前提:もし凌牙がスタンダード次元の零児に保護されたら。





「零児」

暗がりに音を投げる。微かに階下で聞こえる機械音以外に耳に届く音はなく、一瞬この空間に居るのが自分だけなのではないかと錯覚してしまいそうだった。
呼び出した本人がここにいると言っていたのだから、一人という筈はないがどうにも凌牙は呼び出したこの男、否、彼の纏う空気が少しだけ苦手だ。

声をかけて三秒、暗がりの気配がゆったりと動いた。

「来たのか」

投げ返された言葉が正面から跳ね返ってきたように、暗闇に響く心地のよい低い声が凌牙の耳を擽る。声に混ざる微かに含んだ愉悦に、機敏な凌牙が気づかない訳がない。

そして下りていたブラインドが音もなく上がり視界が開ける。
射し込む明るい陽射しに目を細めれば、光に背を向ける形で椅子に腰掛けた零児の姿があった。眼鏡のレンズ越しに見える彼の瞳は何を考えているのか深くは伺い知れない。感情の読み取りは不明瞭であるが、しかし零児の視線は確りと凌牙を捉え離さない。

「至急、なんて言われたからな。……で、用件は?」

「呼び出しはしたが、急を要するものではなかったはずだ……ふむ、手違いか。まあいい……凌牙、」

「っ」

たった三文字。己の名前を呼ばれた途端、凌牙の心臓はどくりと大きく脈を打つ。
低く、心地のよい声音がぴりぴりと背筋を駆け抜けていき、凌牙は無意識のうちに息を詰める。
目の前の男の声は凌牙の記憶の中に鮮明に思い出させられる位の聞き慣れたものに、酷似していた。平淡かそうでないか、違いはそれくらいな程に似ているのだ。
零児に似ている声の持ち主は愉快犯ではあるが、凌牙の身に何かあれば己のことなど省みず彼の身を案じる一面があった。不安そうに眉をしかめて、『凌牙』と呼ぶあの好敵手は元気だろうか。頭のなかで反響する自分の名前の声に思考が飛ぶ。

「やはり、私に呼ばれる事は馴れないようだな」

と、掛けられた声に思考がするりと眼前の男に戻される。
組まれた手の下、零児の薄い唇は確かに吊り上がりその顔は愉しげに見えた。そうした動作すら品があるように見えるのだから、余計に凌牙の神経を逆撫してゆく。だが、零児の僅かに細まった何処か愉快げな瞳に、浮かんだ反抗も呆れと共に泡となって消えていく。

「……はぁ。そうだな」

遠目で見ていると、赤馬零児という男は幾人もの部下を抱えながらも、自分の内側には何者も寄せ付けない気配を纏っている。冷静沈着を絵にかいたような人間なのだ。

けれど。けれども、凌牙が側にいるときは妙に名前を呼びたがり、遠目で見るよりずっと判りやすい、人間らしい表情を見せてくるのだ。今のように、思わず脱力してしまうくらいには。

「やはり、私に似た声の人物は君にとって天敵か何かか」

「Wは、あいつは……まあ、零児ほど冷静じゃないからな。顔を合わせたら先ず口喧嘩からのデュエルになる」

時たま手足も出るが、とそれは心のなかでひとりごちる。

さておき、そんな人間らしい彼の側面を見てしまえば、神代凌牙という少年の性格上、無視など出来る訳がなかった。好きに行動してみればいい、と零児から言われているが時間が空くと決まって零児から秘書や護衛の者を通して呼び出しがかかる。

呼び出しとは体のいい表向きのもので、実際は零児の息抜きの会話役をする用件だ。
こうして零児の空き時間にぽつぽつと二人だけで会話をするのが、最近の生活サイクルに組み込まれつつあった。

「口喧嘩か。それは……まるで不器用な感情表現だな」

「あいつから吹っ掛けてくるんだよ」

「ああ、そうだろう。まあ、君も中々、罪作りな人間だ」

くすりと上品な笑い方を溢し、彼はその男はイメージに反し奥手だ、と独り言をこぼす。それに意味がわからないと首を傾げるのは凌牙だった。

Wが奥手。どうにもしっくり来ないし、そんな素振りもないような気がしてならないからだ。

「私ならそのような子供じみた真似はしないさ。……好意を持った者には私しか見れなくさせたい。それこそ盲目的にな。その為には手段は選ばない」

不意に零児が席を立ち、カーペットの敷かれた床を音なく歩を進めてくる。彼の長く赤いマフラーがふわりと揺らぐ。
言葉の意味を考えていた凌牙が零児との距離に気づいたのは、彼が目の前に立った後だ。

凌牙が少し顔を上げて零児へと視線を向けると、僅かに弧の字を描く彼の口許が目に映る。纏う空気に充足感が溢れそうになっているのは気の所為ではないだろう。

「零児?」

一体どうしたのかと凌牙が首を傾げると、筋張った長い指が凌牙の髪を梳いていく。
うつくしい美術品でも撫でるかのような手つきに、酷く戸惑ってしまう。
そんな凌牙の狼狽え具合に零児はレンズの奥の瞳を細め、笑う。

「気にするな、ただ私の気紛れだとでも思ってくれ」

成程、独占欲とはこの事か。
戸惑い揺れる深海色の瞳を見つめ返し、零児は珍しく沸き上がる感情を胸の裏でゆるりと笑ったのだった。



*
一度は書いてみたかった零児×凌牙。
満足しました。
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