学生パラレル





「よく、解らないことがある」

唐突に、隣りで珈琲の缶に口をつけていたドルベが、金網の向こうに広がる街並を見つめ口を開いた。
視線は真っ直ぐ街並を見たまま、ドルベの声だけが金網に寄りかかる凌牙へ向かって投げられたのだと気付いたのは、数秒置いてからだ。

「……お前の口からそんな言葉が出るなんて……明日は雨か?」

「残念だが明日は快晴だそうだ」

ドルベの言った言葉を脳内で咀嚼し理解した凌牙は珍しい物でも見るかのように、未だ遠くを見る青年の横顔を凝視する。
博識で、幅広い知識を得る事が得意なドルベが、解らないと凌牙に言ってきたのだ。驚かない方がおかしい。
眸に純粋な驚きを映した凌牙を横目で見つつ、微かに笑みをこぼしドルベは凌牙の皮肉を流した。

「で?何が解らなくて悩んでんだ」

呆れ混じりに軽く炭酸が抜ける音と共にプルタブを引くと、ラムネの香りが仄かに鼻腔を擽る。軽く一口を喉に通すと、甘酸っぱさが弾けていく。
たまには炭酸もいいな、と凌牙が一人頷いていれば言葉がまとまったらしいドルベに凌牙、と聞き手の催促をされた。

「真面目に話くらいは聞いてくれてもいいだろう」

「テメェの話は遠回しなんだよ……いいから、話せ」

ため息をついて、ドルベへ視線を向けてみれば随分と真剣味を帯びた眸と視線が絡まった。

「……魅力的な人がいるのだが、その人物を陰で不良だの恐ろしいだのと宣う輩がいたんだ。私から見れば陰口を叩かれていた人物は心を掴んで離さないくらいに興味の尽きない人なんだが……」

「まどろっこしい」

「む。つまり、どうして陰口を言う輩は君の良さに気付けないのだろう、と理解に苦しんでいる訳だ」

静かに口を閉じ、じっと凌牙を見るドルベに言葉が詰まる。
なんだと話を聞くうちに最終的にとんでもない爆弾を落としてきた。悩みの根本にいるのが凌牙、ということが無性に恥ずかしい。それを真面目に凌牙本人に打ち明けるのだから尚更。

「……俺がお前自身への理解に苦しむ」

「何故?」

「お前が、悩んでたのは、俺に関する事だって事実に、だっ!」

カッとなり、声を荒げた凌牙の矛先には不思議そうな顔をするドルベがいた。
途端、炭酸が抜けるようにじわじわと凌牙の怒りの熱も抜けてしまう。
ドルベは、本気で悩んでいたから打ち明けたのだ。そこには打算も良からぬ事も無い、純粋な疑問だけ。

がしゃがしゃと金網を鳴らしながら、凌牙はずるずるとその場に座り込んでしまう。

「あー、くそ。そんな事どうでもいいだろうが」

「私が、気に食わない。凌牙、君はこんなにも綺麗で魅力があるのに」

「っ、同じ考えの人間なんていないだろ」

「いない?」

するりと下りてきたドルベの指先が凌牙の髪を一房手に取り、くるくると遊ばせている。半分パニックに陥っている凌牙は嫌がる気もなれず、遊ばせたまま浅く息を吐いた。

「皆が皆同じ意見じゃねェだろ。陰口を叩きたいなら好きにさせておけばいいんだよ。そいつはそういう人間なんだろうし」

「それも、そうなんだろうが……」

「俺の悪口が気に食わなかった、か?」

黙り込むドルベは肯定を示しているのだろう。
全く、時たまこうして曲げられない意思を見せてくる。だから凌牙はドルベに対して真面目な印象を持っていた。
熟考しだしたら止まらないだろうと、凌牙は微かに緊張しながら己の髪で遊ぶドルベの手を引いて。

「ドルベ」

「……、?」

「キス、しようぜ」

ドルベが目を丸くしたのは一瞬だった。直ぐに影が凌牙の上に被さり、夕陽の光に照らされて艶めかしく赤らむ唇を塞いできた。
苦い珈琲と甘ったるい炭酸水の味が塞がれた互いの口腔で交ざる。
苦いと思いつつ、息があがりかけた凌牙が薄ら目を開くと、眼鏡の奥でうっそりと笑むドルベの相貌が目の前にあった。どうやらキスに夢中になり上手く熟考モードを逸らせたようだ。

「ん んっ、――は、」

苦しい、と肩を押し返せば静かに唇は離れていく。
触れていた口元から熱が広がっていくような錯覚が、自ら口付けを強請った行為を強調させてくる。

「大丈夫、か?」

「……ああ」

とてつもなく恥ずかしいが、それ以上に、凌牙を思ってくれるドルベへと愛情に近い感情を返せた事で気恥ずかしさは流せた。

凌牙の口端から零れた唾液を拭ってやりながら、何やらすっきりとした顔付きでドルベが口を開く。

「確かに、君のこんなにも良い所を知っているのは私だけでいいな」

そう言ってくすくすと笑うドルベに凌牙は「そりゃ良かった」と、言い捨て飽きれてからぐったりとうなだれた。


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