望んだのはありふれたことだった
ある山奥の小さな村。 そこには沢山の伝承や噂がある。それの殆どは人から人へ伝わったこともあり、正確なものなどないに等しい。だが、その中で唯一何一つ変わらずに伝わっているものがある。それは――
「――――主様ーっ!」
静寂に包まれていたその場所に、一際高い声が響く。 その声の主は俺を見付けると、嬉しそうにこちらへ駆けてくる。その姿を見ながら、毎度毎度よく飽きないなと感心する反面、この後の展開を予想すると心配にもなってしまう。
「そんなに急いで走ると転ぶぞー」 「大丈夫、大丈夫! 主様はそこにい……って、わぁ!」 「…………」
予想を裏切らない見事な展開に、俺は苦笑する。……本当、彼女は見ていて退屈しない。「あはは……」、と苦笑いする彼女。俺はそんな彼女に手を差し延べ、溜め息混じりに口を開いた。
「……ここまで毎回何もないところで転べるなんて、才能なんじゃないのか? それ」 「……うぅ、返す言葉もございません」
しゅん、と俯く彼女。まるで子供が怒られた時みたいに落ち込むその姿に、自然と笑みが込み上げてくる。笑ったり、落ち込んだり。くるくると変わるその表情に、俺はいつしか囚われていた。
「あのね、主様!」 「ん?」 「私ね……今日、凄く素敵な夢を見たの!」
桜の木の下へと移動してすぐに、彼女は嬉しそうにそう言った。あまり興味はなかったが彼女がとても嬉しそうな表情をするものだから、少しだけ気になってしまう。
「……なぁ、名前。それはどんな夢なんだ?」 「えっとね……」
彼女――名前は、俺を『主様』と呼ぶ。おそらくそれは俺がここの神社の桜木に宿っている『精霊』であり、この神社の『守り神』と呼ばれているからだろう。名前はこの神社の娘で、幼い頃からこの桜木の下へ来ては一人で読書をしたり、勉強をしたり、眠ったりしている。ちなみに巫女は彼女の姉が受け継ぐらしい。姉は何でも出来て美人で私の自慢なのだと何度も聞かされた。実際、俺も年に数回会っているのでどういう人物かはわかる。だからと言って自分に負い目を感じているわけではないらしい。寧ろそんな姉のおかげで、自分は自由に生活出来るのだと言っていたのを覚えている。
「――――主様とずっと一緒にいる夢!」 「……俺、と……?」 「うん。主様とこの桜木の下でお話して、そのうち二人共いつの間にか寝ちゃうんだ」
今日みたいな暖かい春の陽気の中で眠ってしまうんだ、と笑顔で話す名前。無邪気に話す彼女は純粋そのもので、なんだか急に遠く感じてしまう。それに、現実では“ずっと”なんてあるはずがない。彼女は、限られた命を与えられた『人』。俺は、永遠の命を与えられた『妖』。……いつかは、別れなければならない運命なのだ。
「……ま」 「…………」 「――――主様!」 「うぉっ! ……何だ?」
そんなことを考えていると、名前に名前を呼ばれた。突然のことに驚き、身体がびくりと震える。彼女は心配そうな表情で俺の顔を覗き込む。
「主様、ぼーっとしてたから……大丈夫かな、って」 「……あー、ごめんな」 「…………」 「…………名前?」
名前は、何か考えるように黙り込んでしまう。あまりに真剣なその表情に声をかけていいものか悩んだが、このままずっと待っていてもいつになるのかわからないと思い、俺は結局声をかけた。すると名前はいきなり顔を上げ、俺に視線を向けてくる。
「私は、主様がいないと淋しいよ。主様がいないと楽しくない。……全部、全部、主様がいるからそう感じるんだよ」 「…………名前?」
突然そんなことを言い出した、名前。訳がわからなくて、俺は首を傾げる。
「ええと……つまり、ね……」 「お、おう」
名前は何故か、俺の手をぎゅっと握る。そして、こちらをじっと見つめながら、真剣な表情で言葉を続けた。
「――私は、これからもずっと主様といたいの!」
素直にその言葉は嬉しいと感じる。だが、それは絶対に叶わない願いだ。人と妖が永遠に同じ刻を生きれるはずがない。いつか名前はここからいなくなるかもしれないし、ずっと一緒にいたとしても別れはやってくる。人の一生なんて、妖の俺にとってはほんの数年に近い。その先続く終わりのない刻に、彼女はいない。ずっと独りだ。……彼女はそれをわかっているのだろうか。
「……勿論、ずっとなんて無理なのはわかってる。でも、私は何度でも生まれ変わって主様の元へ戻ってくるから」 「…………」 「鳥かもしれない、風かもしれない、また人かもしれない、あっ、主様と同じ桜木の精霊かもしれない……とにかく、絶対主様を独りになんかさせないから」
今にも泣きそうな表情で、もう一度俺の手をぎゅっと握る名前。気が付いたらそんな彼女を、俺は抱き寄せていた。
「…………っ、ありがとな、名前」 「…………うん」
名前は、そう言って抱きしめ返す。たったそれだけのことなのに、嬉しくて……俺は、涙を流していた。
「……ねぇ」 「ん?」
涙を拭いながら、返事を返す。名前はそんな俺を見て、クスリと笑う。そして、少し照れくさそうに口を開いた。
「――――愛してるよ、直獅さん」
予想もしなかった言葉にあたふたしていると、名前は「…………返事は?」、と聞き返してきた。俺は一度だけ深呼吸をして、ゆっくりと返事を返す。
「……俺も、名前を愛してる」
そのまま引き寄せられるように自然に唇を合わせる。それが少し気恥ずかしくて、二人で小さく笑ってしまう。 永遠なんて信じたくはなかったけど、名前となら信じられる……そんな気がした。
望んだのはありふれたことだった (……ちゃんと私のこと、見付けてよね)(…………努力します)
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