もしも教師ならば。 | ナノ

星の言い訳


 二分差だった。



「食堂、閉まっちゃった……」



 暗い部屋の中で携帯を開くとそこには、夕食を食べ損ねたことを示す時刻が映し出されていた。

 今日は朝からなんとなく頭がボーッとしてて、授業に集中出来なかった。哉太と羊君に心配される中頑張って部活にも出たけど、部のみんなからも早く休むように言われ、結局ほとんど練習しないまま寮へ帰ってきた。少し休めば良くなるだろうし、と思って夕食まで眠ることにしたところ――寝過ごしてしまった。

 たかが二分、されど二分。食堂が閉まってしまったのだから、夕食は自力でなんとかしないといけない。

 不意に、きゅるるる、とお腹が鳴った。



(何か食べないと……)



 頭ではそうすべきだと分かっているのに、なんだか動く気がしない。良くなるはずの体調はむしろ悪化している感じすらした。

 とりあえず部屋の電気をつけてからもう少し休もうと思い、寝っ転がったまま枕元のスイッチに手を伸ばす。そしてカチッという音と同時に――コンコンと戸を叩く音がした。



「え?」



 私は思わず枕元の時計を見た。今この時間に訪ねてくる人なんて思い当たらない。だけど、誰か先生が緊急連絡に来たという可能性が全くないわけではない。私はベッドから起き上がり、ゆっくりとドアを開けた。

 するとそこには、



「ごめんな、こんな時間に」

「東月先生……?」



心配そうな表情を浮かべた東月先生がいた。

 先生はまだスーツ姿のままで、左手には鞄とお弁当の包みが見える。自分の部屋に寄らずに学校から直接ここへ来たのかもしれない。



「あの、どうしたんですか?」

「夜久、今日具合悪そうだったから、気になって様子を見に来たんだ。けど……あまり良くなってないみたいだな」

「えっ」



 どんな言葉を続けたらいいのか、一瞬分からなくなった。自分を心配してくれていたことを知って嬉しくなると同時に、自分の体調がばれていたこと、そして、仕事が終わってからわざわざここまで来てくれたことに驚いた。東月先生は担任じゃないから毎日話しているわけでもないし、今日顔を合わせたのも一時限の授業でだけだったのに。



「私が具合悪いって、気付いてたんですか?」

「ああ。授業中、まだ朝なのになんとなく疲れてる感じだったし、終わってから教室を出て行く時も足がふらついていたから」

「そうだったんですか……。東月先生、私のことよく見てくれていたんですね」



 嬉しい気持ちになったからなのか、まだ体は重くても心が少し軽くなる。私は、ありがとうございます、と言って軽く頭を下げた。

 すると不思議なことに、東月先生は驚いた表情を見せた。でもその表情はすぐに柔らかなものに変わる。



「どうしたしまして……と言いたいとこだけど、俺、蟹座だから無意識のうちに人の心配ばかりしてるんだ。今日夜久のことが気になっていたのも、そのせいかもしれないな」



 先生の話し方に、私は少し違和感を抱いた。授業の時はもちろん、一対一で会話している時とも違う感じ。私に話しかけているというよりは、先生が自分に言い聞かせているような感じがした。

 ただ、その違和感も先生が再び口を開いた瞬間にどこかへ飛んでいってしまったのだけど。



「そういえば、夜久、晩ご飯はちゃんと食べたか?」

「え、あ、たっ、食べましたよ!私、具合悪くても食べることだけは――」



 きゅう、と音がした。発生源は私のお腹。

 これ以上東月先生に心配をかけたくなくて嘘をついたのに、今のではっきりばれてしまった。そして……すごく恥ずかしい。

 数秒間の沈黙の後、先生は我慢しきれずに笑い出した。



「あははっ!夜久、全然食べたりないんじゃないのか?」

「もう、東月先生!そんなに笑わないでください!」

「ははっ、ごめんな。ほら、夜久のためにお弁当作ってきたから、これで許してくれないか?」

「お弁当……ですか?」



 やっと笑いが収まった先生はお弁当の包みを右手に持ちかえ、そのまま私に差し出す。私が両手でそれを受け取ると、先生は空いたその手を私の頭にぽんっとのせた。



「ちゃんと食べないと元気にならないぞ?それ食べたらゆっくり休んで、また元気になったら学校においで」

「はいっ」

「それじゃあ、俺もそろそろ部屋に戻ろうかな。おやすみ、夜久」



 先生は頭から手を離し、自分の部屋へ歩き出す。私は部屋から身を乗り出して、おやすみなさい、とその背中に向かって呟いた。

 少し思うことがあった。東月先生は、本当は私が晩ご飯を食べていないことを知っていたのかもしれない。絶対にそうだと言い切れる根拠はないけど、このお弁当の包みを持っているとなんとなくそう思えた。

 そんなことを考えながら、しばらく東月先生の後ろ姿を見ていた。そして、その姿がやや遠ざかったところでドアを閉めた。

 受け取った包みを広げると、そこにあったのはまだ温かいお弁当。中には程良い量のおにぎりとおかずが綺麗に並んでいる。私はさっそくそのお弁当と自分の箸をテーブルに置き、手を合わせていただきますをした。



「おいしい……!」



 一口食べて思わず言葉がこぼれた。これを私のためにわざわざ作ってくれたなんて、すごく嬉しい。

 早く元気になって、もう一度ちゃんと東月先生にお礼を言いに行こう。お弁当のことも、私の心配をしてくれたことも。

 だけどそう思った途端、あることが気になり出した。



(――蟹座だから、なのかな……)



 『蟹座だから』私の体調が気になったのかも、とさっき先生は言った。

 蟹座は世話焼き体質。もちろんそれは知っている。東月先生が授業で教えてくれたから。

 でも、今日のことはそれと無関係であってほしい、もっと別の理由があってほしい、と願ってしまう。



(例えば……東月先生が私のことを好――)



 そこまで考えて、私は頭を横にぶんぶん振った。

 ありえない。私たちは教師と生徒なのだから。



(でも私は――)



 先生のことを思い出すと、胸の奥がきゅうっと締めつけられる。苦しくて苦しくてどうしようもない。

 もしかしてこれは、



「恋……」



 そう呟いた瞬間、口に入れたおかずがほんの少し甘くなった気がした。







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