パラレル
バレンタインにチョコレート、なんて菓子会社の戦略だと言ったのは誰が初めだったのか。この時期になると、コンビニもデパートも甘い香りとチョコレート商戦一色になる。
まんまと乗せられてると思いはするが律儀に板チョコを刻み洋菓子を作る辺り、その戦略とやらに凌牙も嵌められてしまっているのだ。レシピを幾度か見ながら綺麗に出来上がったガトーショコラを切り分け、二つの箱に詰める。一つは毎年市販品と凌牙の手作りを交換し合う璃緒の分。もう一つは、
「何で毎年あんな奴に作ってやってるんだか」
凌牙が呆れる位にチョコレートが欲しいと五月蝿い、恋人の分。とろりと溶かしたチョコレートをガトーショコラの上に垂らしながら、気恥ずかしさからか眉間に皺を寄せる。
恋人であるWは、兎に角、もてるのだ。プロデュエリストでもある彼には世界中からプレゼントが届く。日本がバレンタインだからというだけではなくて、常日頃から贈り物は堪えない。日本のバレンタインがその贈り物分に上乗せされるだけなのだが、Wは『好きな人へチョコレートを贈る』というやりとりに酷く惹かれたようで。
付き合って初めてのバレンタインにWへチョコレートを渡した時に見せた、あの心底満足そうなWの表情が凌牙は忘れられない。その年から、バレンタインデーには決まって彼へ手作りを渡してしまうようになってしまった。
渡すと、赤い瞳をきゅっと細め素直にありがとう、と囁くWが、何だかんだ言いながらも凌牙は好きでいた。
だから、今年も彼は恋人にチョコレート菓子を渡す。
*
エレベーターが静かに上がっていく。随分階数を上がったところで目的の階に着いたのだとエレベーターの微かな振動が止まり、表示された階数に凌牙は小さく舌打ちをした。
地上は随分と下の、ある有名ホテルの最上階。
エレベーターから降り、Wから送られたメールと階数を見比べたが間違いはない。あのプロデュエリスト、日本に滞在する間この最上階で悠々と過ごす気のようだ。
早く渡して帰ろう。と凌牙は居心地の悪さに片手に下げた紙袋を握りなおし指定の部屋の前に立つ。落ち着かせるように深呼吸を一つして、『今着いた。ドアの前』とメールを入れ、人差し指でそっとドア脇のインターホンを鳴らした。
「凌牙、」
「……W」
Wは直ぐに出て来て、ゆるりと笑う。スケジュールも一段落し、気分転換の時間が出来たらしく彼の機嫌は良いようだ。
「……」
「凌牙? どうした?」
いつもならこのまま会うと、デュエルや買い物や恋人同士らしい事に傾れ込むが、今居るのは格調高いホテルの最上階。凌牙の物怖じしない性格にも限度がある。
数秒目を泳がせて、凌牙は無言でWへと紙袋を突き付けた。
「バレンタイン、か」
「バレンタインだ。今年は、ガトーショコラ。食いやがれ」
「ああ、大事に貰うぜ。……っと、待て帰ろうとするなって」
「な、おいっ」
踵を返そうとした身体を、Wによってあっけなく引き戻されてしまう。捕まれた二の腕を引かれ、凌牙は最上階のスイートルームに招き入れられた。
ロックが掛かる音がして、背後のドアと眼前のWに挟まれる形になり凌牙は何をするのか、と部屋に閉じ込めた恋人を睨む。対して、Wはといえば凌牙の不機嫌さをまるで見えないフリで、紙袋の隙間から香るカカオの香りに口角を上げてみせた。
「……目的のモンはやっただろ。俺を帰せ」
「つれねぇな。まあ、こんな場所だから緊張でもしてるんだろ?」
「――っ」
図星か、と視線を逸らした凌牙にWは意地悪く喉をならす。
かさり、かさりと箱が擦れる紙袋を満足げに見つめるとWが静かに口を開いた。
「どうせこの部屋にも階層にも、俺とお前しかいねぇよ。誰にも見られないし、お前を誰かに見せたくない。 ゆっくりしていけばいいさ」
貸し切りだ、とアジアチャンピオンは得意気に言い切る。反射的に凌牙は赤と金の髪をひっぱたいた。
「W……てめぇ馬鹿か」
「良いだろ、今日は特別な日なんだしよ」
「はあ?」
怪訝そうに凌牙の視線が真っ直ぐにWへと向く。
――ふと、その目線が長くて傷一つない彼の指へ止まる。左手の薬指、銀色で細身のシンプルなリング。
デュエルをする間は指にアクセサリーを着けないWが、珍しく嵌めていたソレが目に焼き付く。なんて事はない、ただのアクセサリーを見ただけのハズだが、さあっと心の真ん中が色褪せる感覚がした。
「なあ、……それ、」
「ん?」
「なん、でもない。 それより、早く俺を帰せよ」
「ゆっくりしろって言ってるだろうが。ほら、少し座ってろ」
問い掛けた声は情けなくも消えてしまう。帰るから、ロックを解除するカードキーを渡せと言うが、Wは凌牙の声を聞き流し腕を引いてふかふかのソファへ彼を座らせた。
待ってろよ、と念を押し別室にWが消えると、仕方なく座った身体はずりずりと横に倒れる。髪の毛が顔に掛かるのも気にせずに、凌牙は小さくため息を吐いた。
何故だろう。あの指輪を嵌めた指とWの上機嫌な表情がキリキリと胸元を絞めてくる。誰かに贈られたのか、自分で購入したのか……前者なら嫌だ、と心の中で本音を溢す。問い質す事もできない醜い嫉妬だと、凌牙は独り自嘲した。
「寝るなよ。襲うぞ」
「寝てねぇ」
暫くしてWが別室から戻ってきた。両手でトレーを持ち、上には紅茶を淹れたポットとティーカップ、菓子が乗った二つの皿。その片方は凌牙がついさっき渡したガトーショコラが乗っている。
隣に座ったWは、起きろ、と言いながら慣れた手付きで紅茶を淹れ、ティーカップとソーサー、小さなチョコレートケーキが乗った小皿を凌牙の方へ置いた。
「なんだよ、これ」
帰還を諦めた凌牙がのろのろと起き上がり、ちょこんと小皿の上で美味しそうに存在を主張する丸いチョコレートケーキを指差す。洋菓子店で売っているようなケーキだな、と言うとWが作らせたんだ、とにべもなく返してきた。
「ほら、さっさと食えよ凌牙」
「俺が作ったヤツよりこっちの方が旨そうだろ。Wが食えよ」
「嫌ですよ。年に一回の私の楽しみを盗らないで下さい」
「……」
フフン、と猫を被りフォークで凌牙が作ったガトーショコラを口に運びながらWは目だけで、良いから食え、と無言で訴えかけてくる。
折れたのは勿論凌牙だ。
溜め息をついてフォークで小さなケーキをさくりと切り分けようと、した。
「……? あ、?」
からん、とフォークとケーキの中の空洞から何かが落ちてきた。凌牙は一つ、瞬きをする。ケーキの中は空洞だった。そこから、銀色の小さなものが転がり落ちてきたようだ。
「く、ははっ」
「W?」
ケラケラ笑いながらWはそっと皿の上で光を放つそれを横から取り上げ、稍あって口元を引き締め真面目な顔で凌牙を見つめた。
彼の手には、銀色で細身のシンプルなリング。
――あ。
はたと気付いたのは左手を恭しくWに持ち上げられてからだった。Wが手にしているそれは、彼の薬指に嵌められているものと全く同じで。
「凌牙」
「っ」
すっ、と銀の輪が凌牙の薬指に通された。Wと凌牙の薬指にある同じリングがカチリと音をならす。
驚きと動揺で、凌牙は青い瞳を丸く窄めた。そんな恋人の姿をWはじっと見つめ、ゆっくりと口を開く。
「俺が凌牙にこの指輪を贈る意味、判るよな」
「本気、かよ……!」
「ああ。好意を持ってから本気だった。 ――凌牙、俺の隣にずっと居てくれ」
震えるWの指先が凌牙の手を包み、たったいまリングを嵌めた薬指の先に小さく口付けを落とした。
まるで懇願するかのように、切々とした口付けを。
「好きだ。好きなんだ……」
ぱさりと金色の髪が凌牙の肩に掛かる。Wに抱き締められたのだと気付くのに時間は掛からなかった。
凌牙はそっと空いている右腕を彼の首に回す。指輪が光る薬指を見ると、胸がとても暖かくなる。
「トーマス。俺も愛してる」
ぎゅうっ、と凌牙を抱き締める腕の力が強くなった。
「凌牙……ありがとう」