息苦しいと言うか気まずいというべきか。洒落た店内へ注文を取りに行く度に奥の席からの視線を感じた。視線の集中砲火を放つのは見えずとも分かり切っているが、トーマス……Wだ。

初めのうちは俺が神代凌牙だという事が矢張りばれてしまったのかと、足元から崩れ落ちる絶望感を抱いたが、どうやら違うらしい。

珈琲のお代わりを運べば、ぎこちなく礼を言われた。学校では優男な仮面と性格の荒い本性を完璧に演じ分けている、この男に、だ。
あまりの物珍しさに俺が目を丸くしたが、向かいに座るミハエルも驚いた顔をトーマスへ向けていたから、相当珍しいものだったのか……兎も角判っていないようならそれでいい。一生気付かないでいて欲しいものだ。


「凌牙。トーマスとミハエルは寛いでいるのか」

「――ああ。あとそれからクリス、まだパンプキンプリンは作りおきがあるよな?」

「残り七皿だ。足りるか」

「あー、売り切れ札だけ出しておく」

厨房に伝票と在庫を確認に入ると、アークライト家長兄である――クリスがケーキをカットしながら下の兄弟達の事を訊いてくる。
取り敢えず、パンプキンプリンの在庫は直ぐに売り切れてしまうだろうと予想し、在庫七、とメモに書き『売り切れました』のパネルを早めに用意しておく。

ぺたりとメモを冷蔵庫に貼り付け終えると、凌牙、と再度名前を呼ばれる。厨房では人目は気にならないだろうと、クリスは俺への呼び方を変えることはなく下の名を呼んでくる。
変えてくれと言っても変えないので俺も反抗して敬語をとっぱらったが、クリスには痛くも痒くも無かったようで。寧ろ、家族を見るかのように慈愛の籠もった接し方をされ、俺の方が辟易しているのはほんの少し屈辱的だ。

「……何だよ、クリス」

「まさかとは思っていたが……学校ではトーマス達と顔見知りだったみたいだな」

「判ってんなら訊くなよ」

「恐ろしい偶然もあるものだ……、フフそう拗ねるな。 だがそうだな、二人とも妙なところで鋭いから気を付けるといい」

ふ、と頬の筋肉を緩めクリスが困ったように笑う。……俺の事情を知っているだけに、彼なりの心配をしているのがよく分かる表情だった。

「もしバレそうになっても私に言ってくれれば誤魔化すくらいなら出来る。余り抱え込まないのが一番だろう?」

「……」

どう反応をしていいのか分からず目を逸らせば、チリン、と会計を知らせるベルが鳴った。(不本意だが)ウェイトレスは俺一人、クリスは見ての通りに追加のケーキ作りでマスターは飲み物の準備で手は離せないだろう。自然と俺がレジへ向かう役割だ。

「その時は上手くやってくれよ」

クリスの脇をすり抜けレジへと向かいながら溜め息混じりに言葉にする。クリスからは「善処はしよう」と何とも曖昧な返事が返ってきた。


「お会計、ですね」

「ああ」

冷や汗が流れた時間が漸く終わると喜ぶべきか、最後の難関がきたと顔を顰めるべきか。
可愛らしいベルで支払いを頼んできたのは、奥で寛いでいたトーマスとミハエルだった。固くなりかけた声を必死で治そうとすれば、目の前で俺をじっと見てくるWから伝票を手渡される。
早く会計し終えたいと打ち込む速度を上げ、不本意過ぎる営業スマイルで値段を告げると丁度ぴったりの代金が受け皿に置かれた。

「なあ」

しかし、受け皿へ伸ばしかけた腕は低く耳に残りやすいWの声によって直前で止まる。最後の最後でコイツは……。仕方なく目線を控えめにWへ合わせるが、一瞬奴の目が見開かれたのを俺は見逃さなかった。
何に驚いたのかはさっぱりだが、本当に滅多にない顔だ。

「どうかしましたか」

「アンタ、いつ此処でバイトしてるんだ?」

「――は?」

知ってどうする。
素が出かかった。突然この男は何を言いやがる、と学校内と同じ調子で眉を寄せてしまう所をぐっと堪える。だが目の前のアークライト次兄の目は、俺を逃がしてはくれないらしい。
背後ではミハエルが困惑しているが、まるで気にしていない。……今の俺が神代凌牙だったのなら一蹴出来たのにな、と内心重い息が零れた。

パサ、と深い緑色のスカートの裾が揺れる。
今の俺に、答えない選択肢は無かった。

「今日と、土日……ですけれど」

「へぇ。そうか、」

途端に何か考えだしたのかWの視線が外れる。妙な突っ掛かりを覚えつつも、さっさと会計を終え後方にいたミハエルへ「ありがとうございました」とお辞儀を返した。

「こちらこそ、ご馳走様でした!トーマス兄様?行きましょう?」

「ん、そうだな。悪いが厨房にいるクリスにプリンとケーキ旨かったって言っておいてくれるか。じゃあ――また来るな、『神代』」

「……、」

からんからん、と退室のベルが店内に響いた。
おかしい、Wの言葉に嫌な予感しかしないなんて。



*
トーマス呼びに慣れない鮫

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