ、マニア。

(明日は君の進路を訊こう)
(俺の観察ライフはまだ始まったばかり)


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