美術館館長カイト×人魚凌牙







ぼーんぼーんとエントランスに閉館の時刻を知らせる時計の音が流れた。内観を白で統一してあるこの美術品は照明の明かりでより一層明るく感じるが、外は既に陽が落ち暗くなっているのだろう。


【星の海美術館へようこそ。
当館は空と海を題材とした美術品を展示しています。
エントランスには海を象徴する、遥か昔の船首像が皆様を美しい青と光の世界へと誘います。
只今期間限定の夜空の絵画展を開催しておりーー】

……と、目を落としていた【星の海美術館】と書かれた自館のパンフレットから顔を上げ、午後からずっと座り続けていた受付の椅子から立ち上がると星の海美術館の学芸員兼、館長のカイトは大きくのびをした。

平日の閉館時刻となると既に来客も無く、月の光が静かに流れている。
出入口へと歩きcloseと書かれた札を扉に掛けて内側から施錠をすれば、館員としてのカイトの一日の仕事は終わりを迎える。このまま館長室に戻り荷物を持ち帰宅もできるのだが、カイトの中にそうした選択肢はとある事情から選べなかった。

出入口にブラインドを下ろし、通りからの視線を完全に遮ればピアノの音楽に紛れぱしゃん、と水が跳ねる音が館内に響いた。
途端に館内の光が薄く青みがかる。白い壁に目をやると細かい泡が天井へ上がり、ぶわりと何匹もの小魚の群れが影となって泳いでいた。まるで館内が海の中になってしまったかのような、不思議な光景。常人ならば飛び上がりでもしそうなものだが、カイトは落ち着き払った表情で壁を泳ぐ魚をつつくのだった。

「うちは水族館ではないんだがな」

「ケチ臭い事言うなよ。この美術館のテーマには海が入ってるんだろ?」

ほんの少し呆れを含ませた声で呟くカイトへ、楽しそうな応えが飛んできた。
笑い声の代わりなのだろう、ぱしゃん、と何か跳ねる音が白い壁にこだまする。
この場にはカイト以外の人間はいない。しかし声の主は確かにカイトの視線の先にいた。

『海の青』と名付けられたカイトの腰ほどの大きさをした展示品の硝子玉に其れは座っている。

「一日お疲れさま、館長サン?」

様々な明るさの青色を溶かした色をしているきらきらとした硝子玉。そこに座り口角をゆるりと上げている少年も青色の髪が美しい。その色は彼の白い肌を一層引き立ててみせている。

彼の機嫌に呼応するように跳ねる水音。それは少年の足元から聞こえている。
そこには腰かける少年の臍から下がより鮮やかな青色の、魚のような尾びれになっていて。そう、彼は人ではなく、言うなればお伽噺に出てくる人魚だった。

「凌牙、貴様……そう思うなら昼間に悪戯で魚を泳がせるな。パフォーマンスだのと誤魔化したこちらの身にもなれ」

からかいを含んだ声で人魚はカイトを労うが、対するカイトは痛む米神を押さえる。
凌牙、と呼ばれた人魚はカイトの呆れ声にほんの少しつまらなさそうな顔をする。

「……暇だったんだよ。魚達も遊びてェってごねてたし」

「……全くお前は。閉館した後は好きなだけ遊ばせているだろう。少し位は我慢しろ」

拗ねた凌牙の表情を見て、カイトは少し相好を崩した。元気のない尾びれの動きが、硝子玉を囲む水溜まりにしょんぼりと沈みこんだ。
一応反省はしているらしい。ならば構わないか、と今日一日の終わりをこうして楽しみにしていた人魚へ近寄り、その海のような藍色の髪をぽんぽんと撫でてやる。癖のある髪だが、触ってみるとそれはとても柔らかい。

「!……明日からは、まあ、閉館を待ってやらなくもないぜ」

改心の一撃とはこの事か、という位にカイトの触れる掌にぐりぐりと頭を押し付けながら、凌牙は満足げに目を細めている。珍しく甘やかしたが効果覿面だったらしい。口からでる言葉とは裏腹に凌牙の尾びれは何度も跳ねている。まるで犬か猫の尻尾のようだ。その様子が可笑しくて、喉奥で笑いを押し込めなければ凌牙をまた拗ねさせてしまうところだ。


「魚共を遊ばせて構わないか?」

「人目はないようにしてある、好きにしろ」

自身にも他人にも厳しいカイトがこうして甘くなるのは、カイトの弟と凌牙にだけだった。
見た目こそ人魚である凌牙だが、その姿は代々この美術館を継いできた館長にしか見えない。そしてその中でも唯一凌牙へ触れることが出来たのはカイトだけだ。
相性が良かったのか、凌牙が触れることを許したからなのか。理由は解らないが金色の髪を持つ精悍とした青年が青い人魚へと触れる様は何処か幻想めいている。

行け、と凌牙が呟けば大小様々な種類の魚が硝子玉より溢れる水溜まりから飛び出し、すいすいと空中を泳ぎ始めた。

「ーー」

自由にたゆたう魚影へ目を落とし、凌牙はゆるりと目を閉じる。
魚を自在にコントロール出来る彼だが、凌牙自身は硝子玉の上からは遠くへ行くことはできない。青い硝子の中心部、幾つもの青い光が乱反射する其処に白く輝く小さな丸石が浮かんでいる。明るい昼間では視認出来ない仕組みになっており、その輝きは暗い中で神秘的に浮かび上がる。
淡く軟らかに輝くそれは、凌牙をこの世界に実体化させることが出来る、彼の総てである、人魚の心臓。

それは展示説明文にも記載されていない、カイトと凌牙しか知らない硝子玉に隠された秘密だった。

故に、人魚は心臓が納められた硝子玉からは離れられず、長らく人の生活を見るだけの時間を過ごしていた。歴代の館長と話は交わせても触れることは出来ず、展示品となってからも心の裏は深い海底のような淋しさが支配していて。
カイトの横顔を眺めていた凌牙は無意識のうちに言葉を音にしていた。

「なあ、」

「どうした」

「俺を、抱き上げてくれよ。少しだけでいいから……俺に、カイトの体温を教えて」

ふと、無性に寂しくなる時がある。
凌牙は長らく我慢していた欲求をほろりと溢す。深い水底に似た青年を見つめる瞳は揺れ、微かに伸ばしかけた指先は震える。

「いや、悪い、なんでも……わっ、」

嗚呼しまった、とはたと開いた口を慌てて閉じようとしたが、喉から出たのは少しひっくり返った驚きの声。

水が跳ね、身体が浮いた初めての感覚に酷く驚く。素肌に当たる布地の感触と、人魚の凌牙より随分熱い彼の体温。

「な、カイト、」

「いいから首に腕を回せ。落とすぞ」

「落とすなよ!」

身体が濡れるのも気にせずにカイトは凌牙を硝子玉の上から抱き上げてしまった。
慌てふためく人魚に軽く脅しをかけてしまえば恐る恐るといった風に首に腕が回り、余程恥ずかしいのか凌牙の呻く声が肩口から聞こえてきた。

水を纏う人魚の体は冷たく感じたが、抱き上げた彼の素肌はじんわりと温かさをもっていて。

「変な遠慮などしても無駄だ。凌牙、お前が俺を見ているように、俺だってお前をよく見ているつもりだからな。……あんな風に一生懸命にねだられたら、叶えるのが道理だろう?」

「恥ずかしい、奴」

口に出すほど恥ずかしいのだろう、凌牙はカイトの肩口に顔を埋めたまま動かない。けれど髪の間から覗く耳は赤らみ、青い尾びれはパタパタとこれでもかと揺れているのだった。

「……あったかい」

よいせ、と抱き直し暫く凌牙の好きにさせていると、ぽつりと凌牙が呟く。
記憶に刻みつけるように囁かれた声にカイトは白銀の両目を細め、抱き上げる腕に力を込める。

「それは、お前もだ。俺には、お前がとても温かく感じられる」

人魚は、この世に生きてはいない。本体は白い石なのだから。
けれども、触れ合う肌は確かに温かな熱があった。幻ではなく、確かに感じられる凌牙の温度。

「またこうして抱き上げてやろう。そうすれば何時でもお前は俺の事を思い浮かべるだろうからな」

得意気な笑みを浮かべ凌牙を覗き見れば、それを聞いた彼の頬がぶわりと赤くなる。何か言いたかった口はぱくぱくと声にならない叫びを上げているようだが、カイトには知ったことではない。

ぎゅう、と抱き締め人魚の項に唇を落とせば、今度こそ凌牙の照れ隠しの悲鳴が落ちるのだった。
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