1.絶対零度の残照


「…どうしても、それしか方法はないの、」
「ああ。これが、最善だ。私にとっても。世界にとっても。」

目の前で朱に染まる彼が少し怖かった。私の知っている彼は居なくなっていて、世界にひとり取り残されてしまったようで。そうして全てを捨ててしまったのだ。


あの日、私は。
彼を救う事ができなかった。



目を開けると見慣れた天井だった。いつ自分の部屋に戻ったのだろうか。たしか、任務の報告に軍令部へ行ったついでに次の任務を貰って。その前の記憶を辿ろうとしたが、あまりにも記憶の空白が多すぎて、すぐにその行為を止めた。
この抜け落ちた感覚は、そうだ。戦争の証拠だ。戦争は始まってしまったのだ。

寝起きから気分が悪くなった私はどうにか体を起こし、机に置いてある水を含んだ。そしてひと息つくと、その隣にあった紙の束を手に取る。数々の報告書の中に1枚だけ挟んであった命令書に目を通した。
私は9組隊長という肩書きを持っているが、それはあまり意味を成していない。9組にいれば、殆どが所属する事になる諜報四課。世界の裏側を動く私達の命は等しく軽いのだ。
隊長という前線を退くはずの武官職に就こうが関係なかった。四課では生きているという事は即ち、任務をする事と同義であるからだ。

にしても味方の内偵だなんて。しかもこの任務には、同じ四課所属のナギも就くのだという。ただでさえ戦争が始まって、いつも以上に人手が足りないはずなのに何故。更にその内偵の相手は先の作戦を勝利に導いた、幻の組とも言われる0組だ。
様々な疑問が思い浮かぶが、考えたところで何かが変わる訳でも無かった。命令が出された時点でもうやるしかないと決まっているのだ。
私は身支度を整えた後、自分の受け持つ教室へと向かった。






「あーやっと来やがったな!待ってたんだぞ。」

「…あんたと待ち合わせした覚えは全くないんだけど?それに私が来ると分かっていて良くそんなところに座れるわね。」

9組の扉を開けた先にいた赤いヘアバンドを身に付けている金髪をジト目で見る。彼は教卓にドカリと座っていた。
この態度のデカいちょっとむかつく物言いの青年こそが今回の任務のパートナー、ナギ・ミナツチである。

「いやだって四課じゃ隊長とか関係ねえし?つうかいつもそう言ってんのお前じゃん。」

「まあそうだけど。あんたは少しぐらい遠慮という言葉を覚えた方が良いんじゃない?」

「は、遠慮とかこれ程俺に似合わねー言葉なんてねえだろ?」

そう言って不敵に笑うナギはやはりむかつくが良き部下だった。
殺伐とした仕事が多い四課の皆はいつも自分の事で精一杯だ。生きる事に必死になっている。そんな四課の溜まり場である9組は当然のように暗く、どこか冷めた様な顔をしている人ばかりであった。そんな中いつも明るく振舞うナギは、例えそれが上辺だけだとしても9組の潤滑剤になっていた。

つまり、一言で言えば良い奴なのである。

ユヅキはふふ、それはその通りね、と相槌を打ちつつ任務の事をはた、と思い出す。丁度良い、次の任務で組むのはこのナギだ。どうせもう通達されているから知っているだろうが一応、と話を切り出す。

「それで、今回の任務。あんたとペアな訳だけど…0組の内偵だっけ……こんな事している暇なんてないでしょうに。」

「まー昔っから人は縄張り争いが好きなんだからしょうがねえよ。その噂の0組、外局から来たんだってな。」

「あぁ…それで…またあのハゲの因縁に巻き込まれる訳ね。あいつも飽きないわねえ。」

この命令を出したハゲ……軍令部長は外局を管轄している魔法局局長、ドクター・アレシアを嫌っている。そのドクターの弱みを掴もうと躍起になっている軍令部長の命令は何度聞いたか、もう数え切れない程だった。
また今回も理不尽な押し付け任務かあ、とげんなりするが、改めて考えるといきなり現れた0組が怪しいというのは分からないこともなかった。
何故なら先の作戦で苦戦を強いられる事となったクリスタルを阻害する白虎の兵器、クリスタルジャマーを前にして魔法を使い、それを破壊してのけたというのだ。
私達朱雀の民は、クリスタルの恩恵を受け魔法を扱う事ができる。それを阻害された私達は、武器の持たない兵士と同じといっても過言ではない。この0組のイレギュラーさが疑心を募らせている1番の要因だろう。
だがこのイレギュラーは朱雀とって希望でもあるのだ。
0組が先の作戦を勝利に導いた、とはいえ状況は芳しくない。白虎の朱雀侵攻作戦により土地はほぼ奪われ、首都である魔導院ペリシティリウム朱雀を残すのみとなってしまった。この戦争に参加した候補生は多くが死に、忘却へと葬られた。今のこの現状を打破できるのは、恐らく0組しかいない。

「飽きないつうか、それしか考える脳がないだけじゃね?ま、俺達は言われた事やるしかねえし。」

そこでナギは一旦言葉を切り、

「それに、今回の任務はいつもより楽だと思うんだよ。」

何か知っている素振りでニヤリと笑う。また、真っ当な方法以外で入手した情報でも持っているのだろう。彼はそういうのがとても得意だ。
ユヅキは若干肩をすくめながらも問う。

「どういう事?」

「0組には"紅いお仕事"も引き受けてもらうんだと。つまり内偵の結果がどうであれ、俺らと同じ側の人間だ。」

「あぁ。そういう、事なのね。」

"紅いお仕事"…所謂ミッションカラー・クリムゾンはその名の通り、相手も自分も紅く染まる裏の任務だ。こんな仕事を受け持つのは限られている。
大抵国から捨てられた人間だ。普通の人と一線を引いてしまっている私達のような人間は、捨てられた者同士、仲間意識が湧いてしまう。とりあえず、同じ土俵に立っている人間だと、認識できるから。
それなら確かに全てを敵に回すような普段の任務より、気は楽そうであった。


「そんな事なら、まずは挨拶がてら0組の教室にでも行ってみる?丁度いい頃合いじゃない?」

「まあそうだな。んじゃいくか。」

ナギと話している内にだいぶ時間が経っていた。新しく拝命されたであろう隊長の挨拶も恐らく終わっているはずだ。
ナギはよっこらせっ、と腰を上げユヅキの隣に並んだ。
こうして2つの影は歩き出した。世界の裏側から一歩だけ、光の当たる場所へ。




9組の教室を抜け、エントランスから0組へと続く廊下を歩く。0組は少数精鋭の組で外局育ちの12人と他クラスから上がってきた2名、合わせて14名になる。まずは、個々の性格を把握しなければならないな、などと考え事をしながら扉に手を掛けたが、全く手応え無く前に開いた。扉の向こうに誰かがいるのだ。
ユヅキは咄嗟に前に歩き出そうとした自分の身を止めた。いや、動こうにも動けなかった、のが正しいのかもしれない。

目の前には、0組の隊長。
私の知っている、彼だった。

「あ…」

外ではあまり表情を変えない彼、クラサメが一瞬目を大きく開け、そしてすぐ厳しい目つきに変わった。こんなに近くで見たのは久しぶりだった。

「ひ、久しぶ…」

「0組に、何か用なのか。」

「え、あ、うん…ちょっと。」

「…そうか。」

二人とも突っ立ったまま言葉を交わす。
たった二言ずつの会話だった。何とか絞り出した言葉を遮られてしまってはそれ以上続けられる言葉が見つからない。クラサメは隣に居たナギを一瞥すると、不機嫌な様子を残しながら横を通り抜けていった。

「おっと俺が邪魔だったか?」

「違う。そんなんじゃ、ないわよ。」

からかってやろうとヘラヘラ笑うナギを一蹴し、ユヅキは考え込む。

いつからだろう、彼を見なくなってしまったのは。
いつからだろう、彼が、見えなくなってしまったのは。

彼の為に走って、彼の為に生きて。
何もできない事に後悔して、何かしようともがいて。
そうして彼はわたしから離れていく。

これで良いと思っている私と、これじゃあ嫌だと思うわたし。


「…おい?…おい!ユヅキ!」

「あ…ごめん。」

「大丈夫か?」

「ええ…気にしないで。」

ふ、と掛けられた声に遠かった意識が戻ってくるのを感じる。
ユヅキの顔を覗きこんでいるナギは一転して、真面目な顔になっていた。なんだかんだ、からかってばかりのナギが一番ユヅキの事を分かっているのかもしれない。友人として、心配もかけている。

「無理すんなよ。」

「うん、大丈夫。さ、いくわよ。」


今は、考えるのをやめようと思った。気持ちを切り替えて、私は、私の仕事を。彼は、彼の仕事を。
その先が交わっていればそれで良いと、そう信じて。



content
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -