顔を背けた後に突っ伏したままの状態だったカイトが、がばりと上体を起こす。心臓に悪い、と何やら言っていたが凌牙には何の事かさっぱり分からなかった。
はっきりしろよという思いを乗せじとり、睨み付けるとカイトに呆れたような顔をされる。

「何だよ……言いたい事があるなら言えよ」

「鈍い奴に言ったところで先は目に見えてるのを、わざわざ伝える気はないぞ」

「はぁ?意味がわからねェ……」

眉根を寄せ、凌牙は机へ上半身を預ける。卓上の両腕の上に顎を乗せて黒板を眺めていると、がたんと机に何かがぶつかる音。

「天城、何してんだ」

当たったのは、カイトの机だった。彼が机を押し付け、凌牙との机の間隔を無くしていた。億劫そうに見る凌牙へ机同士をくっつけたカイトは妙に満足そうに口角を吊り上げ座り直す。

「いや、よく資料集やらを忘れた奴がこうしていたのを思い出してな」

「ああ、隣の奴に見せて貰えってな。で、何で今なんだよ」

「ん?ああ。どんなモノなのか気になった」

忘れた事などないらしいカイトは、隔たりが無くなった感覚が新しいもののようで灰色の双眸をまるくしている。一方、凌牙も何かを忘れても大して困った事はなく、机を付けあったのもなかったので肘が触れ合う位の距離が物珍しかった。
それは、手を握ったり、腕を引かれたりとはまた違う距離に見えた。

「じゃあお前、何忘れたんだ?」

「保険体育の教科書とかか?」

「置きっぱなしじゃねぇの、あれは。 変なの選んだな、天城」

ふは、と凌牙が両腕に顎を乗せたまま口元を緩め笑った。ごく自然に零れていた笑いに、凌牙ではなくカイトが眼を見開く。

今まで、見たことがなかった表情。幾らか心を許してくれていたとはいえ、自分の言葉で笑ってくれるとはカイトは考えてもいなかった。
歓喜がざあっと胸で破ぜる。
さらに心の奥深くがもっと違う面を見たいと欲張るのを手に取るように感じた。

「カイトだ」

「は、」

「俺を呼ぶ時は、カイトでいい」

欲張りが、ころころと口から滑り落ちていく。すぐ横に居る凌牙が今度は不思議そうにカイトを見上げていた。

「――呼んでくれ、凌牙」

凌牙の長い睫毛が何回も瞬きを繰り返す。眼に映るカイトは苦いものでも噛んだような表情をしているが、そのくせ凌牙、と名を呼ぶ声音は底がないように甘く優しい。
何時も飄々としているカイトが、何かを希求し抑えているような姿。

「――……カイト」

「りょう、が」

「カイト?どうし、――んっ」

彼の名前は、何の迷いもなく凌牙の唇から紡がれた。
桜貝のような唇が三つの音を乗せると、カイトを抑えつけていたものが消えてなくなる。意味を理解した脳が、希求という感情を檻から放してしまったように。

カイトの腕が伸び音もなく凌牙の顎を掬う。まるで息でもするかのごとく唇は重なっていた。

「っ!」

温かな体温を認識した瞬間、凌牙は茫然としたと同時に酷く悲しく胸が苦しくなった。
そして、パシン、と音が鳴る。

無意識に動いた凌牙の片手の平は、たった今己の唇を奪った彼の頬を打っていた。

「ッ凌牙、すまない……!」

カイトの必死な声が後ろから聞こえるが、脱兎の勢いで教室を飛び出した凌牙は答えようがない。
打った手の平がじくじくと痛む。が、それ以上に心臓が痛かった。

「――どうしてっ」

どうして、唐突にカイトはあんな事をしたのだろう。何故、自分は彼を叩き逃げているのだろう。謝らなければいけないのは自分のはずなのに。
目頭が、頬が、唇が。どこもかしこも熱い。思考がぐちゃぐちゃになる。

何度も何度ももつれそうになりながら、昇降口まで駆けた。
はらはらと、頬を伝うものに気付かないまま。





 

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