「はぁっ、こんにちは……っ、」

「おや、凌牙。こんにちは」

裏口の扉を開けばクッキーの入った籠とラッピング一式を手にした店主――バイロンが丁度休憩室に入ってきた所だった。
浅く息を吐く俺の姿を見て、モノクルを掛けた双眸が穏やかに微笑みを返す。ああ、と何やら合点がいったかのように一人頷くと、バイロンもとい、マスターはラッピング一式をテーブルに置き俺の髪へと視線を移して。

「女の子の姿で来たんだね。……ふふ、走ってきたから髪の毛が少し乱れてしまってる」

「バイトしている事は……バレたくはないので」

屈辱ではあるが、仕方ないと割り切っている。
髪を結い直しながら、休憩室のテーブルに向かってすいすいとクッキーの袋を閉じていくマスターの指先をつい眺めてしまう。無駄がない丁寧さだと感歎するのが常だ。
袋同士が擦れる音を背景に、遊馬の姉さんから借りた服を一旦脱ぎ、そしてまたウェイトレス服に着替える。

濃い深緑の上と膝下まであるロング丈のスカートに白地のエプロン。控え目で落ち着いた色合い。格調高い店にでも溶け込めそうなウェイトレス服。
少しデザインや色が違えば、メイド服に間違えられそうだ……、と毎回着るたびに思い、しみじみとシンプルで清楚なこのデザインに感謝してしまう。女装の上にコスプレだなんて、ごめんだ。

「着替え終わったみたいだね」

「……それは?」

きゅ、と後ろ手でエプロンを締め終えるとマスターから声が掛かる。彼が手にしているクッキーが綺麗に包まれた袋に目線を向ければ、ポン、とマスターの頭上に閃いたように電球のマークが浮かんだ気がした。

「そうだった。凌牙は金曜日の午後に入るの、今日が初めてだったね」

「え、まあ……入れそうだったから今日から。それが何か……?」

土日と学校がある曜日では授業が早く終わる水曜日。以前まで来ていた日に加え、今月から金曜日午後も入る事にした。
それが今日であった訳だが、二つのクッキーが沢山詰まった袋は見たことがない。味に代わりはないが、形が割れていたり崩れているものが詰められているから商品用ではないだろう。
商品に出せないクッキーやマフィン諸々は俺もマスターや厨房担当の銀髪の男から良く貰っているが、持ち帰り用に可愛らしく丁寧なラッピングがされているのは珍しい。
思わず首を傾げる。

「ふふ。これはね、身内用なんだ」

マスターが朗らかな口調でそう言った。一方で俺にはクエスチョンマークが付いてしまう。
彼の身内は厨房担当しか知らない。奥さんはいないと話していた事があったから、恐らくマスターの子供なのだろうか。
俺の心でも読まれたのか、この喫茶店の店主は「クリスの分ではないよ」と先に言われてしまった。

「あと二人、クリスの下に息子達がいてね。今朝、店に来ると言っていたからお土産にでもと、ちょっとしたサプライズ」

「へえ。三兄弟なんですか」

「ああ。男所帯だから喧嘩は賑やかだよ。……まあ、それは置いておいて、明日は学生は休みだからね。今日も宜しく頼むよ、『神代(かじろ)さん』」

確かに、学生は休みだろう。
俺はマスターに言われたバイト中の名前に一度頷き、厨房担当を除いた店主の息子達は学生なのか、とぼんやりと思う。

俺が通っている学校からは、喫茶店であるこの店は比較的遠めの場所にある。
来店する学生客も喫茶店から近い学生服が多い。あの学生達の中にマスターの息子達が居たのだろうか、と店内へマスターと入りながら今までに接客した学生をつらつら思い浮べていると。

「きっと君がこの店で私の息子達に会うのは初めてなんじゃないかな」

「え」

「休みの前の日にやってくるからねぇ。……ほら、噂をすれば」

口元を和らげて、ドアの方を見据えるマスターのモノクルがきらりと光る。
チリン、チリン、と来店を報せる鈴の音。

「――な……ッ」

驚愕が喉元まで競り上がりそうだったのを何とか耐えた。営業スマイルが抜け落ちそうになる。

「こんにちは、父様!」

「おい、ミハエル走るなよ!……っと。よう、父さん」

「いらっしゃい、トーマスにミハエル」


夢だと願いたくなったのは不可抗力だ。
目を見開いた俺の視線の先には、同じ中高一貫校に通う見慣れ過ぎた同級生と、高等部の癖に俺にばかりちょっかいをかけてくる男の姿があったのだから。



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