現パロ
外出しようと思ったのは気紛れだった。
テレビのニュースで、アデリーペンギンが陸上を拙く歩く映像と一緒に飼育されている水族館の情報がテロップで流れていたのを見たのだ。
その時にふと、この水族館に行ってみるかとカイトは思いついた。
突然だが、カイトには同性の恋人がいる。
名前は神代凌牙。話言葉の不器用さと世話焼き加減を絶妙なバランスで仕掛けてくる、少しばかり口の悪い恋人だ。
凌牙は、デートというものがあまり好きではなかった。否、デートというよりも、二人で外に出る事に躊躇している……ようにカイトにはみえる。事実、互いの家で借りてきた映画を観たり、デュエルをしたり、一緒に寝たり、家にいるならば彼はカイトに甘えてくれるのだ。だが二人で外出をするかと誘えば、ほんの少し顔を俯かせ眉を下げて誘いを断る。
そうまで露骨に断りをされてしまえば、カイトでも凌牙が同性での恋愛に密やかな罪悪感を感じている事を気付かされる。そして同時に、臆病者がと怒りが湧いたし、怒りを上回る愛おしさが生まれたが、カイトがそれらを口にすることはなかった。
凌牙の内心を知ってから、カイトは恋人らしいことは家の中で、外では友人の様に接するよう努めたのだが、やはり友人という偽の関係が気に食わない。外でべたべたしたいのではなくて、会話も距離感もそのままで、ただ友人という偽物の殻を取ってしまいたかった。
そんな時に水族館の宣伝を目にした。
一人で気儘な買い出しに行くはずだったが、急いで水族館の開園時間や内装案内を調べ予定を変えた。ふむ、と思案した数秒後、カイトは凌牙へと電話を掛けたのだった。
どうせ暇しているだろうと切り出し水族館へ行くことを誘えば、矢張り『男二人で、』や『人目が嫌だ』と渋られたが、普段通りならば誰も気には止めないし、水族館内は皆水槽や飼育動物に夢中だろう、と押し切れば暫く間を置いて凌牙は小さく承諾してくれたのだった。
電車に揺られて、潮風が微かに混じる海が近い駅のホームに降り立つ。上空で鴎らしき鳥が風を翼一杯に受けてゆらゆらと飛んでいる。
「カイト、駅出たらどっちだ」
「駅出口の通りを抜けると案内板がたっているはずだが」
「へえ」
タタンタタンと発車した電車を見送る。親子連れや制服姿の部活動集団の賑やかさをBGMに、彼らの後へ続き駅を出た。
案内板を見付けると、凌牙がどこかそわそわし始めている事に気付く。イルカを筆頭に、蟹やヒトデに鮫、とプリントされた海の生物の写真で既に楽しみになったようだ。
足取り軽く、水族館へはあっという間に着いていた。
「!……!!」
巨大な水槽が入館して直ぐに目に飛び込んでくると、大衆の目が、と言っていた姿は何処へやら凌牙はスタスタと水槽に近づき子供達に混じって、魚に夢中になってしまった。
「……俺より魚か」
薄暗い館内の柱を背に、思わず額を押さえ独りごちる。人目を嫌がらずカイトに着いてきた事は喜ばしいが、まさか自分が魚介類に負けるとは思いもしなかったのだ。
多少、随分、いや……かなり悔しいが、取り敢えずは凌牙が満足するまで巨大な水槽を見せておく事にした。待っているついでに、鮫やらを撮りたいと言い出した時のために一応デジカメの用意もしておこうと、ショルダーバッグから取り出す。
過去の映像を見返すと様々な二人がいた。料理をしている凌牙とハルトの後ろ姿や、お好み焼きをひっくり返すカイト、ハルトが撮ったらしい、カイトと凌牙が卓上デュエルをしている横顔。どれも楽しそうに映っているが、背景は決まってどちらかの家の部屋だ。
「カイト」
「ふ、俺を放っておいて見てきた魚は満足したか?」
「拗ねんなよ」
凌牙が珍しく申し訳ないそうな声をした。拗ねはしたが、随分と水族館を気に入ってくれて嬉しかったのが大半だ。
ふと、カイトは手元にあるデジカメを撮影モードに切り替える。
「凌牙」
「なに、は?」
パシャ、と此方と目線が合った瞬間シャッターを切る。画面には目をぱちくりとして驚く凌牙と、背景の水槽が綺麗に映っていた。
「よく、撮れてるな……くくっ」
「カイト、てめえ……」
「いいだろう、一枚くらい。ほら、コイツを貸してやるから好きなだけ鮫なり何なり撮ればいい」
現像するだろう?と問えば、不貞腐れた恋人はこっくりと頷く。
デジカメがカイトの手を離れると、無言で凌牙から彼のスマートフォンを渡された。カイトは当たり前のようにそれを受け取りカメラを起動させる。凌牙のカメラでも撮れと無言の催促なのだと、言わずとも分かるくらいにはお互いの考えは読めている。
「次はどうするんだ?」
「そうだな……時計まわりに見ていくか」
二人はゆっくりと歩きだす。通路には小さな水槽がいくつも埋め込まれ、その中には海藻に成りきる魚や蛸壺から伸びる八本の足や、じっと動かない蟹がいたりした。
丁度、入口の巨大な水槽の裏側まで回ってくると、凌牙はまたぱたぱたとそこに張り付いてしまう。
先程は遠目に見ていただけのカイトも、人が少ない裏側の水槽には足を運ぶことにした。凌牙の後ろ隣にさり気なく立ち、同じように泳ぐ魚を見る。
イワシ玉、鰺やハマチ。寿司や焼き魚を思い起こすような魚もいれば、エイや海亀といった水族館でなければお目にかかれない海の生物も泳いでいた。
「……ん? 凌牙、お前の背丈より少し上見てみろ、鮫だ」
「!」
ばっと凌牙の瞳が輝き、横顔が僅かに上を見る。カイトが指差した先から小魚の群れを割って、ヒレと尾びれを優雅に揺らして小型の鮫が泳いできた。
瞬間、凌牙は泳ぐ鮫を写真に写そうとしたが、予想以上に素早い泳ぎに尻尾しか撮れずに終わる。
一方、カイトはと言えば。
「凌牙これは何て言う鮫だ」
「撮れたのかよ……!」
横画面のぴたりと真ん中、ほっそりした鮫が見事に写っていた。驚く凌牙に対し、カイトは何をそんなに驚いているのか、といった顔で目を瞬かせる。
「名前わかるのか」
「あ?あー……多分、ホシザメじゃねぇか?」
「星鮫。中々良い名前だ」
ほう、と画面を興味津々と眺めるカイトに恨めしげな視線を向け、凌牙はまたデジカメ越しに水槽を眺め出す。カイトが撮れたのだから自分にも出来ると、シャッターを切る指に力が入る。
「なんだ、お前自身で撮りたいのか?」
「黙ってろカイト」
「まあいいだろう。おい、鮫がそろそろ一周してくるぞ」
「は?おい、どこだよ」
「ここで構えてみろ」
「わっ、な……っ」
凌牙のひやりとした両手にカイトの手が被さり、するりとデジカメが映していた場所を動かされる。ごく自然に、当たり前のようにカイトは凌牙に触れていた。
熱が一気に頬に集まる凌牙の背後で、カイトは何ともない顔で凌牙の手を掴んだままだ。
「そろそろくるぞ」
「っ、あ、ああ……」
顔が熱い。だというのにカイトは気付かぬまま凌牙、と穏やかに呼ぶ。
こんな赤面した顔など恥ずかしくて見せられない。薄暗くてよかった、と凌牙は切に思った。
真っ白になりかけた頭でも、なんとかカイトの合図と共にシャッターを切れたのは精一杯の意地だった。
「……綺麗に写りやがった」
「良かったじゃないか。何か不満があるのか?」
「うるせぇ、よっ、と」
得意気にカイトが笑うものだから、さっきの写真を撮られた仕返しだと凌牙はカメラのレンズをカイトに向けて、同じようにシャッターのボタンを押した。
「カイトの驚愕した顔とかレアだな」
「お前のと良い勝負だ」
「は、違いねぇ」
手元のカメラを操作しながら、凌牙はくすくすと笑う。その後に回った館内では、アデリーペンギンやイルカショーは熱心にカメラをむけていたが、素早い鮫を収められ満足だったのか熱帯魚やクラゲなどの水槽は「こいつら大人しいな」と言いつつアップで一枚ずつ撮るだけだった。
隙あればカイトも凌牙も互いの姿を撮ってはいたが。
「カイト。土産はどうする?」
「家に菓子を買うくらいだが。お前は?」
「あー、璃緒に水族館行くだなんて言ってなかったからな……とびきり喜びそうなモンじゃなきゃ後が怖い」
深刻な表情で、凌牙はぬいぐるみコーナーを見渡し吟味する。何度か彼の視線が鮫のふわふわした手触りのぬいぐるみへ伸びた。
そんな状態の凌牙を喉奥で笑いつつ、カイトは眸が円らなイルカを引き出して凌牙へ見せる。
「これくらいが及第点だろう」
「イルカのぬいぐるみで許してもらえるよう努力しないとな……」
ぬいぐるみを小脇に抱え会計へ向かう哀愁漂う藍色の姿を見送り、カイトも凌牙が度々手を伸ばしていた鮫のぬいぐるみを手に取ると恋人の後に続いた。
「なかなか、楽しかったぜ」
すっかり日が暮れた景色を窓に映す電車内は通勤ラッシュも終え、人も疎らだ。
凌牙はカイトの隣に腰を下ろして、ぽつりと言葉をこぼす。
信号機の甲高い音が窓の外を流れていくと、カイトはゆるりと口を開いた。
「そうか。ならば誘った甲斐があったな」
「ああ。良いデートだった」
「――! 凌牙?」
二人で出掛けることも避けたがる凌牙が、デート、と口にした途端。カイトははっとして彼に顔を向けていた。
海の輝きを閉じ込めた瞳が気恥ずかしげにそろりと視線を泳がせるが、言葉だけはしっかりとカイトの鼓膜を震わせる。
「今日、みたいな距離……嫌じゃなかった。 友人、より家にいるときの関係に見えて、でも他人は主役の魚に夢中でいてくれてさ」
「……ああ」
「並んで歩いたり一緒に水槽見たりしてたら、お前に愛されてるって大声で主張は出来ねぇけど……独り占め出来て嬉しいってずっと思ってた」
カイトがあげた鮫のぬいぐるみが入った袋に額を押しつけながら紡がれる声に、不意打ちで胸の裡が歓喜に震える。
「普段も、そう思っていてくれて構わないぞ」
「はは、カイトはブレねーな! 流石は俺の彼氏様」
「当たり前だ」
凌牙に肘で突かれ、カイトがお返しとばかりに上半身を凌牙へと倒す。二人が座る後部車両の一角だけがほんの少し賑やかになるが、二人以外に人がいない後部車両は聞き耳を立てる者もいない。
ああ可笑しい、と言う凌牙の隣で、カイトは恋人への愛情が内側から溢れかえってしまいそうだった。
*
ひっそりと感謝の贈り物