「……どういうつもり?」
深夜0時。お伽話のお姫様は魔法が解けて灰被りに戻ってしまう時間。
良い子なら眠っているだろうこの時間に空気を読まず起床した烏哭サマは、寝起きの気怠げな声を更に器用にワントーン下げて思い切り不機嫌を露わにしていた。
「え? 何が?」
眉間に皺を寄せる烏哭サマ相手にキョトンとして返答出来るのは、あたし自身が彼とそれなりの仲であるからに他ならない。現に今あたし達は服を身に着けていないし、その事実は数刻前の熱い情事を証明していた。
そんな無防備な彼の上に跨ってその端正な顔を見下ろせる存在なんて、きっと世界中何処を探してもあたしだけに違いないのだ。
なのに、ねぇ、何をそんなに怒っているの? ダーリン。
「僕の寝込みを襲うなんていい度胸じゃない、梦月」
「やだなぁ、襲うだなんて人聞きの悪い」
「へぇ。じゃあ訊くけど、この手は何?」
いろいろと現実逃避してみたものの、烏哭の言うあたしの両手は、しっかりと彼の首に添えられていた。
困った、これは流石に言い逃れ出来ない。どうして力を入れる前に起きちゃうのよばか烏哭。
「烏哭の首を、絞めようとしてました」
大人しく手を放したあたしは俗に言う降参ポーズで彼の上から撤退し、慎ましやかにその質問に答えたのだった。
それからは無言の見つめ合い。先に折れたのは烏哭の方で、ハァ……と溜め息を吐いたかと思えば既にその瞳から不快の色は消えていた。
「――動機は?」
「動機?」
「理由もなく僕を殺す気だったの?」
漸く身体を起こした寝起きの烏哭は、当然眼鏡を掛けていない。深い漆黒の双眸は、レンズを通さないだけで随分とその威力を増していた。
不機嫌オーラは治まったものの、やはり安眠を妨害されたことを快く許してはくれないらしい。でも。
「何それ。あたしが烏哭を殺そうとして首に手を掛けたと思ってるの?」
「違うの?」
今度はまじまじと人の顔を覗き込んでくるものだから、思わずムッとして言い返してしまった。
「烏哭は、いつもあたしの首を絞めてるじゃない」
嘘じゃない。彼はいつも、情事の最中にあたしの首を絞めてくれる。そう、絞めてくれるのだ。
「君に頼まれたからね」
「だって、気持ちいいんだよ」
愛しい人の手で酸素を奪われる感覚。生を握られているという実感。
何よりも、酸素の足りなくなった頭で見る烏哭の顔が好きだった。
とても、愉しそうな表情。ねぇ、貴方は、気付いてる?
「本当に変態じみた性癖だよね。ま、面白いからいいけど……って、話が脱線してる」
君と会話するといつもこうだ、と呆れる烏哭が、どうしようもなく愛おしいと思った。
どんなに些細なことでも、この男のペースを乱せた瞬間はあたしにとって最高の快感なのだ。
「あたしがされて嬉しいこと、烏哭にもしてあげようと思ったの」
ぷくっと頬を膨らませて許しを乞うように擦り寄れば、今度は逆に――否、いつも通り、烏哭の手にあたしの首が捕まった。
「わざわざ、人が寝てる隙に?」
「だって烏哭、起きてる時は嫌がるじゃない」
実は以前、情事中に烏哭の首に手を伸ばしたことがあったのだ。あの時はバシリと手を叩き落とされシュンとした気分になったのを覚えている。
「当たり前でしょ。大体、嫌がられたって自覚があるなら喜ぶ訳ないのも判るよね?」
にっこりと。すっかりいつもの烏哭のペースに呑まれたあたしは、生憎と彼に言い返せるだけの頭脳を持ち合わせてはいなかった。
それにね、と首に手を掛けたまま微笑む烏哭。
「僕は梦月の苦しそうな顔を見るのが好きなんだからこれでいいの」
言葉と同時に力を込められ、途端に息が詰まるような感覚に落とされる。気道を外し、綺麗に動脈だけを圧迫されているため苦しくはない。
文字通り命を握っている右腕にしがみつき、段々と白い世界を迎える感覚はセックスと似ている。あたしは今、烏哭に支配されている――。それだけでとても満たされて幸せだった。
「ッハ、ぁ、う……けほっ!」
意識が落ちる直前で漸く力から解放される。それは少しだけ残念な気がしたけれど、あたしを見下ろす烏哭が相変わらず愉しそうだったからまぁいいかという気分にさせられた。
「……あたしに殺されるのは不満なの?」
不可抗力の涙目で頭に浮かんだ疑問を放つ。彼は望んでいるはずなのだ。捕食者であるが故に、自らを喰らってくれる存在を。
「そうだねぇ……。不満、かな」
一瞬驚きの色を示した烏哭は、暫く思案した後に少なからずショッキングな回答を告げた。
「どうして? あたしは烏哭になら殺されてもいいよ?」
「てゆーか殺されたいんでしょ? 僕に」
ニヤリという表現がピッタリの表情を浮かべた烏哭は、徐にあたしの顎を掬い取って目線を合わせた。
身を焦がすような漆黒に釘付けになる。
「だからだよ。君を殺すのは僕だから」
過去に囁かれたどんな嘘臭い愛してるより真実味を帯びた狂気の告白。
そんな彼に幾度目かも判らないが改めて恋に落ちてしまったあたしは、恐らく彼に着いて行ける程度には狂っているに違いなかった。
「――じゃあ、………だよ?」
今度はあたしが呪いを紡ぐ。決して解けない、契約の呪縛を。
「……え?」
至近距離で首を傾げる烏哭に向けて言ってやる。
シンデレラが残したガラスの靴は、運命の糸より頑丈な、ふたりを繋ぐ証だったのだと。
「あたしが生きてる限り、死んじゃダメだよ」
真夜中の契約
(あたしが生きる理由は貴方だから)
(貴方が生きる理由もあたしであって)