ファンタジー/童話調




ある深い深い海底に、独りきりの生きものが生きていました。

そこは海に住む殆どの魚も、陸上に生活する動物も、決して潜れないほど深い場所です。
そんなところに独りきりの生きものの凌牙はいました。
凌牙は魚でした。海のなかでは関係ありませんが、凌牙の身体的な特徴を見れば、人間の学者は彼を鮫だと言うでしょう。
――ところが、凌牙には魚にはないはずの感情と言うものを持っていました。

暗い暗い深海をあてどなく泳いでいると、滅多に魚には出会えません。そうすると凌牙の身体の真ん中がきゅう、と哀しさを伝えるのです。
凌牙と同じような感情を持つ魚を今まで一度も見つけたことはありません。暗い水底で凌牙は時折落胆するように尾びれを力なく揺らします。海では凌牙は独りぼっちでした。


けれど、そんな彼には一つの生きる理由があります。



ほんの一年前、感情というものをしっかりと自覚した時、凌牙は一番に強く願った事がありました。暗い深海にいながらも、彼は『光』というモノを見たいと切に思ったのです。
時々たゆたっている海月が放つ不規則な光ではなく、キラキラとただ一点で小さく輝く光が見たいのでした。それは凌牙が生きる海の深くでは見ることはできません。

「(一度でもいい、ここでは決して見られない輝きが見てみたい)」

ずっとずっと上にある海が途切れた先にはそんな光があるのだろうか、と思ったそんな時。
塵しか見当たらなかった凌牙の周りが一瞬にして景色が変わってしまったのです。

「な……ッ!?」

ざぷん、ざぷん、と聞いたことのない音が直ぐ周りから聞こえます。それが今の今まで凌牙が泳いでいた海の音だと理解するのに数十秒はかかりました。海面はとても静かに凪いでいます。
彼は一瞬にして暗い深海から、海と空中の間にいたのです。

気付いてみれば可笑しな所がいくつもありました。魚だった筈の凌牙は人の姿に変わり、衣服を身につけ、ふわふわと海に包まれるように肩から上は外気に晒されています。人の姿になったからでしょう、口からは少年のような声が零れました。
そして何より、はたと見上げた空中は真っ黒な海と違い、凌牙の瞳いっぱいに映りこんできます。

「すごい……」

暗い夜空を静謐に照らし上げているのは――心から見たいと願っていた光たちでした。数えきれない小さな輝きの列が、まるで軌跡を描くようにすっと真っ直ぐに地平線から伸びています。息をするのを忘れるほどの美しさでした。

輝きの一つでも取れないだろうかと空へ手を伸ばしましたが、光はずっと上にあり手には取れません。
そうしてから暫くの間、光の粒を瞬きをするのも忘れ眺めていました。

「クク、そんなに見たかったんだな」

「!」

すると、背後の上の方からくすくすと聞いた事のない誰かの笑い声が届き、水音を立て慌てて凌牙は振り向きます。
振り向いた先にはすらりと黒いロングコートに身を包んだ、金色の髪をした青年が空中に音もなく立っていました。

「テメェ、誰だ」

す、と青年から身を退き睨みましたが、青年は得意気に笑うだけです。

「誰だ、とは酷いな。貴様が願った事を俺は叶えてやっただけだぞ?……まあいい、折角叶えたんだ何時までも海に浸かっていないでもう少し上で見てみろ」

「は……お、いっ!、――ッ」

するりと腕を引かれ、よく分からない事を言われながらも凌牙は宙に立つ青年に海から引き揚げさせられてしまい、驚きも束の間に彼と同じ位置に立たされていました。音もなく宙に立て、怖く感じたのは杞憂で終わりました。
青年と同じ位置に立つと更に光が強く輝いてみえる気がするのです。

「光を知らないというのは楽しくないだろう、感情を持った鮫よ」

「……、お前は一体何なんだ」

「俺か?フフ、俺は光の化身、銀河を眸に持つ竜だ」

「ぎん、がのドラゴン……」

初めて聞いた言葉に、凌牙は深く眉を寄せます。それを見た銀河を眸に宿す竜は考えるように手を顎へやりました。

「そうだな……これ以上悩まれては面倒だ、俺の事はカイトでいい」

「カイト、……俺も鮫じゃねぇよ、凌牙だ」

「そうなのか。――ならば凌牙。お前の願い、叶えてやろう」

不敵に口を弧の形にし、銀河の竜――カイトは人差し指ですーっと光の列をなぞります。その横顔はとても楽しそうにみえました。

「あの輝きは、星が光っているものだ」

「ほし、」

「ああ。あの光の粒、一つ一つの事だな。そしてそれらがああして光の帯に見れるのを天の川と言ったりする」

するするとカイトが指を差す空を凌牙はとても興味深さを持った目で追っていきます。暗闇しか知らなかった凌牙にとってカイトの言葉一つ一つが新しく、尚且つ会話自体が初めてでしたから何もかもが新鮮なのでしょう。見上げる瞳は歓喜で輝いていました。

「星は、綺麗だな」

「確かにここから見ると控えめな光で綺麗だ。……ああ、だが、昼だとこの辺りの世界は膨大な光によって星は霞んで見えなくなる」

「膨大な光?」

「深い闇に生きてきたお前では知らないだろうが、太陽といって銀河の中心にある熱の塊だ。それが昇ると世界を明るく照らし、沈むとこうして暗くなり星が浮かぶ」

「へぇ……太陽か。 けど、俺はこっちの一つ一つが輝く光の方が性にあってるんだろうぜ。願った通りの光だったしな」

星々から視線をずらし、凌牙は静かにカイトを見つめます。透き通った藍色の眸が何度か瞬きをし、ゆっくり微笑みました。

「カイト、感謝する。俺にこんなに美しい光を見せてくれて。本当に、嬉しかった」

「……、凌牙」

凌牙はそっと目を閉じ、初めて感謝の言葉を紡ぎます。カイトの切ない声が感情を擽りますが、直感的に、もうこの幸せな時間はおしまいなのだと分かりました。

「凌牙の願いは叶ったのか?」

「ああ、十分過ぎるくらいに」

海の音が、風という音が、段々と遠退いていきます。きっと凌牙はまた感情を持った鮫として、光のない深い深海へ戻らなくてはならないのでしょう。

海に浸かっていないのに、凌牙の頬に塩辛い水滴が目尻から零れて伝っていきます。悲しい、と初めて心が泣きました。

「――来年、」

「?」

突然、真剣なカイトの声が届きました。目蓋を降ろしたまま彼の声に耳を傾けると、額に温かく柔らかいものが僅かな間触れて離れていきます。

「来年は、俺の願いを叶えてくれないか」

「カイトの願い……?俺に叶えられるモノなのか」

「凌牙にしか叶えられないだろう願いだ」

「俺でいいなら……。言っておくが、俺にはこんな力はないぞ」

「大丈夫だ。そういった事は俺がやる」

願いを叶えられる、それは凌牙からしたらこれ以上ないカイトへの恩返しです。願い続けたものを見せてくれたカイトの願いを断る選択肢は、凌牙の中に浮かびませんでした。

「そうか。良かった」

「で、お前の願いは何なんだ」

「それは、――――」


カイトの願いを受け取った直後、驚きに目を見開いた凌牙の眼に映ったのはいつもの深海の姿でした。



それから一年。日にちも時間も分からないままで深海の生活が過ぎていきました。
そんな時、急に感情が騒つき始め。それは何かを希求するかのように、喜ぶかのように。

やがて急激に目の前の景色が変わっていき、一年前と変わらぬ星空の下に凌牙はいました。

「――一年ぶりか」

「ああ。 願い事、叶えてやるよ」

「本当にいいのか?後悔は、」

「くどい。後悔なんてないだろう」

「凌牙……」

「――カイト、一緒にいてやるよ。 深海と星空しか俺は世界を知らないが、お前の見る世界を今度は二人で見ていこう」

差し出した凌牙の手を、カイトは愛おしそうに繋ぎました。

『それは、一緒にいたいと言う願いだ』

その願いは、叶えられました。



ある深い深い海底に、独りきりの生きものが生きていました。深海で生きていた凌牙は感情をもった為に独りぼっちでした。
ですが彼は、一つの理由の為に深海から宙へ出ていきます。


ある広い広い銀河に、独りきりの生きものが生きていました。銀河で生きていたカイトは強大な力の為に独りぼっちでした。
ですが彼は、一つの叶った願いのお陰で最愛の相手を見付けられたのです。


銀河の眸をもつ竜と、感情をもった鮫のお話は、おしまい。








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