7.同じ世界の君は立っているか
クリスタリウムの扉を開けると、片隅でトンベリとユヅキが戯れていた。というよりもただユヅキがトンベリの頬をつついたり伸ばしてみたり……されるがままになっているだけだったが。しかし魚のような緑の尾をゆらゆらと振っている辺り、満更でもないらしい。
武官になってからというもの、こんなに和やかな雰囲気を感じさせるユヅキは初めてかもしれなかった。少しだけ私の従者が羨ましく思えた。
「すまない、待たせたな。」
「大丈夫。そんなに待ってないわ。それで、その……クラサメの部屋に、行くのよね…?」
「ああそうだが。嫌か?」
「そんなことない。なんか、珍しいなって思っただけ。」
「まあ、そうかもしれないな……気分だ。」
私は何それ、と苦笑いするユヅキに、いや正確にはユヅキに抱かれているトンベリに手を差し伸べた。
しかしトンベリはユヅキの腕の中から離れようとしなかった。そうかそうか主よりも久しぶりに会った彼女の方が良いのか。挙句の果てには主を無視して金色の瞳で彼女を見つめる始末だ。一体こいつは誰に似たんだか。
隣でユヅキが肩を揺らしているのが見えた。どうやら表情に出てしまっていたらしい。
「ふふ。トンベリ、久しぶりだからかな?いいよ、このまま抱っこしていくから。」
「全く……早く部屋に行くぞ。」
自然と足早に前を歩くクラサメに、再度ユヅキは肩を揺らした。
「あっきたきた!待ってたのヨ〜!」
ここはクラサメの部屋ではなかったっけ。
ドアを開けると、ひらひらと手を振りながらにこやかに笑う友人達が座っているのが見えた。
なるほどこれは計画的実行だったのか。それなら確かにクラサメがいきなり誘ったのも頷ける。横目でこいつめ...とクラサメを見るが、当の本人は自室の部屋の表札を何度も確認していた。ん?あれ?
どうやら彼も2人が来ている事は予想外だったらしい。
「ほら2人共、早く入って入って!」
「……おいどうやって入った。」
「え?部屋の鍵かかってなかったから入ったんだけど……クラサメくんがユヅキ君を誘うから僕たちにも一緒にいて欲しくて故意に開けといたんじゃないの...というかその相談してきたのクラサメくんからじゃないああちょっと待って!ここで氷剣出したら危ないって!」
「それ以上いうな。」
相談?クラサメが?私の事で?
ずかずかと部屋を進み容赦なく氷剣を目の前の友人、カヅサに突きつけるクラサメに説明を求めようとしたが、有無を言わさぬ表情だったので諦めた。
思い上がりすぎか。私だけの為に、だなんて。
そんな険悪なムードなクラサメ達に割って入ったエミナが軽い口調で笑いかけながら言う。
「まあまあ私達もユヅキに会いたかったんだし、いいじゃない!と、いうより!ユヅキも酷いじゃない、クラサメくんにだけ会っててサ!」
「あーいやえっと…クラサメと会ったのも何というか不可抗力だし……それにほら、忙しかったから……」
「魔導院に戻ってたのも知らなかったんだから!帰った時に一言ぐらいくれても良いじゃない?」
「う…ごめんってエミナ。」
「とりあえず。ほら、ユヅキ君も座ったらどうだい?クラサメくんも、そろそろその氷剣を仕舞ってくれると嬉しいんだけどなあ……」
クラサメが仕方ないとばかりに大きな溜息をひとつついてから氷剣を消すと、私達は2人の友人に向き合う形で座った。トンベリも私達が座るなりクラサメの膝に飛び移って腰を落ち着けた。
すぐ隣にクラサメが座っているのが何だか少し居心地が悪くて身体が少し強張ったが、それでもこの空間から抜け出したいと思わないのはやはり昔からの友人がいてくれているからか。
「いやあ、にしても久しぶりだねユヅキ君。元気にしてたかい?」
「ん…まあ、それなりに。いつも通りかな。」
「いつも通り、ねえ。」
「…その含み笑い気持ち悪いからやめた方がいいわよ。」
「うん、確かに辛辣なのはいつも通りだね。……でもまあ、これでも3人とも心配してたんだよ。」
「そうよ!ユヅキは気付いたら1人でつっ走ってる事多いしネ!」
「そんな事ない…と思うけど……ってエミナ?何持ってきてるのよ。」
気の利くエミナが冷やされたコップをみんなの前に置いてくれたのだが、机の真ん中にドン、と置いたそれはアルコール。つまり酒である。
「こんなの、久々じゃない。だから、ね?これあった方が喋れるでショ?ほら、クラサメくんも。」
「いらないと言ってもどうせ注ぐんだろう。」
「あは、よく分かってるね!…はいどうぞ。」
「ああうん、ありがと。」
「はぁ……分かってるなら最初から聞くな。」
好意で注がれたそれをとりあえず一口すする。熱を持った液体が喉を通り徐々に循環していく。同じくクラサメも口元のマスクを取るとぐっとコップを傾けながら喉を動かした。
「…それで。」
「な、何クラサメ。」
「いつ、四課の仕事に出るんだ。」
「え。な、んでそんな事。」
喉の熱が増してつっかえそうになった。何故いきなりそんな事を。突きつけられたそれは一言だけだったのにも関わらず、急に回り始めたアルコールの様に上手く処理する事ができなかった。
「あーほらほら!そうやってすぐ怖い顔で詰め寄るからユヅキ君が答えてくれないんだって!」
「クラサメくん。もっと優しく、ネ?」
2人のヤジの様なアドバイスも何だかとても遠くに聞こえてしまって。ムスッとするクラサメの次の言葉をただ待つ事しか、今の私にはできなかった。
「.……さっきの作戦課の前での話を、聞いていた。」
「っ!……どこから聞いてたの。」
「"次の仕事が決まったわよ"からだ。」
「……殆ど最初からじゃないのよ。やだな、いたなら声をかけてくれても良かったじゃない。」
聞かれていた。次の作戦で出撃する事も。それが潜入だって事も。潜入の仕事の危険性は武官になってから何年も経つクラサメなら知っている。勿論それは私もだ。それが分かっているからこそ、彼がこの作戦の事を知る必要なんて無かったのに。
「はぐらかさないでくれ。いつから出るんだ……どうせ。どうせ、どうにもできないのだから教えるぐらい、いいだろう。」
と、またクラサメはユヅキに必死で迫るから目の前の2人が"クラサメくん!どうどう"、なんてアドバイスにもならない仕草をしていた。みんな、みんな酔っ払っている。
目の前の事が何だか他人事のように思えてきた。
そうだ。どうせいつ作戦実行するかなんて知ったところで彼は何もできる訳ないじゃないか。わたしは彼を1番知っている。彼の大切という枠はとても広くてわたしのように貴方だけが1番なんて事はないのだから。だったら。それだったら言葉だけでも紡げばそれでいいじゃないか。
「…3日後よ。別に、早く動く必要のある作戦じゃないし。普通に皆が奪還作戦を決行している時に一緒に動いてる、それだけ。そんな心配する事ないわよ。だって、0組もでるのよ?0組の事はクラサメの方がよく、知ってるでしょう?」
「あ、あぁ……そうか。そう、だな。」
先程から一転、クラサメは戸惑った顔をしていた。そうだ。そうやって困って困って、困り果ててそのままわたしの戦争に関わらなくなればいいんだ。それが、きっと一番良い方法なんだって。自分で心の底から納得している。
「ふふ、大丈夫よ。あの時の、ようにはさ。絶対させる訳、ないんだから……」
部屋は静寂に包まれた。動かなくなったユヅキを見、2人の友人を見て、クラサメはゆっくりと息を吐いた。
頭の中で、今までの出来事がグルグルと回っていた。彼女の違和感がどうしても拭えなかった。でも考えても、考えてもそれが何なのか理解はできなかった。ただただ、大きな壁がそびえ立っている事しか、分からなくて。
どこに、本当のお前は居るんだろう。
居るなら返事をして欲しい。
私はソファーの背もたれに寄りかかっているユヅキを楽な態勢に寝かせながら、そう強く想ったのだった。
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