凌牙が人ではないかもしれない話




神代凌牙は天城カイトの好敵手であり、大切な人物でもあった。
意地っ張りで虚勢も張るが、根は甘やかされる事が好きな年下の凌牙をカイトは好いている。そして不器用な甘え方を許してくれるカイトを凌牙も同じように好いていた。

カイトがそんな風に好いている凌牙だが、彼には常人とは少し違う感性や体質をしていた。

まず前提として、凌牙が愛用するデッキは水属性だ。水、というからにはデッキのモンスターカードの大半が魚類や海に住むと云われるモンスターなのである。中でも彼は鮫をモチーフとしたモンスターを愛用していた。

そこまで魚類が好きならば日常生活でも実在の生物が好きなのだろう、とカイトが訊いた際、凌牙はまるで苦虫でも噛んだかのような顔で首を左右に振ったのだ。
凌牙曰く。魚屋やスーパーなどの海鮮食品売り場はどうしても近付けないらしい。記憶にある限りの幼い頃海鮮食品売り場に初めて足を踏み入れた時、捌かれた魚肉や生臭い臭いに言い様のない悲しみと嘔吐感に襲われ過呼吸なり、気を失った事があったそうだ。その後から魚料理はもちろん、魚肉食品がある場所には近付けなくなった、と凌牙は目を据わらせながら話す。
魚肉が駄目ならば多くの生きた魚が悠々と泳いでいる水族館はどうなのかと問うと、矢張り無理だと首を振られた。――あの巨大な硝子の箱庭にいる魚達を見ていると胸が切り裂かれるかのような気分になる、らしい。理由は凌牙自身判らない。

更に、海ならどうだ、と言うと「好きだ」の三文字が即座に返ってきた。そう口にした凌牙の瞳はキラキラと夜空の一等星よりもまばゆく輝いていた。


「つまり人の手が入ってこない海がいい、と」

「そうみたいだぜ。水族館は、どうも駄目だ。何でそんな狭い世界で苦しくないのかとか、魚に感情移入しちまう……理由は知らねェけど」

「可笑しな奴だ」

くつりとカイトは笑い、岩場に座り海面の彼方へ沈んでゆく夕陽を眺める。打ち付ける波の音は控えめで、潮風が心地いい。

二人で海に来てこうした話をするのは随分似合わないが、どうしてだか凌牙の話に聞き入ってしまう自分がいた。
す、とどちらともなく口を閉ざすと、胸の内側が騒つく。二人で海まできたのだ、恋人らしい事をしたいとカイトの中の本心が一笑している。

「……キスをしても構わないか」

「何だよ、突然」

じっと夕陽を見ていたオレンジが加わった深い青色の瞳が楽しげにカイトへと向く。凌牙はいいぜ、と唇だけを動かし笑みを浮かべた。
凌牙と同じくオレンジを乗せたカイトの瞳が柔らかさを湛え、ぐっと近づく。

「ん」

「……、やっぱ、熱い」

お互いの唇が触れ合っていたのはたった数秒。唇同士を合わせるだけの軽いキスだが、カイトの唇が離れた途端凌牙は眉を寄せて触れ合っていた唇にそっと指をおいた。もう一度、あつい、と呟く。

これが、凌牙の通常の人間とは違った体質だった。
カイトだけに限らず凌牙の素肌には、人の体温が長く触れていてはいけない。以前凌牙と口論になり腕を強く掴んだ時など、まるで熱湯で火傷をしたかのようにその部分だけくっきりと赤くなった事があった。幸い直ぐに冷やせる状況だったので痛みと赤みは数日で引いたが、今思い返しても凌牙に申し訳なく感じてしまう。
凌牙本人はこの体質を言っていなかったのが悪い、と全く怒っていないのだが、その事故以降カイトの中では彼に触れる事は、硝子細工を扱うよりも丁寧で繊細になった。
凌牙の肌は人間の、カイトの体温を長く受け付けられない。それはつまり啄むようなキスが限界で、それ以上の行為が出来ないという意味だった。
想いを告げた時に、「セックスが出来ないからきっとつまんねェぜ」と言い放ったのは凌牙だ。だからどうしたとカイトが些末なことだとばかりに切り返したのは記憶に新しい。

「なあ、カイト。俺にこんなのしか出来なくてテメェは満足なのかよ」

暗に、つまらないだろう?と凌牙はことある毎に訊いてくる。口では歪んだ笑みを見せるのだが、問い掛けてくる彼の眸は何時も不安に怯えている。

ああ、ほんとうに、こいつはいとおしい。

「構わん。俺は今の状況で満たされているし、不満もないからな」

口角を吊り上げカイトがつらつらと言葉を述べてしまえば、凌牙の白い頬がふわりと赤らんだ。夕陽の所為ではないだろう。
必要以上に触れたりも抱き合ったりも出来ないが、カイトはそれでいいと感じている。声が聞けて、話ができるしデュエルもできる。プラトニック・ラブと分類されてしまう間柄だが、彼と過ごせる時間は間違いなく恋人同士のものなのだから構わない。

「陽が、沈む。そろそろ帰るか」

「……ああ」

カイトが立ち上がり言うと、凌牙は僅かに名残惜しげに返事を返す。
海と離れたくないのだろう。じっと地平線を見ている彼から目を逸らし、ゆっくりと目を閉じる。

凌牙自身、きっと知らないだろう。
どうして彼が店頭に並ぶ魚を嫌い、水族館を避け、そのくせ海を好むのか。そして、人間の体温で簡単に火傷をしてしまうのか。
カイトだけが、解っている。いや、解ってしまった。
脳裏にハルトにせがまれ読み聞かせた、アンデルセン童話の一話が文字の羅列として浮かぶ。魚の尾びれを持つ海に住む姫が、陸に住む人間の王子に恋をした報われない恋の話。
きっと凌牙はその話中に登場する姫に近い存在だ。

凌牙から見れば、店頭に並ぶ魚は自分と同じ部位を持つ生き物であり、それらの死が晒すように並んでいる様は本能が耐えられないのだろう。水族館も、生きながら彼らは閉じ込められている、と考えているのかもしれない。
何より、水中で暮らす彼らには人間の体温は熱すぎるのだ。

それらが物語る事実は、きっと。――凌牙は、サカナなのだろう。
直感だが、間違いではないと奇妙な確信があった。

サカナかということを、彼には問わない。それを訊いてしまえば、凌牙は泡のように消えてしまう気がした。

彼を海にも何処にも還したくはない。潮風に耳を傾ける恋人の立ち姿を見つめるカイトは、風に音を乗せるように凌牙の名を呼んだ。


*
凌牙がサカナだったら。
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