暗闇が霧のように消え白い空間になった時。こん、とノックが聞こえ三度目のドアが開く音がします。

現実世界の少年が躯に傷を負っていた状況だったので、真心の化身である少年は暫しの睡眠を余儀なくされているのでした。心地の良い風が更に睡魔を引き寄せるのでしょう、目蓋が開いては閉じかけてうつらうつらしてしまいます。
そんな少年の状況など知らぬとばかりにドアが開き、灰色の双眼に強い意志を宿した金髪の青年がやってきたのです。

「眠いのか」

青年が開口一番にそう問い掛けます。コツコツと歩んでくると青年はロングコートを風になびかせ少年を見下ろしていて。その顔は物珍しそうに少年を見ていました。
少年が頷くと、青年は口元を緩め柔らかい顔でそうか、とだけ言って清涼な白い空間を見渡します。

「可笑しな場所だ。お前という存在以外、この場所には誰かの心から生まれたものしかない。だからか……お前の存在しかお前のモノはないのだから、その分感情に抗えずに素直なのだろうな」

何やら考察を始めた青年に、首を傾げます。
確かにこの空間は、貰った心の一部がなければ伽藍洞ですし、真心と言う名の少年しか存在しません。

そう言えば、と少年は眸を瞬かせます。どうして少年の心の底に来訪者がくるのかと、彼はいつも気になっていたのを思い出しました。

「どうした。突然来た俺が気になるのか?」

少年の視線を感じ、青年が問い掛けます。ぽやん、となりながらも少年は頷き、怠い躯を何とか起き上がらせ聞く体勢をとるのでした。
寝る前の子供みたいだ、と青年が苦笑しますが知った事ではありません。ややあって、青年は口角をあげ説明を切り出しました。

「絆、というものが出来たからだろう。現実世界を生きる俺達はそう簡単に素直にはなれない。だが、心は何時も本当の感情が隠してある。その感情を知ったお前は俺と言う絆を素直に受け取り、こうして出会えたのだろう」

お前の心に来た奴らは俺を含め、お前が受け取った絆が形を成したモノだ。

青年の話に朦朧とする思考が何とか理解を示します。きずな、と少年が音にせず口を動かすと、空間を観察していた青年が腕を組み少年を見据えました。

「そうだ。俺との間にも凌牙、お前との絆が出来た。だからだろうな、苦しみを抱えやすいお前を少しでも楽にしてやりたいと願うのは」

青年が不敵に笑んで見せると、風鈴に似た高い音がして魚が泳ぐ更に上に、夜空と燦然と輝く星々が広がったのです。
夜空と星々は空間を暗くすることなく、遥か頭上に広がる星々がちりばめられた部分だけに夜空がありました。

「銀河は俺の心の象徴だ」

誇らしげに青年は言います。夜空の宝石の煌めきへと呼応するかのように、鯨が不思議な声で鳴きました。

「凌牙、苦しくともお前の周りには誰かがいてくれる。それは幸せな事だと俺は思うぞ」

再び眠くなってきたのでしょうか、少年がふらふらと躯を揺らします。そしてぱたんと横に倒れた少年を青年は寝やすい体形に整えてやり、そっと立ち上がります。
心地の良い眠りに落ちた少年の髪をするりと撫で、凌牙、と少年の事を呼んだ青年は静かにドアをくぐり抜け空間から消えるのでした。


さて、夜空に幾つかの流星が降って消えました。
少年は再び苦しみと悲しみに苛まれます。しかし、今までとは違う事がありました。
ぽろぽろと零れゆく涙をそよ風や魚達が拭い、慟哭を深い夜空が包み込んでくれたのです。まるで心の一部達が少年の負った感傷を少しづつ吸い取っていくように。
真っ赤になった瞳も。
枯れかけた咽も。
どれも気にならない程に少年が泣き続けていた時、ドアが開かれました。
星が輝き、魚が尾を打ち鳴らし、風が強く吹き、それぞれが来客を少年へ伝えます。

「よお」

そこには白いドアを背に、金色と臙脂色の髪をもつ、右目下に十字の傷痕が印象的な青年が立っていました。穏やかな声で、彼は涙を流し続ける少年へと言葉を紡ぎます。

「たく、凌牙は泣き虫だな」

涙を拭いにきた魚を軽く手であしらうと、十字の傷を持つ青年が少年の頬を伝うその涙を拭い去るのでした。そして次から次ぎへと流れ落ちる涙に苦笑を溢します。

「苦しいよな。怖いよな。……外のお前を俺が救ってやれなくて、ごめんな」

頬へ添えられた温かな手のひらが微かに震え、青年は祈るように目を閉じます。
温かさと共に降ってきた謝罪に、少年は軽く身動ぎをしてからぎこちなく首を左右に動かしました。真心である少年には、十字傷を持つ青年の苦しみも悔しさも詳らかに解っていました。

「はは、凌牙には適わねェか。でも泣き虫なお前だと、説得力ないからな?」

そうした少年の行動に、青年は困ったように笑うのでした。やがて、空間をぐるりと見渡した後に何やら思い付いたらしく青年が意地悪く口角を吊り上げます。

「色んな奴に愛されて、嫉妬しちまうぜ全く。どいつもこいつも、『お前が大切だ』なんて心ばかり映していきやがって」

涙を攫う風を横目に、言葉は続きます。

「それなら俺も置かしてくれよ。外で生きるお前と、心の底で子供みたいに泣いてるお前の為に」

唐突にそよ風ではない、強い風が吹きました。思わず強く目を閉じた少年の耳に楽しげな笑いが聞こえ、そっと瞳を開いた空間には。

「なかなか、絵になるじゃねェか」

少年と青年の足元から床一面を、白や黄や、沢山の色の小さな花が咲き誇っていました。少年を見つめる彼の声は、咲く花のように誇らしさを孕んでいるのでした。

涙で滲む少年の視界では、微笑む青年と幾枚もの花弁が舞っています。

「凌牙、忘れるな。お前が泣いて苦しんでいるときも、置いていった俺たちの心はいつも傍にある。どいつも、お前の事が心配で仕方ないんだろうよ」

青年の言葉に、他の心の一部たちが騒つきます。まるで、その通りだが余計なことを言うな、とでも抗議しそうに。

「泣き虫の面も拝んでやったし、そろそろいくか。……またな、俺の一番の好敵手」

青年は咲き誇る花や舞い踊る花弁を満足げに見据えます。そして少年を凌牙と呼び笑う青年は、一陣の花吹雪と共にふわりと消えてしまいました。
不意に頬を伝い落ちた水滴が花の上に落ち、朝露のようにきらきらと輝いているのでした。


少年の白かった空間は、様々な光景と色で賑やかになります。
少年の事をナッシュと呼んだそよ風を残した持ち主も、シャークと呼んだ半透明の海の生物を浮かべた持ち主も、凌牙と呼んだ星空と花畑を広げた持ち主二人も。
どの心の形も、少年が泣き止みやがて笑う日を待っているのでしょう。

「――俺は大丈夫。大丈夫だ」

真心自身も、その日を待ち続けます。
心達と、それから、大切な半身である妹がくれたこの空間の中で。



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凌牙の心の移り変わりの話。
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