ワルツ、ノクターンの続き/人形凌牙/トロン兄弟/凌牙サイド




一日は、暗闇の隙間から幾千もの光の筋が射すところから始まる。虚ろな俺が、虚ろで無くなる瞬間。

「……凌牙」

耳触りの良い低い声が俺の身体に名前を吹き込む。りょうが。そうだ、俺は凌牙と呼ばれているんだ。
朝だぜ、と俺を揺り起こし名を入れてくれるのは、いつも決まって片方の目の辺りに傷跡を持つ赤い眸の……Wだ。

他人の名や言葉、姿形は記憶出来るのに、どうしても己の名前だけは暗闇に堕ちる度に忘れてしまう。毎朝Wが俺を呼んでくれるから、俺は俺自身を繋ぎ止められているのだろう。
今日も、Wは俺の眸を覗き込むとうっとりと笑む。俺はそんなWの穏やかな赤い目を静かに映し返すことしか出来ない。それでもWは満足らしく、頬に触れてくる指先は優しいのだ。
一日でWが一番穏やかな顔を見せてくれる時間だった。

「今日は……どの服にするか……?」

暫くして頬に触れるだけのキスをし、ベッドから降りたWはシャツに腕を通したまま自身の着替えもおざなりに、隣のクローゼットを開き俺の服を選びはじめる。
俺に問おうとも返事など返せないのに、是非を訊いてくれる。

――物も言えぬし、身体も自分では動かせない。誰かが名を呼んでくれなければ、こうした自我すら生まれはしない。
俺は、人形なのだ。
元は人間だったのかもしれないが、その記憶はもう風に攫われてしまったまま欠片も思い出せない。俺の記憶が覚えている最古のものは、Wに初めて名前を呼ばれた、あの夜。俺はWのものだと囁かれた瞬間からだ。
あの日から俺は人間で言う、心を貰った。朝に成れば自分自身の名を忘れようとも、心だけは消える事はない。WやVがくれる感情でじんわり満たされる心が、俺にはとても愛しくみえるのだ。

浅い懐古に浸っていると、幾つか服を選んでいたWが気難しい顔をしている。どうしたのだろう、と思ったが彼の腕には何着か俺の服が抱えてあり、その中から選ぼうとしていたようで。

「ベージュローゼ……Vと被るから却下」

不機嫌な表情で薄い桃色を弾いてしまった。
V……、Wが私用で部屋を空けるとよくこっそり俺の元へ話し相手をしにきてくれるWの弟。柔らかな雰囲気を持った少年で、彼も優しい声で俺を呼んでくれる。確かにWに言われると薄い桃色はVの雰囲気に似た色かもしれない。不機嫌に却下はされてしまったが、明日は着せてくれたら嬉しいのだが。お揃い?と飛び跳ねるVを何だか見たくなった。

一着減ったWの腕の中に、深紅が一際生えるものがあった。赤い色の生地が使われているが不思議とキツくない色合いで――ああ、Wの瞳の色にそっくりだ。

「――」

それが着たいと思った。深紅の服がいい、と声が出せていたら音にしていただろう。だが動かない口元は音も出ない、ただ無音だけが零れていく。
しかし、すい、と唐突に顔を上げたWが俺に目を合わせた。紅紫の双眸は緩やかに喜色を湛えている。

「なんだ、こいつが気に入ったのか」

深紅の衣装がベッドの上に広げられた。その他はてきぱきとクローゼットにしまわれる。
――Wは俺の思いが判るのだろうか?
自然に、当たり前のようにWは俺の思いを理解してしまう。あり得ないことなのに。

「俺の眸と同じ色だってVが言ってやがったヤツだな……凌牙は知ってたのか?」

「――」

似ていると思った、と音無き声を発すると、言葉を汲んでくれたWの姿が嬉しげに映る。するすると寝間着を脱がされ、紅と紫の鮮やかな布地が、また俺の肌を覆う。相変わらずの手際の良さだった。
ベッドから何時もの定位置のソファへ座らされると、Wは漸くデッキだ、今日からリーグ戦だなどと慌て始めた。

室内が些か騒がしくなったが十数分後には準備を整えたWが、名残惜しそうに俺を抱き締めくぐもった声を出す。

「凌牙、行きたくねェんだけど行って来るな……」

「――」

さっさと帰って来いよ。苦しいくらいの抱擁を精一杯甘受してから、Wを送り出した。


Wがいなくなると室内の静けさが一気に増す。部屋の主人が居なくなったのだから当たり前なんだろうが。
行き際にWが開放させていった窓からそよぐ風と鳥の声以外は全くの音がない。……人間ならばこの状態を暇だと思うのだろうか。生憎俺にはそう感じるような感覚は持ってはいない。
ただ部屋の主人の帰りだけを待っている。

と、幾つか時計の短針が動いた頃、不意にノックの音が響き少ししてから部屋のドアが開いた。

「――居ない。何だ、Wは結局リーグ戦に出たのか」

白銀の長い髪が印象的な男が扉の前に立っている。一言残していけばいいものを、と眉を釣り上げ、不機嫌そうに嘆息する――と、白銀の男の目線が俺に突き当たった。

「……君は留守番か」

「――」

こいつもWやVと同じ様に俺に接するらしい。年下の……WがVへ向ける時に似た刺の無い丸みのある声音で、何故だか訊ねられた。
無言の肯定を返すと長い指が頭上に降ってくる。

「……」

「――」

相手も無言で、俺の頭をぐしゃぐしゃに撫で回していく。
ぎこちない動きだったが、撫で回した後の絡んだ髪を直して行く指先の動きはとても丁寧で、俺の表情筋が動いたならさぞ驚いていたことだろう。

「まったくあの弟は……、仕様のない奴だ」

頭から離した手で額を抑える男は、Wを弟だと言った。そしてVやWの会話に出てくる兄の話題を思い出した。銀色を颯爽と揺らすこの男がW達の兄の、X、だろうか。

「まあいい。……留守番、頼んだぞ」

そう言い残し、Xは静かに出ていった。
俺に当たり前のように話し掛け接してくれる辺りXとW達は確かに兄弟だと確信しながらも、似ていた眼差しや接し方が引き金となり無性にWが恋しく感じてしまう。

「――」

紅紫の生地を視界に写し、彼の色に微睡みたくなった。





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