「あ!いたいた、シャーク!」
授業終了の鐘が鳴ると同時に、廊下から元気な声が飛んできた。思わず眉を顰めたが、俺を呼び止めたのが遊馬なのだから仕方ない。
「……遊馬」
「良かった間に合ったぜ……。渡せなかったらどうしようかと思った」
ため息をひとつ吐きながらカバンを肩に引っ掛け廊下に出れば、遊馬が汗を拭いえへへ、と苦笑を漏らした。遊馬の片手には少し大きめの洒落た紙袋。
視界にそれが入った瞬間、胸に寒々しい風が吹き抜けた。
「これ、ねーちゃんから。今日バイトなんだろ?」
「……ああ」
そう言って、遊馬は困った顔で頬を掻く。目が泳いでいるのがまるわかりだ。
諦めたような声で頷くと、おずおずと差し出された紙袋が俺の手に渡った。
洒落た紙袋の中身は洋菓子が箱で入っていそうだが、そんないいものではない。勿論学校生活に必要なものでもない。寧ろ俺には生涯縁もないし、いらないと思っていたものだ。そうしたものをこうして定期的に受け取る日が来ようとは。
「……ハァ」
かさり、と紙袋の口を小さく開くと同時にうんざりしてしまう。中には折り畳まれた薄手のブルゾンの襟元が見えていた。見えたのは無地だったが、遊馬の姉さんがそんなシンプルに済ませてくれる人物なわけがない。
「えっと、シャーク」
「言うな遊馬。……頼んでるのは俺だ、これくらい慣れなくてどうする」
「そうだけどさ、そこまで無理しなくても……って悪い、俺が言えた言葉じゃねぇよな。んーと、あんま抱え込むなよ!」
「ふ、そんなヤワじゃないから心配すんな」
口ではいくらでも繕えるが、矢張りいつまでたっても慣れるわけがない。
申し訳なさげな遊馬と別れ、裏門に近い人気の無いトイレの個室に足早に入る。時間を確認すると予想以上に押していて内心焦っていた。
プライドやらを舌打ちと共に投げ捨て、渡された紙袋の口を開く。
薄手のブルゾンがあるのは分かってはいたが、その下に入っていたのは、
「――よりにもよってワンピースかよ……」
下にはアイボリーのワンピースがきちんと畳まれ詰めこまれていた。胸元の白いリボンが……悔しくも可愛らしく見えてしまう。
同級の女子が着たら、普通に街を歩くショッピングスタイルに着飾れるだろう。……女子が着たならば。
虚しく一人ごちを溢し、俺は静かに制服のシャツ釦に指を掛けた。さっさとはずし終え、シャツは洋服一式が入っていた紙袋へ折り畳み入れて。
そして僅かに躊躇した後、ワンピースを手に取りそれに腕を通した。
そこからはあっという間だ。一度壁を越えてしまえば後はやけくそでなんとかなる。
「……チッ」
数分後、手洗い前の鏡には『神代凌牙』という一男子ではなく、目元が妹に似ている、ワンピースに薄手のブルゾンを羽織った憂鬱げな少女が映っていた。
思わず泣きたくなったが、泣いている暇などない。
この後、バイトが待ち構えているのだから。
鞄を抱え足早に裏門から抜け出し、歩調を速めた。
――14歳、男子学生。
勿論、学校も世間一般にもアルバイトは認められていない。しかし、体調不良で入院を余儀なくされている妹の為にも色々と金銭が必要だった。
そこで俺は世間一般は兎も角、学校の監視の目から逃れるように見た目の性別を偽ることにした。まさに苦渋の決断だったわけだが。
アルバイトのある放課後と時たま休日は俺という男子学生は、せっせと忙しなく働く高校生の女子という設定に変わる。
この事を知っているのは、バイト先の喫茶店の店主と主に厨房担当の男だけだ。元々こじんまりとした喫茶店だからか、切り盛りをしているのはその二人。全てを話した上で、店主は俺をひっそりと雇ってくれている。
だからこそ、年齢は誰にもばれるわけにはいかない。
そんな事を片隅で思いながら手早く一つに結った髪をはためかせ、距離が幾分かあるバイト先へ走るスピードを上げた。