よい子の童話風/凌牙のこころと誰かのこころのお話




ある少年の深い深い心の底には、白い空間がありました。
床も壁も全てが真っ白な中で、壁に同化してしまいそうなたった一枚のドアだけが目を惹き付けます。
その空間で、少年が独りドアに背を向けて佇んでいました。
ここに居る少年は、彼自身の真心を具現化したモノでした。真心とは、偽りのない流れ込む感情に従順な心です。その真心の化身の彼は、矢張りとても感情に素直で嘘というものを知りません。
なので、独りぼっちのこの空間では現実世界を生きる少年が負った心の傷を、『痛い』と素直に吐き出せることが出来ました。

少年は感じた痛みに対して幼子の様にぼろぼろと涙を零します。両方の青い目から透明な涙がとめどなく白い床に落ちていきますが、此処は少年の心の底なので床は濡れはしません。けれど、泣いている少年の目はうさぎのように赤らんで、腫れていました。

痛い。くるしい。かなしい。
少年は泣きます。我慢することなく、現実世界を生きる少年が感じた傷を涙と嗚咽に変えて。抱えた傷が大きく、少年は泣き止みません。

それからいくつかの月が満ち欠けする時が過ぎ、ある日突然変化が起きました。泣き続ける少年の背後のドアがかたん、と開いたのです。

「やはり、泣いていた」

軽い音をたて開かれたドアの把手を握っていたのは、銀鼠色の髪に、白亜のマントと甲冑を着た青年でした。
カツカツと入ってきた青年に少年は気付かず、泣き続けています。青年はそんな少年の姿を、哀しそうに、でも優しさを湛えた目でじっと見つめていました。

「君が彼の感情を肩代わりしてくれているお陰で、今日も彼は生きていられる」

しばらく少年を見ていた青年が、誰に言い聞かせる訳でもなく言葉を紡ぎました。泣く事にいっぱいいっぱいの少年は勿論気付きません。それでも青年は口を開きます。

「君が居なければ、彼はとっくに壊れてしまっただろう。私は君に礼を言いに来たんだ」

青年は、静かに優しく言葉を添えていきます。それはまるで告解部屋で罪を告げるように、ひっそりとした中に決意が混じっていました。

「でも、このままずっと泣き続けるのは君だって辛いだろう。しかし私には君の涙を止められる術が解らない」

青年も、泣きそうに顔を歪めます。涙が零れないよう、深く深呼吸をして言葉を続けました。

「だから、せめて。せめて、この伽藍洞な空間に私の心の一部を置いてはくれないだろうか」

己の胸に手をあて、青年は願い事を口にします。
次の瞬間には、心地よいそよ風が青年と少年の髪を揺らしていました。青年が置いていきたかった心の一部とは、微かに花と潮の香りがするそよ風のようです。
ざあ、と髪を揺らす風に気付いた少年はびくりと震え、ゆっくりと青年が立つドアの方を振り返り、目を丸くしたのでした。

「私からの細やかな感謝だよ。……また会おう、ナッシュ」

白亜のマントを風に遊ばせながら、青年は少年をナッシュと呼び、その髪をぽんと撫でた後ふわりと消えてしまいました。

それから、泣いている少年の傍らにはいつの間にか、そよ風が慰めるように吹き抜けるようになるのでした。


そよ風が白い空間に吹くようになってから、何度も太陽と月が巡ります。
少年は変わらず泣くばかりですが、時々息苦しさで蹲る日が増えてきました。少年の心は不安定になりかけていたのでしょう。

その時も上手く息が吐き出せずに躯を丸くしていると、前触れなくドアが突然開いたのです。

「シャーク!」

少年より高めの声が空間にうわんと響きました。息浅くそろりと見上げた視線が、やってきた少年の視線と重なります。
力強い勇気を持つ少年の存在が眩しく、蹲ったままの空間の住人である少年は目を細めて彼の顔を見つめるのでした。

「苦しい、よな。ごめん、俺にはシャークの苦しみをどうやっても楽にしてやれないんだ……」

息苦しいのでしょう。呼吸が浅い姿を見ながら、眉を下げしょんぼりと少年が言います。

「シャークの苦しみや悲しみはシャークだけのものだから、俺が肩代わりとか出来なくて……すげー悔しい」

心の住人である少年もそのことは理解しているので心配いらないと、少年のもどかしそうな表情に目元を和らげてみせます。
暫く見つめあっていると、何やら思いついたらしくぱたぱたと少年が近づいてきました。

「あのさ。この心地の良い風みたいに、俺の心を少しシャークに分けさせてくれよ。駄目か?」

蹲った少年は何とか首だけをゆっくり左右に振り、構わないと伝えます。その動作を見た少年は、やったぁ!ととても明るい声で飛び跳ねるのでした。

「そうだなぁ。シャークは水属性が好きだから……うん、俺の心を少しだけあげるぜ」

元気いっぱいの笑顔で少年が笑うと、遥か頭上を不思議な鳴き声と共に半透明の大きな鯨が悠々と現れました。少年の周りにも半透明でカラフルな魚が、するりするりとそよ風の波に乗り、泳いでいます。
少年の真っ白な空間が一気に色をもちました。

「これが俺からの気持ちな!」

少年をシャークと呼んだ笑顔が似合う彼も心を置いていくと、手を振ってドアの外へと消えていくのでした。

浅く息を吐きながら、少年はゆっくりと体勢をかえ仰向けになります。すると少年の遥か上を大きな鯨がゆったり旋回していました。
じっくり見ていれば、苦しさを紛らわせる事が出来ます。
風にのって泳ぐ海の生き物達は少年の瞳にはさぞ美しく見えたのでしょう。


鯨の他に鮫が数匹増えた頃の事です。
少年は現実世界を生きる少年自身の不安定さに振り回されていました。痛いや苦しいや悲しいの他に憎いと言った暗い感情に白い空間が暗闇に閉ざされた瞬間もありました。泣き続ける少年に、風と魚達は暗闇の中でも決して彼から離れずに寄り添い、闇が晴れる事を待ち続けました。




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