ゆっくりと息を吐く。
いち、に、さん。僅かに乱れた呼吸を整え、傍らに置いてある携帯電話へそっと手を伸ばす。



少しずつだが、以前の自分を見付け出せてきた。まだ他人が怖いと思う気持ちは払拭できないがそれでも、この感情だけは先延ばしにはしてはいけないと解っている。
この事をカイトに話した時、とてつもなく不機嫌に眉間に皺まで寄せ、「もうしばらく落ち着いてからの方がいいだろう」と詰め寄られたが「十分に落ち着いてる」と返せば渋々彼は凌牙の言葉に肯定してくれた。
一人きりで話したいと付け加えると、灰色の双眸を三角にして何かあったら連絡をする事を条件に背中を押されてしまったが。

無理だと思ったら切れ。
気分が悪くなったら連絡をいれろ。
言葉を真に受けるな。


既に片手では足りない程言われた条件を思い出し苦笑してしまう。
こうして電話を掛けようとした今だって、待ち受けには一通のメール通知アイコン。相手は言わずもがな、カイト。内容は本文に「お前なら大丈夫だ」の簡潔な一文だけだ。

――そうだな。大丈夫だ。

す、と心が軽くなった。メール画面を閉じ、久しく開けなかった一件の電話帳を開く。
部屋にあったあの男私物は全て無くしてしまったが、携帯のメモリだけは消せずにあった。彼のことだ、メールアドレスは変えただろうが、番号までは変えていないだろう。いつか、凌牙が掛けてくるのを確信しているかのように。
そして彼の予想は、ハズレて当たった。電話は掛けるが、話したい内容はあの男が欲しいものではないのだろうから。

落ち着いた指先で、そっと番号先へコールする。
無機質な呼び出し音が耳元に響く。四回程鳴ったところで、呼び出し音は不自然にふつりと途切れた。

『……凌牙――か』

低い声が静かにスピーカーから聞こえる。てっきり彼は獲物を狙う獅子のような猫なで声を出すかと思っていたが、突然の連絡に虚を突かれたのか、名前を呼ぶ声音は意外にも素のものだった。

「ああ。俺だ、W」

久しぶりに呼んだ名前に、多少にかかわらず言ってやりたかった罵声は不思議と消えてしまう。

「……、」

しっかり頭の中で主旨を思い返し、少しの間を空けて凌牙はゆっくりと口を開いた。

「W」

『……なんだ』

「話したい事……いや、謝りたい事がある」

ズレた過去は戻せない。
後悔しても、そう簡単に修復できるような強さは凌牙一人にはなく。そんな罅が走ってしまった心を触れてくれたのはカイトだった。

カイトはその両手で凌牙の罅をふさぎ大丈夫だと繰り返して。

こんなにも遠回りをしてしまって、そうして漸く此処まで来れた。
一言一言、過去の罅をなぞりながら零れる言葉はスピーカーを通しWへと伝わる。

「Wの前から、逃げて悪かった」

『――』

「言い訳はしねえ。だが、お前とくだらない事を話したり、そんな時間が俺は気に入っていたんだ」

『……変わったな凌牙。いや、昔みたいに戻ったのか』

あの眼光鋭い男が絡んでるな、とWは苦笑を滲ませた声音で言葉を返してきた。
どこか寂しげな声に、僅かに凌牙は困惑する。

『お前は、もう俺だけのものにならないんだな』

「ああ、なれない」

『――本当に残念だ。けど、お前の言葉は確かに届いたぞ』

そして電話は切れた。
耳元には短調な電子音が響くが、凌牙はWの放った言葉に目を見開いてしまう。
解放されるとは、思っていなかった。だが、Wは掴んでいたその手をそっと凌牙から離していて。

「戻ってなんてねぇよ。変われたんだろ、お互い」

そう呟き、携帯を耳元から離してそっと目を伏せる。暫らくして背中を押してくれたカイトへ簡潔に一文だけのメールを送った。

『ありがとう』
その一文にありったけの思いを込めて。





 

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -