――軽んじて愛を嘯くクセに、貴方の言葉はこんなにも重い。
先ず初めに感じたのは、優しく髪を払われる感触。次いで体温の割に温かい指先が項を這い、更には無機質な冷たさが鎖骨付近に伝わった。
一体何をされているのか。少なくとも、首筋に感じた温もりをあたしは知っている。
そして、どうやら跨るようにして上に乗られているらしい。……こんな状況前にもあったなぁとか思いながら、あたしは重い瞼を開けた。
「やぁ、おはよう子猫ちゃん」
予想通りそこにはイケメンご主人様が居て、身体に感じた重みは気の所為ではないと知る。人の安眠を妨害しておきながら何がおはよう子猫ちゃん≠セとも思うが、朝一で美形を拝めたから良しとしよう。
「相変わらずかっこいいね烏哭さんおやすみなさい」
しかしやっぱり眠いものは眠い。一息で挨拶を済ませたあたしは、その他一切の考えを捨てて頭から布団を被ったのだった。
「……ああ、忘れてた。美音ちゃんは激しくされないと起きないんだっけ?」
仕方ないなぁとか言いながら、布団を押さえていた指を口に含まれ……たような感触。お陰で沈みかけていた意識は浮上し、身体を震わせる羽目になった。
指の間を丹念に舐められ、舌を這わせながら甘噛みされて……。ソレはただの指だというのに、何だかおかしくなりそうだ。
「〜〜っ! ちょ、や、起きるからやめてっ!!」
声を荒げ真っ赤になった顔を出せば、したり顔で手のひらを舐め上げられた。
「はい、おはよう」
「…………マス」
実に愉しそうな笑みを浮かべている烏哭さんに、本気で新しいご主人様を探そうか少し悩む。
「さて問題です。僕は何をしていたでしょう?」
そんな笑顔で問われても、今まで眠っていたのだから判る訳がない。
「変態師匠がナニしてたかなんて知るわけな……ひだだだだ!」
我ながらぶっきらぼうな答えを返せば、すぐさま頬を抓られた。……というと可愛らしい響きに聞こえるかもしれないが、彼は至って本気である。
「ひはいひはい! ふひょれふほひぇんにゃはいはにゃしへっ!」
千切れるんじゃないかというくらいの力で抓られ、不可効力の涙が零れた。情けとか容赦とかいう言葉を知らんのかこの男は。
「目は覚めたかな? 寝坊助ちゃん」
本当は睨んでやりたいところだが、ほっぺたが痛過ぎてそれどころではない。
「……お陰様でバッチリ覚めました」
それは何より、と鼻で笑う烏哭さんは稀に見る生粋のサドだと思う。
「取り敢えず起き上がりたいんだけど」
未だに烏哭さんに見下ろされた状態が続いているため、降りてほしいと訴える。寝転がったまま首を擡げるのは疲れるのだ。
「ちゃんと答えたら退いてあげるよ」
相変わらず横暴な烏哭さんに溜め息を吐き、今度は本気で考えてみる。
しかし、一向に答えは浮かばない……というか、浮かぶ訳がない。
「う〜……わかんないよ」
眉を下げて降参を呟けば、うーんと言いながら考え始める烏哭さん。いやいや、何で貴方が悩むんですか。
「じゃ、ヒントをあげる。その一。今日は何の日でしょう?」
長い指を一本立てて新たな問いを追加する烏哭さん。どうやらクイズは続くらしい。
仕方なく今一度考えるあたし。
えーと今日は……しまった。そもそも日付が解らない。
「……ほんとにすみません今日って何日ですか」
勇気を出して尋ね返せば、心底脱力した面持ちで溜め息を吐かれた。目線が君はそういう子だよね≠ニ語っていて何だか心が折れそうになる。
「三月十四日」
「あ! ホワイトデー!」
それでも教えてくれる烏哭さんに感謝しつつ、漸くあたしは一つ目の答えに辿り着くことが出来た。
「正解。じゃあヒントその二ね。……首許を触ってごらん」
「……え?」
訳の解らないまま、手探りでそこを触ってみる。すると、ざらりとした質感の――チェーン? みたいなものに行き当たった。
「――これ」
身を捩って、目線を下げる。そうすると、触れていたのがやはりチェーンだったこと、そしてそのチェーンの正体が美しいネックレスであることが判った。
……いつの間に。
――鎖骨付近に感じた無機質な冷たさ……あれはこのネックレスだったのだ。
「答え、判った?」
まるで、悪戯が成功した子供のような、それでいてとても優しい微笑を浮かべる烏哭さんに、自然と頬が熱くなる。
「バレンタインのお返しだよ。誕生日プレゼントも兼ねた、ね」
言いながら引っ張り起こされて、ベッドの上で向かい合う。しかし、それだけのことが今はとても恥ずかしく、あたしは視線をネックレスに戻した。
起き上がった状態で掬い上げると、先程より装飾がよく見える。
キラキラと、それでいて気品のある輝きを放つそれは、恐らくシルバーではなくホワイトゴールド。ペンダントトップにはあたしの誕生石であるアメジストが埋まっていた。
烏哭さんのことだ。確実に高価な品だろう。あたしが持つにはまだ早い代物なのではないだろうか。
そんなことを思っていると、ネックレスに沿うようにして烏哭さんに肌を撫でられた。
「思った通り。似合ってるよ」
嗚呼ほら、また。慈しむような、そんな視線。
「……っ」
きっと今、あたしの頬は林檎みたいに真っ赤だろう。
だって……こんな胸の高鳴り、知らない。
「感想は?」
「ん……大切にします」
相変わらず俯いたまま、とっさに浮かんだ言葉だけを口にする。言葉にして伝えないと、とはよく言うが、本当に伝えたい気持ちというのは存外に表現し難いものだ。
「……それだけ?」
あたしが一杯一杯なのを解っているクセにわざとガッカリした声を出す烏哭さんは狡い。
そして、そんな烏哭さんに精一杯想いを伝えたいと思うあたしはきっとどうかしてるのだ。
だけど……本当に嬉しかったから。
今だけは、言葉以上の想いが貴方に届くことを信じて。
「……すごく、嬉しい。ありがとう、烏哭さん」
今度はちゃんと顔を上げて言葉を紡ぐ。すると、満足そうな表情をした烏哭さんによくできましたと撫でられた。
「ちなみにソレ、ただのネックレスじゃないからね」
「 ? 」
「僕の力を込めておいたから……ちょっとやそっとじゃ切れないし、美音ちゃんを護ってくれるかも」
だから肌身離さず着けておくこと。と念を押され、改めて凄い物をプレゼントされたんだなと認識する。
「だから邪魔にならない長さにしたの?」
「んー、まぁ首輪だからね」
細い鎖を摘み尋ねれば、さらりととんでもない一言が返ってきた。
「……猫だから?」
最初は冗談として捉えていた呼び方が、不本意ながら板についてきた今日この頃。いよいよ本格的にペット扱いされ始めたのかと思うと先行きが不安だ。
「そー。美音が僕のモノっていうしるし」
言っていることは横暴なのに、頬を撫でる手はあまりにも優しくて。治まり掛けていた鼓動が再び大きく脈打って、無性に抱き付きたい衝動に駆られた。
「……烏哭さん」
「ん? どうしたの?」
背中にぎゅっと腕を回して、胸元に深く顔を埋める。嗅ぎ慣れた煙草の匂いが鼻孔を掠め、何故だかひどく胸を締め付けられた。
「……責任持って育ててね」
この温もりを手離せなくなりそうで。
頭の中に浮かんだ文字を、ただひたすらに否定した。
(逃がさないで、捨てないで)
(ずっと側に置いていて)