続
「凌牙」
「あ?」
「手を繋ぐぞ」
「は? な、おい!」
言うが早いか、カイトは白い指先に触れた。ぎこちなく重ねた手は確かな温かさを持つ凌牙の温度を感じ取り、繋ぐ手に力が籠もる。
俺の意思は無視か!と顔を赤らめる姿にくつくつと笑ってしまった。
温かい人肌の体温をもつ凌牙に安堵する自分がいる。その温かみに安堵するなど、凌牙に逢う以前の己にはなかった不思議な感情だった。
「凌牙、今日はイルカがいる場所に行きたい」
「ハッ。驚いて威嚇されるのが目に見えるな」
「……イルカは威嚇するものなのか」
「する」
ほう、と相槌を打つカイトへ絶対威嚇されるぜ、と凌牙は皮肉を混ぜて口元を弧の形にする。
こっちから回った方が早いと、握られた手を何ともぎこちなく引きつつも、案内をしてくれるらしい。口からは気強い発言をするが取る行動は随分愛らしく、そんな風にカイトには映っている。
一歩一歩と巨大な水槽から二人は遠ざかる。早朝までこの水族園には居られない為に行動できる時間は限られていた。見たい場所へ行くのならば長居は出来ない、のだが。
「どうしたんだ?」
「いや、」
ふと後ろ髪を引かれる気がして水槽へ振り返った。水槽の壁ぎわには硝子の向こうに舞う様々な魚のネームプレートが掲げられている。水槽から離れた薄暗い中でも、配列する名前くらいはぼんやりとだが読める。大きいものから小さなものまで、ネームプレートと照らし合わせれば確かにその魚たちは向こうにいた。たった一種を除いて。
「こんなに奥まで魚が見える巨大な水槽で此処へ来るたびに捜しているんだが、何故か鮫だけがいないんだ」
ネームプレートはあるのにな、と独り言のようにそう付け加えれる。
すると、突然凌牙が立ち止まり今にも泣き出しそうな眸でこちらを見据えた。向けられた両目は何処までも昏い色を揺らしていて、カイトは酷く困惑する。
「凌牙……?」
「見たい、のか」
鮫を、と声には出さずとも不自然に震える口ははっきりとそう形作っていた。
見たい?――確かにここへ来るたび、記憶にある特徴的な泳ぎをする姿を一度も水槽に見つけた事は無い。不思議には思っていたが、その優美な姿を見た事は無いと断言は出来なかった。水槽ではない、もっと違う場所で視界にいれたような、見てはいないが会ったことがあるような、可笑しな感覚が胸に纏わり付く。
「……いや。きっとその鮫も俺たちと同じで何処かに抜け出しているんだろう」
自己完結に似た言葉を零し、空いている片方の手ですっかり落ち込んでいる凌牙の頭をわしわしと撫で回した。びくりと跳ねた肩も気にせず、撫で回した後は落ち着かせるリズムで髪を梳いてやる。
どうして目の前の藍色が動揺したのか、理由は解らない。問えば教えてくれるだろうが、カイトはそれを聞きたいとは望まない。知ってしまえばこの丁度良い距離が崩れてしまうと頭のどこかが確信していた。
「ほら行くぞ。案内しろ」
「、分かってる」
きっと、お前の言う通りだ。先導する凌牙が空調の音に掻き消されるくらいの囁きを零したことをカイトは知らない。
鮫は今夜、月明かりの光を知る男の隣を泳いだ。