偽善を1ドルで買う男(現代パロ)



 目の前に札束を積まれ、復讐を依頼されたのはもう1ヶ月も前のことだ。新たな事業の立ち上げを目前に、組織からの脱退を申し出た男に制裁を加えるのだという。
 前の晩に女に捨てられ、宛先のないヒモだった俺は、路地裏で出会った幸運に当然すがりついた。前金をせがむついでに寝る場所がないと訴えると、片目のないその男は1ヶ月だけ部屋に泊めてやると応えた。男のヒモになるのは初めてだった。

「この男を見張れ」
 部屋に着くなり渡された写真には、殴り書きで河上万斉とあった。指定された建設現場で働きながら、そこで働くこの男の動向を探れとの御命令。
「…金もらっといてこんなこと聞くのもどうかと思うけど」
 男は椅子にもたれ、煙草に火をつけた。俺の声には振り向かない。
「あんたさ、なんでこいつにこだわんの?仕事する奴の埋め合わせなら探せばすぐ見つかるんじゃねぇの?」 ふーっと煙をはき出した。男は何も答えなかった。俺素人だしそいつにバレるかもよ、とだけ伝えて、俺も少ない自分の荷物を鞄から取り出す作業に入った。男二人が生活するには広すぎるこの部屋で、俺は1ヶ月を過ごすのだ。
「…お前、名前は」
 唐突に男が言葉を口にした。
「…坂田、銀時」
「銀時、てめぇは俺に言われた通り動いてりゃいいんだよ」
 煙草を灰皿に押し付けて、男は立ち上がった。不思議な引力を纏った男だ。動作ひとつひとつに目が離せない。
「あんたはなんてーの?」
 高杉だ、と一言残して男は出て行った。

「何故拙者を見張っている」
 俺の予想通り、河上は俺の視線に気づいた。あれから一週間目の朝のことだ。
「見張りを言いつけたのは、高杉晋助だろう」
 肯定も否定も出来ず、俺はただ黙っていた。そんな俺を頭から爪先までじっくり見た後、河上は言った。
「気の済むまで監視すればいい。拙者は晋助の所へは戻らん」
 必死な目だった。俺は無意識に分かったと声を漏らしていた。


 この広い部屋にも、高杉という男にももう慣れた。
「ただいま」
 挨拶に返事をくれたことは一度もない。だがいってきますと伝えたあとの少し寂しげな目は印象的だった。
「バレたぜ、あいつに」
「…そうか」
「え、それだけ?いいのかよ」
「仕方ねェだろ。…戻ってこいと伝えろ」
 最初からそれが目的だったのだ。俺は確信した。復讐するのだと言いながら、具体的な行動に出る気配はない。素人の俺に見張りだけを言いつけ、わざと男に知らせる。お前は監視されているのだ、戻ってこい、と。 だが河上はそれでも戻らないと言い張った。
「…分かった」
 もう戻ってこないと思うよ。そのことばは言えなかった。どうしてなのかは分からない。

 河上の返事は変わらなかった。それでも俺は高杉の言葉を忠実に伝え続けた(金に対する義理の為だけではなかったと、今になって思う)。
 期限の1ヶ月も、残り十日となっていた。依然として“復讐”の命令はなく、俺は高杉に引き寄せられる感覚に戸惑っていた。

「拙者は明日、ここを発つ」
 返事の代わりに聞こえた言葉に驚いた。
「それ、俺に言っちゃっていいの?」
「晋助に言っても構わないでござる。ただ…」
 少し言葉を詰まらせて言った。
「晋助に、本気にならない方がいい」
「自分に言ってんの?…俺に言ってんの?」
 高杉は男だ。女になんぞさらさら見えない。だが何故か惹かれてしまう。それがわかるから、俺は河上の言葉の意味を理解出来る。
「晋助を好きだと気づいたとき…」
 河上の腕が小さく震えていた。何かに耐えるように数秒間をあけてから、静かに言った。
「急に、怖くなったんでござる。このまま死ぬまで離れられなくなる気がして」


「あいつ、ここから離れるんだって」
「……そうか」
 煙草をくわえ目を閉じたその表情には諦めがあった。
「そうかって…いいのかよあんたは!」
「………」
「こたえろよ!」
「………俺は、」
 ヒュッと音がなった。互いに困惑し無音。高杉は俺を見つめたまま、自身の口元に手をやった。呼吸がおかしい。
「どうした!?」
 俺が駆け寄る少し前に、床に崩れ落ちる。息を吸い込む音は広い部屋に忙しなく響く。高杉の目は潤み、混乱で視点が定まらず、瞳は左右に揺れていた。
「高杉!」
 過呼吸。酸素に溺れるその姿に、俺は堪らず高杉の鼻を塞ぎ、唇を押し付けた。
 俺の吐く息で、高杉が呼吸する。まるで無重力のような感覚だった。高杉の呼吸が元に戻っても、俺は唇を離せずにいた。


「…………」
「俺、出てくね」
「……待てよ」
 高杉が眠っている間に荷物を詰めた。この部屋から出て行くつもりだった。
「まだ、契約期間が残ってる」
「…うん、ごめん。だから残りの金はいらない」
「当たり前だ」
「だよね、はは」
 高杉の目に寂しさを見つけた。その片目に吸い寄せられる。
 俺は高杉を抱きしめた。ベッドに座る高杉をこれでもかと抱きしめた。
 大丈夫だ、俺はまだ辛うじて大気圏外にいる。
「でもさ〜、俺これ以上あんたといると無理矢理ヤっちゃいそうなんだけど」
「あ?」
「…だからここから出てくね」
「は、馬鹿じゃねぇの」
 高杉の背中を撫でながら言った。偽善だった。同情による行動。そうだ、これはまだ愛情じゃない。
 俺から身体を離し、高杉は一枚の紙切れを取り出して言った。
「やる」
「…なに?」
「…俺の貞操代」
「なにそれ、笑えねぇな」
 それじゃあ、と俺は高杉の目を見ないまま離れ、扉に手をかけた。返事はない。
 引力に逆らいながら、俺はその部屋をあとにした。






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