8.プロメテウスの火
耳を塞ぎたくなるようなサイレンの音が魔道院一帯を支配している。
エントランスでは戦前の兵士達が慌ただしく走り、すれ違いあるいは互いを鼓舞し合っていた。
そんな落ち着きの無い空間を横切りながら、ユヅキはひとつの魔法陣へと吸い込まれた。
途端に感じるこの身の冷たさが心地良い。この教室は2つの世界をつなぐ境界線のようなものだ。やはり自分はこちら側なのだと、嫌でも実感する。
「ナギ、そろそろ時間よ。」
「ああ。そんで?クリムゾンの内容は?」
「奪還作戦の開始と同時にクリムゾン発令。目標は白虎の通信兵、"楔"ね。目的はアクヴィとコルシの情報入手。それとその後始末よ。」
「通信兵がそんな簡単に口を割ってくれんのかねえ?」
「そこを何とかするのが四課の仕事でしょう?」
「はは、そりゃそうだ。」
このやり取りは最早四課の常套句だった。任務がどんなに無茶だろうが慈悲はない。成功の反対は死である。文字通り、”何とか”しなくてはならないのだ。
「あ、ちなみに支給品だけど。これ、片道切符だから。」
私はテレポストーンと呼ばれる石をコロコロと手のひらで転がした。それを見たナギはオーバーリアクション気味に手を振り、からかうような動作を見せた。
「おいおいアフターケアがまるでなってねえんだけど!」
「あんたねえ…四課に入りたての候補生じゃないんだから。今回は場所も近いし、しょうがないでしょ。支給品までは私、そんなに口出せないもの。欲しいなら自費でどうぞ?」
「ああわかってるって。冗談だよ、冗談。ま、潜入自体は楽そうだし、サクッといけそうだよなあ。」
「いつものよりは、ね。さ、そろそろいくわよ。」
見れば開戦の時間はすぐに迫っていた。ユヅキ達はテレポストーンをかざすと、その場から音も無く消え去った。
「よっと。人影は…ないな。」
「丁度いい場所にテレポできたみたいね。よし、とりあえず行こう。」
「おう。」
一本道の薄暗い裏通りを小走りに進む。ユヅキ達の足音だけが一際大きく響いている。それくらい、人の気がなく静かであった。
「ほんと、白虎も兵の余裕がないのな。」
「まあ、あっちからしたらもう朱雀は手中の内だったはずでしょ。実際0組がいなかったら魔道院を守りきれなかったでしょうし...待って。」
ユヅキは並走しているナギを右手で制すると、上り途中の階段で息を潜めた。
階段を上がった先は二手に分かれていて、右に真っ直ぐ進む道を覗くと少し離れた所に建物があった。その近くの階段には武装した白がポツポツと見える。兵は遠くから見ても分かるぐらいに慌ただしく動いていた。もう0組が近くまで進軍しているのだろうか。
「あそこ…多分防衛線かなにかね。目標は中にいる可能性が高いけど…正面からは行けそうにないわね。」
「ああ、1番兵が集中してそうだしな…こっちが裏側に続いてる。回り込んであの建物の中に入る道を探すか?」
「そうね。外の兵に気づかれると厄介よ、なるべく中だけで事を済ませましょう。」
"了解"とナギが肯定の意を表すと、2人は音を立てずに階段を上がり、回るように人気の少ない道へと急いで歩いていった。
「ここね……」
丁度建物の裏だった。周りに人影はなく、身を隠すようにして半開きの窓を覗くと、防衛線の指揮官とみられる人物とその護衛。そしてやはり、背中に通信機器を背負った楔がいた。
「兵が2人と指揮官1人。そして楔……楔と兵1人は私がやるわ…ナギ、いくわよ。」
ユヅキはゆっくりと深呼吸をした後に3、2、1と指でカウントダウンをする。0のカウントでユヅキが窓から侵入すると、腰元に付けていたスティレットで的確に首を狙った。思惑通り、目の前の兵は一言も発する事が出来ず絶命した。そして流れる様な動作で連絡しようとしていた楔の首に突きつける。その銀塊を首に当てると、ひっと喉を動かし手を止めた。
ユヅキに続いたナギも愛用している大ぶりな携帯ナイフを巧みに扱い、指揮官を含めた2人を抵抗する間もなく始末した。
「さて…なんで貴方だけ殺さなかったか、分かるわね?」
ピクリと体を震わせたが、言葉は発しなかった。
徐にナギが近くに寄り、楔の頭防具を乱暴に外す。男は恐怖を浮かべていた。
「ああ外が騒がしくなってきたわね。このままだと此処が落ちるのも時間の問題かな……吐く情報次第では、離してあげてもいいわよ?今ならアクヴィやコルシに連絡すれば間に合うんじゃないかしら。」
「……」
「なあ、ここでやるより魔導院帰ってからゆっくり吐かせるんでもいいんじゃねえ?殺るのはその後からでも遅くないだろ?」
「まあそれでもいいけれど…待ちなさいよ。」
甘い言葉を持ちかけたが尚も口を開く事はない。中々訓練された男だ。しかしやはりその男はどこか心の内で助かりたいと思っているのだろう。ナギの物騒な話に顔は青ざめていたし、身体も震えていた。あともう一押しだった。
ユヅキが突きつけているスティレットで首筋に赤い線を1つ付ける。線からは赤い液体がスッと流れ、男の服を汚した。
「貴方にいい事教えてあげる。私達、こういった事だとか、暗殺を生業にしている職についてるのよね。まあ白虎にも似たような隊があると思うけど……ああ、勿論仲間は私達以外にも沢山いるのよ。今もみんな、それぞれの任務についてもらってるわ。……そういえば貴方……」
「な、なにが言いたい......」
「確か家族が居たわよね?」
この小さな建物の空間が凍りついたようだった。
彼は目を見開き、ああ...と声を震わした。
「今も白虎にいる仲間に伝えようかしら...貴方と一緒に皆殺しになる?」
「ま、待ってくれ!は、話す。話すから.....」
「あらそう?いいわよ。待ってあげる。全部貴方が知ってる事、吐きなさい。」
遂に彼は恐怖に落ちた。アクヴィやコルシがマクタイ同様に軍編成で手一杯である事。その先のトゴレス要塞を重点的に固めている事。お釣りが出るくらいの情報を漏らしてくれた。
「知っているのはこれで全部だ。こ、これでもういいだろう…だから……」
「ええもちろん。これだけ話してくれたし、そんな非情な事しないわよ……だって貴方を殺したらそんな事をする意味、忘れちゃうでしょう?」
男は喉仏に剣を突き刺され崩れ落ちた。通信機器を背負った男は楔で、今回の目標だ。その男が死んでいる。
それは任務の完了を意味していた。
「さ、終わったわね。帰るわよ。」
「なあ、さっきのアレってよ。」
「ええ、ハッタリに決まってるじゃない。思いつきよ、思いつき。」
「は、さすが隊長だわ。俺何もしてねえもん。2人もいらなかったんじゃね?」
「褒めても何もでないわよ?私1人で4人は相手できなかったし。ナギがいて良かったわよ。」
気づけば外の銃声は鳴り止んでいた。
建物の扉を開けると、目につく白い兵は皆、地に伏している。先に白虎の司令部があると思われる道を見やれば赤いマントの候補生が何人か走っていた。
「0組も順調みたいね。」
「ああ、あの人数で良くやるもんだわ。」
「そうねえ。これからの戦争で引っ張りだこね。クリムゾンまで任されて、どうにかならないといいけど。」
「結構気にしてんのな。0組の事。」
「まあ、同じ任務するわけだし…それにまだ若いじゃない。」
「俺とそんなに変わんねえけどな?
でも後は…隊長がクラサメさんだから、もあるだろ?」
からかうようにナギはへらりと笑った。任務の最中は至って真面目なのに終わるとすぐこれだ。
「事あるごとに言ってくるわよね、それ。次言ったら怒るわよ?
ただ普通に心配してるの、こんな仕事するのは私達だけでいいじゃない。ナギは私より前から四課にいるんだし分かるでしょ。」
「あーはいはい次から気を付けるって。そんな事より。それは同感だわ。……嫌な仕事だよな。」
こんな血に塗れる仕事など。ユヅキは返り血を浴びてしまった四課の服を他人事の様にただ眺めながら、そう思った。覚悟が無ければとてもじゃないができない事だろう。
普段ヘラヘラしているナギだって。私だって。
相応の覚悟をしている。
それ程に、重い仕事だ。
「……さ、もう戻ろうか。私達の出番は無さそうだし。」
おう、と肯定を示したナギと一緒にひと足先に魔導院へと帰還した。
マクタイの奪還は程なくして成功を収める事となった。
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