幸せシリーズ…カイト24歳と凌牙17歳の設定話/パラレル
寒い日が続く師走下旬。
手袋をしていても指先がかじかむ。無意識に凌牙はその手を擦り合わせ、ぐるぐるに巻いたマフラーを口元まで隠して息をほう、と零した。途端に白くなる息に一層寒さが増した気がする。
駅前のロータリーに立つ時計に目をやると、そろそろ待ち人が乗った区間急行の電車が駅にくる頃だ。使いづらいが、手袋をしたままぎこちない手付きで凌牙はコートのポケットから携帯を取り出し、電話帳から待ち人の家の電話番号を出してコールする。プルルル、と呼び出し音が三回ほど鳴った後で受話器を取る音がした。
「……もしもし」
「ハルトか。俺だ」
「あ、りょうが。どうしたの?」
「もうそろそろあいつが駅から出てくるだろうから、連絡入れただけだ。……今から帰るから、キッチンには入るなよ」
うん、と電話口で頷いているのは待ち人の弟。まだ小学校低学年の可愛らしい盛りの子だ。
雪が降りそうだから、と傘を持って待ち人を迎えに行こうとしたのを凌牙が止めて留守番を頼んでいた。こんなに寒い中を迎えになど行ったのなら身体の弱い電話口の子は直ぐに風邪菌にやられてしまうだろうと、夕食の用意をしに待ち人宅に来ていた凌牙は慌てて迎え役を代わったのだ。
「一応の連絡だ。じゃあな、」
「あ、待って凌牙」
切ろうとした電話は寸のところで引き留められる。あのね、と待ち人の弟が小さな声で言う言葉の続きに耳を傾けた。
「クリスマスケーキ、楽しみに待ってる。 だから凌牙はカイト兄さんとゆっくり帰ってきていいからね」
「ハルト?……切りやがった」
含み笑いが籠もる謎めいた一言を残し電話は切れてしまった。予約していたケーキは帰り道がてら取りに行くとして、ゆっくり帰ってきていいとはどういうことだ。携帯を眺めながら凌牙は首をかしげる。
「凌牙……?」
「あー、よお」
予想通り、電話をした後すぐに雪がちらついてきた。ぼん、と傘を開き手持ちぶさたにのろのろと空を仰いでいると、駅の出入口から目立つ見慣れた金色が駆けてきた。
凌牙の待ち人だったカイトは、驚いたような不思議そうな感情を織り交ぜた顔で凌牙を見る。何故此処に、と今にも言いたげな雰囲気で。「迎えに来た」と片手に持っていた傘を押し付け先手を打つ。
「来ていたのか。待たせてしまっただろう」
「別に。それよりもケーキ予約してあるんだろ?ハルトが一人で留守番してるから取りに行かねぇと」
カイトがああ、と相槌をうち黒地のコートの襟元を直しながら隣で傘を開く。窮屈な電車内からようやっと解放されたからか、見上げた横顔はどこか晴れ晴れとしているように見えた。
「見事にホワイトクリスマスになってしまったな」
「ホワイトクリスマスとかは暖房つけて家の中から見るから良いんだろ」
用もなく外出なんてしたら、寒いわ濡れるわ良い事が無い。と凌牙が言えば、カイトはそれもそうか。と重く広がる雲に視線を移しながら笑う。
白い吐息がカイトの口からふっと空気中に消えていった。
「……」
――そんな彼の表情が大人びて見えて、凌牙は息が詰まった。否、事実カイトは大人なのだが、そのことを確りと受け止める事が凌牙には上手く出来ないのだ。
家事炊事が苦手で、凌牙がこうして足繁く通わなくては三食がインスタントになりそうな程の人物。家の中ではハルトの良い兄で、何故か凌牙にもハルトとは意味の違う愛情をくれようとしてくる。
凌牙から見たカイトの認識は家の中で得たものの方が圧倒的に多く、こうして外で得る『大人であるカイト』はどうしても慣れない。
それこそ彼が今着込んでいるコートの下に着ているワイシャツやネクタイといった服装を考えるのですら、違和感を覚えてしまう位に。社会人と高校生との間の溝をあまり深く考えたくは無くて、胸がつきりと痛んだ。
「どうかしたのか」
「――、いや。寒かっただけだ……、っておい」
「ケーキ屋まであと少しだ、これで我慢しろ」
「何、なんだよ……」
絡まった思考は、カイトに右手を掴まれる事で緩んで消えた。手袋越しにでも伝わる彼の手の体温の高さに無意識で頬が熱くなる。
嫌でもこの男の事を考えてしまい、余裕が消し飛ぶ。
だが、手を引くカイトの表情は家で寛いでいる時のもので、凌牙は密かに安堵していた。
二人は繋いだ手に水滴が落ちるのも構わず、洋菓子店までゆっくりと歩いた。
「ハルトへやるプレゼント、決まってるんだろ」
ケーキを包んだ紙袋を提げながら凌牙が問うと、カイトは当たり前だと真顔で肯定を返す。
因みに手をつなぐ行為は店を出てからも継続中だ。凌牙の折り畳み式の傘を取り上げられ、一つの傘の下に二人で入ればケーキの紙袋がカサリと揺れた。その行為を嫌がらない凌牙自身、色々とカイトに毒されてきている気がしたがこの際大人しく目を瞑った。
「買っておいて俺の部屋の机の抽き出しの中に隠してある」
「精々ばれないように頑張れよサンタさん」
聖歌隊の歌声が響く教会の前を抜けて、人通りもない民家の連なる路地を歩きながら時折家を飾るイルミネーションやクリスマスの飾りに目を移すもお互いの声は聞き逃さずに会話は続く。
「俺が失敗る訳がない。……所で凌牙、お前は何か頼まないのか」
「誰にだよ」
「今お前の隣で傘を差している男に、だ」
「いらねぇよ、ばか」
とん、と体当たりをかましてから鼻で笑ってやれば、つれないな、と穏やかな声で返される。
カイトに何が欲しいかと問われても、新しいノートだとか切れかけていた整髪スプレーだの買い忘れた物リストが浮かぶだけで凌牙にはピンとくるものはなかった。これらを言ってしまえばこちらが無欲だのと笑われる番なので口にはしないが、ムードの一文字もない欲しい物に内心頭を抱えてしまう。
「……。なあ、だったらカイトは何が欲しいんだよ。一つくらいあるんだろ?」
リストを打ち消し、何となく訊けば、隣を歩く男の空気が変わった。糸を弛ませず張ったような、口を挟めない真面目なものに。
「主張出来るような証……いや。指輪辺りが欲しいと思っては、いる」
考え込むカイトの口元が、稍あってゆっくりと開いた。僅かな真剣味を帯びた声が耳朶を打つ。
身に付ける装飾品が欲しいなんて珍しい、と思えば視線が不意にカイトとぶつかった。
「勘違いをしてるようだが、俺が贈る側だからな。俺自身も同じモノをつけはするが」
「は? ああ、ペアリングか」
渡す相手がいたのか、と更に凌牙が目を丸くする。
確かに、カイトに好意を寄せる異性はいくらでもいるだろう。ブラコンを拗らせた上に家事炊事は怪しいが、顔はよろしいのだ。……言い寄る女性も少なくはないし、その中には彼を献身的に愛してくれる人物もいるのかと結論に至ってしまえば、無性にカイトとの様々な溝を痛感させられた。
それは喜ぶだろうな、と紡ぐ凌牙の声は震えていたかもしれない。
「好きな相手、なんだろ……贈るなら相手の好みに合うデザインにしてやれよ」
「まぁな。わかっている」
そう言って繋いでいた手が離れていく。いつの間にか、マンションへ着いていた。
エレベーターで上の階に上りながら、カイトがハルトへ「もう着くからな」と連絡を入れる傍ら、凌牙は静かに床を眺めていた。
誰が誰に何を贈るにしろ、クリスマスのご馳走を幼い少年が待ちわびている。気持ちを切り替えてさっさと用意をしなくては。ケーキの紙袋を持ち直して、エレベーターの扉を抑えてくれているカイトより先に降りながら凌牙がマフラーを外す。
「カイト。先に入ってハルトにただいまって言ってやれ」
「そうだな。――ああ凌牙、」
「あ?」
灰青色の眸が一瞬で凌牙を捉える。家にいる時の柔らかな気配に変化したカイトはゆるりと口角を吊り上げた。
「今度の休み、空けておけ。お前の好みのデザインが知りたいから選びに行くぞ」
「……っ!」
何を、とは言われずとも判ってしまった。遠回しにしれっとこの男に好意を告げられたのだ、同時に馬鹿みたいに沈んでいた事が急激に恥ずかしくなる。
顔をぶわわっと赤らめ口元を何度も開閉させて混乱を露にする凌牙の姿に、いいものが見れたとカイトが意地悪く喉奥で笑う。聖歌隊の歌声が遠くで聞こえる夜に到底似付かわしくない表情だ。
ハルトの声がすると瞬時にカイトは優しい表情に変わり、メリークリスマス、と楽しそうに言い合うものだから凌牙はひっそりこめかみを抑える。
一つはっきりしたのは、凌牙のクリスマスプレゼントは少し遅れて届く事だった。
カイト兄さんのコートの下はスーツ姿です。