口溶けの魔法

口溶けの魔法 (1/2)


 ――恋は錯覚、愛は幻。では、目の前の貴方はなんでしょう。


 午前六時より少し前――いわゆる早朝と呼ばれる時間に目覚まし時計のテロを受けて目を覚ます。
 低血圧で夜型な人間にとっては最も辛い時間帯。しかし、今日のあたしには早起きしなければならない理由があった。

「うー……眠い……」

 ぐーっと伸びをして、ベッドにリターンしそうになるのを堪える。気を抜いたら二度寝してしまいそうだ。
 ワンピースタイプのパジャマから普段着に着替え、更にエプロンを着用する。顔と手も洗って、準備は万端。
 ――そう、本日は女の子の一大行事・聖バレンタインデーだ。

 そもそも桃源郷にバレンタインがあったことに驚いたが、お陰でラッピング用品も入手出来た。昨日は烏哭さんが出掛けていたから、いろいろと動きやすかったのだ。
 そんなこんなでキッチン入りして、真っ先に向かうは冷蔵庫。何を隠そう、この中には昨日作っておいた渾身の力作――手作りチョコレートが眠っている。

「うん、完璧!」

 慎重に取り出したバットの上には、綺麗に固まった数種のチョコ。念のため一粒味見してみると……うん、我ながらとても美味しい。
 深夜に帰宅した烏哭さんが冷蔵庫を覗くことはまず無いので、予め作っておいて正解だった。きっと見られてはいないはずだし、今から渡すのが楽しみになる。

「さーて……早速ラッピングしようっと」

 贈るなら包装まで美しく。
 バレンタインは仕上げまで気が抜けない。


+ + +


「あれ、……美音?」
「あ! 烏哭さんおはよう〜」

 あれから約一時間後、待ち人がリビングに下りてきた。
 烏哭さんは、あたしが自分より早く……というよりこの時間に起きていたことに驚いている。

「……おはよう。こんな早くからどうしたの?」

 本当に珍しいモノを見た、と言わんばかりの目を向ける烏哭さんに、あたしは得意げな笑みを浮かべる。

「今日は特別な日だからね、早く烏哭さんに会いたかったの」
「え?」

 背中に例のチョコを隠し持ち、ソファーに腰掛けた烏哭さんに近づく。
 別に、チョコを渡すタイミングなんていつでもいいと言えばそれまでだけど。それだと冷蔵庫は開けられちゃうし、ラッピングを済ませる時間もない。つまりサプライズは失敗してしまう。
 何よりせっかく張り切ったのだし、早く反応を見たいとも思った。だったらもう、苦手でも早起きするしかなかったのだ。

「はい、ハッピーバレンタイン!」

 言葉と同時に上品な濡羽色の包みを差し出す。
 正方形で、リボンは細身の紺と銀。相手が烏哭さんなのでシンプル路線で仕上げてみた。

「……もしかして、コレ用意するために早起きしたの?」
「うん、ちゃんと手作りだからね! 材料は昨日揃えたの」

 意外にも予想外だったようで、あたしとチョコを見比べる烏哭さん。だけどそんな表情も、直ぐにいつもの何を考えているか判らない笑みに変わった。

「開けていい?」
「もちろんっ」

 スルスルとリボンを解かれていくのを、あたしは内心そわそわと見守る。包装紙も破かないように剥がしてくれて、その丁寧さが少しだけ嬉しい。
 そうして開かれた箱の中には、七粒のチョコが三段で並んでいる。

「へぇ。洒落てるね、トリュフチョコだ」
「うん。一種類だと味気ないから、いくつか用意してみたんだけど…」

 言葉の通り、それはトリュフチョコだった。よくあるココアパウダーを纏ったものや、キャラメルガナッシュを使ったほろ苦風味。変わり種だと、フランボワーズやピスタチオも使っている。
 誰かを想ってのお菓子作りは思いの外楽しく、ついつい張り切ってしまっていた。

「……美味しい。コレ、ブランデー?」
「そう! 烏哭さん洋酒も好きでしょ? ……置いてあったの勝手に使っちゃったけど」

 まずは定番のココアを摘まんだ烏哭さんが、早速感想を漏らしてくれる。あたしは嬉しくなって隣に陣取り、それぞれに説明を加えていった。
 烏哭さんはよく新発売のジュースとかも買ってくるけど、リビングに設置された棚の中には、高そうなお酒だって並んでいる。今回はその中から数種類、洋酒を少しずつ拝借したのだ。

「お菓子作りも上手いんだね」

 感心した様子で褒める烏哭さんに、恥ずかしくなってえへへと笑う。

「そりゃー女の子ですから」

 少なくとも烏哭さんの前ではね。
 何となく思った一言は、別段声に出す必要もないので心の裡に留めておいた。

「美音も一つ食べる?」
「え? いいよ、さっき味見したし」

 珈琲でも淹れようかなと考えたところで、烏哭さんから思わぬ一言があった。でも、これは烏哭さんにあげたものだし、大した量も入ってないのに貰うのは……。
 しかし、チョコを一つ口に含むと、お構いなしと言った風に近付いてくる烏哭さん。

「……こうすればもっと美味しくなるかも」
「……は? え、ちょ……」

 何となく先の展開が読めて身を引こうとはしたものの、素早く腕と腰を取られてしまえば逃げることは敵わない。そして――何となく烏哭さんが笑った気がして、あたしはあっさりと力を抜いた。

「……んッ」

 思った通り重なる唇。何故だかいつもより優しいソレに抵抗もせず唇を開けば、舌と一緒にチョコレートが入ってきた。

(……あ、フランボワーズ)

 認識した途端、焼けるような甘さが口内に広がる。思わず舌を絡めると、微妙に原型の残っていたチョコが少しずつ溶けてなくなっていく。

「ふ、ぁ……んぅ……」

 アルコール混じりのキスというのはここまで意識を蕩けさせるものなのか。
 流れ込んでくる液体を零さず全て飲み込めば、最後にペロリと唇を舐めて漸く烏哭さんは離れていった。……こんな風に、何かを口移しされるなんて初めてだ。

「ね? 美味しかったでしょ」

 押さえられていた腕を離されたため、そのままへたりと力が抜ける。座ったまま支えてくれる烏哭さんは、やはりいつもより優しい気がする。

「……、甘いね」
「そりゃあ、チョコだもん」

 正直な感想を漏らせば可笑しそうに笑われた。余韻を感じる温もりと、更には烏哭さんの香りも相俟ってクラクラする。

「……酔いそう」
「僕に?」

 尚も面白そうな表情(かお)で訊いてくる烏哭さんに、複雑な想いが押し寄せてきた。
 いつも、心にも無いことを平気で言うから質が悪い。他人にも自分にも興味がないクセに、その気にさせるような言葉を紡ぐ。

「……ぜんぶに」

 そんな、愛とはほとほと無縁な男に素直な気持ちを吐いたところで、欠片も届かないのだろうけど。
 それでも素直になってしまうのは、本当に何もかもに酔っているから。

「美音ちゃんお酒弱いもんねぇ」

 頬をするりと撫でながら、わざとズレたことを言う烏哭さん。すっかり見知った体温は火照った頬にも心地良く、蕩けていた思考も徐々に落ち着いてくる。

「烏哭さんが強いんだもん」

 やっと整った呼吸に安堵し、手のひらに一度擦り寄ってからそっと離れた。
 うん、もう大丈夫。結局あたしと烏哭さんは、この曖昧な関係がちょうどいいのだ。

「それにしても……美音の世界にもあったんだね、バレンタイン」
「うん。あたしもびっくりした」

 発祥は西の彼方だろうが……それが伝わってくる辺り、流石文明ごちゃ混ぜの無法地帯・桃源郷。
 もしかしたら、あたしの世界とも繋がりがあるのだろうか。

「あ、でもそれらしい事したのは初めてだよ。家族にも友達にもあげたことないから、超レア!」

 一応、親友と呼べる男は居たのだが……あまりそういった話題は上らなかった。
 お姉ちゃんにもあげたことないし、正真正銘烏哭さんが初めてだ。

「へえ……。ってコトは本命?」
「うーん、そうなるのかな? あたし、烏哭さん好きだしね」

 義理か本命かと言われたら本命だろう。そもそも、義理チョコを作ろうと思う人間なら毎年みんなに配っている。
 かと言って恋愛感情は無いんだけど……あれ?

「――それなら、ちゃんとお返ししなくちゃね」

 あれこれ考えていると、意味深な言葉が耳に入った。
 ――質の悪い大鴉の魔法に掛けられるのも、そう遠い話ではないのかもしれない。


* * Happy Valentine * *

(言葉よりも確かな甘さを頂戴)
 

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