低い電気音の響く館内の巨大水槽の前に凌牙は立っている。時刻は日にちを跨いで5分過ぎ、何時もならば先に来ているはずの青年の姿はなかった。

「昼間来てたしな」

今日は来ないかと誰もいない空間を所在なさげに見ていると、カタンと鍵の開く音。驚く凌牙の正面に不思議そうな表情をした昼間の金色がより鮮やかに映った。

「来たのか、カイト」

「ああ。ハルトがさっきまで起きてたんだが、やっぱり疲れて寝てしまったから、気晴らしにな。それよりも、お前が俺より先に居るだなんて珍しいな?初めてじゃないか」

「カイトが遅かっただけだろ」

軽口を言えばカイトに小突かれた。何時もは凌牙の方が遅い、と言われれば良い反論は浮かばない。
そっぽを向けば隣でクッと笑いを堪えられた。

「今夜はやけに機嫌がいいな?どうした」

「うるせぇ。クソッ笑うんじゃねーよ!」

「ふ、ククッ」

口元に片手を添え肩を震わすカイトに何を言っても無駄のようだ。好きに笑わせておくしかない。

「……ああ、そうだ。今日は昼間もここに来たんだ、ハルトを連れて」

笑いが漸く引いた頃、カイトが思い出したと昼間の話をした。やはりあのカイトよりずっと小さな子供は、話に聞く弟のハルトだったのかと凌牙は記憶の中の小さな子供を思い返す。素直そうな目が印象的に残った。

「へえ。昼間は人が多かっただろ」

「まあ、真夜中と比べればな。でも、ハルトは満喫してくれたし……何よりこの水槽でイイモノが観られたから損はなかったぞ?」

そう言い、カイトは振り返って大きな硝子の向こう、小魚が今は泳いでいる中腹あたりを指差す。
どきり、と凌牙の胸が跳ねる。

「は、いいものって、何、だよ……」

「あそこ辺りで、この水族園に一匹しか居ない鮫が可愛らしく舞ってくれたんだ」

可愛らしく舞ったつもりは毛頭無かった。だからか、カイトの放った予想斜め上の言葉に声が出せなくなり段々恥ずかしく思えてきて――凌牙は顔をぼふ、と赤らめてしまった。

「どうした凌牙、顔が赤くないか……?」

「何、でも、ねェ!見る、な、っ!?」

抵抗も虚しく手を掴まれ、伏せた顔を覗き込まれる。灰色の双眸が心配そうに凌牙を見ていた。カイトの表情が普段よりも煌めいて見えるのは余計なフィルターが掛かってしまっているに違いない。

「平気か。熱でも、」

「っ無いから気にするな。ったく、あー、鮫の話はいい……そのあと弟とどこ見てきたんだよ」

これでは心臓が持たない。無理矢理話を逸らしたが、カイトは無理するな、と一言添えてから昼に弟と回った場所を指折りしながら話に乗ってくれた。

「海月や海老や蟹……小さな水槽から目を離さなかったな。ああ、あと触れ合いが出来る場所の海星も気に入っていた。写真、見るか?」

「中々……お前の弟変わっているな。普通熱帯魚とかじゃ、いや何でもないぜ。……ああ、写真撮ったのか、見せろ」

デジタルカメラを嬉しげに見せるカイトに凌牙はいくつも言いたい言葉を飲み込み頷く。フォルダにはぺたりと水槽に貼りつくハルトや海星をじっと観察するハルト、……とりあえず弟が沢山写っていた。凌牙は無難に可愛いな、と感想を述べる。

「手が空いたらプリントアウトする予定だ。――そうだ、ついでに今撮ってもいいか?」

「はあ?誰をだ」

「お前と俺を。思い出したらハルトしか撮ってなかった。これだと俺がブラコンみたいだろう」

「ブラコン……。いや、俺が撮ってやる」

何でもないようにカイトは言うが、凌牙は何となく自分自身が写るのかと怖くなった。否、写らないのではないか、と。それでカイトに突き放されるのではないか、恐怖感が渦巻く。
サッと背筋が凍る。それだけは――嫌だった。

「嫌か?」

「……」

迷子の様に首を縦に振る。それだけで追及せずにそうか、と苦笑したカイトに胸が苦しくなった。
鋭い奴、と凌牙は心の内で舌を巻いた。

「そうだな、――お前との逢瀬は秘密の時間のようなモノだ。写真にすれば誰かに見られる可能性がある……俺の楽しみを覗かれたみたいで気に食わないな」

「……っ。カイト、お前、逢瀬の意味知ってて言ってんのか」

当たり前だろう?と意地悪く笑うカイトにどんな顔をするべきか迷った挙げ句、

「……恥ずかしい奴」

泣きそうになっていた眸を思い切り逸らした。



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