ハートランドシティに平穏な日常が戻ってきた頃。
バリアン七皇だった彼等は人間として生きることとなり、夫々がゆっくりとだが確実に彼等らしい生を取り戻し始めた。日常生活を送る彼等は本当に生き生きとして、周りの者はほっと胸を撫で下ろし。
皆、幸せを噛み締めているのだと、そう思っていた。
ただ一人を除いて。


「……」

カイトはシティの外れにある街が見下ろせる丘の麓に立っていた。なだらかな傾斜の道の脇には葉を繁らす桜の木とカイトの背丈よりも高い向日葵が丘の上まで続いている。
見上げた空には白い雲が積み上げた砂の山のように青空を彩っていた。

景色に目を向ければ誰が何に悩んでいるのかなど、無かったことに思える。しかしそう簡単にはいかないのだろう。

『ーー凌牙』
『やめろ』
『?何をだ』
『ーー俺を、凌牙って呼ぶのは、止めろ』

初めは眉根を寄せ、彼はカイトの言葉を否定した。目を丸くするカイトへ、彼は何度も凌牙とは呼んではいけないと、止めろ、と口にして。その声は叱責ではなく、どちらかと言えば苦しさや罪悪感が込められていた。
その時初めてカイトは、凌牙が苦しんでいるのだと気付かされたのだ。

理由が知りたくて、カイトは凌牙と呼び続けた。直接教えろと言ったところで彼が素直に言う様には見えなかったし、呼んでやらなくてはいけないと心のどこかで思っていた。
呼ばなければ、凌牙が消えてしまいそうだったからかもしれない。

暫くして折れたのは、凌牙だった。
酷く冷たい、風のない水面の様な声でカイトへ印の記載がされた地図を送り付け言葉を放つ。

ーーそんなに俺の事を凌牙って呼びたいなら、今度の土曜に此処へ来いよ。

自嘲を含ませた彼の瞳は、不思議な色に揺らいでいた気がする。示された場所の名に目を瞠るカイトを、彼の薊の瞳はじっと見つめていた。
そうしたやり取りがあり、カイトは地図の場所へ来ていた。

「なんだ、来たのか」

「来いと言ったのはお前だろうが。それに理由を訊かせてくれるのだろう」

背後から聞こえた呆れたような凌牙の声に振り向き、カイトは微かに口角を上げる。
バイクで来たのだろうか。彼の片手には瑞々しく咲き誇る百合の花束が握られていた。

「やっぱりお前、頑固な奴だよ」

「お前も、一度誓えばそれを貫き通す性格だ。俺とさして変わらない」

「俺はカイトほど立派な奴じゃねェ」

花束を抱き空を仰ぐ姿を横目で見やり、ぽつぽつと交わされるていた二人の会話は終わる。

シティの外れの静かな丘。
緩やかな坂道を登れば、芝生で緑に染まる見晴らしのいい開けた場所に出た。そして、等間隔に幾つもの白く四角い石が並んでいる。石には一つ一つに人の名前が彫られ、所々に花が手向けられていた。
そう。カイト達が来たのは、生を終えた人々が眠る場所、墓地だった。

花束を持ちカイトの先を歩く凌牙の足取りに迷いはなく、小道に入ると広い霊地の木陰が被さる1つの墓碑の前で足を止める。
そうして、静かにカイトへ振り向き、刻まれた名を見るように促す。
その名が視界に映り、脳が理解をした瞬間、カイトは目を見開き言葉を失った。

「っ 凌牙、何故……!」

そこには、3つの名が刻まれていた。2つは何年か昔に刻まれたのだろう、彫られた窪みが僅かに色が違う。そして、一番新しく刻まれた名前にカイトは酷く困惑した。

「何故?……そうだな、これが、俺なりのけじめなんだよ」

するりと白い彼の指先が真新しい文字をなぞる。確かめるように、感触を刻み込むように、『Ryouga』の文字を触れていた。

「璃緒には言ってないぜ。何時かはバレるだろうけど」

「……」

「俺はナッシュだ。バリアン七皇だった、ナッシュだ。 人間の神代凌牙は、ずっと昔に事故で亡くなった。今の俺は……凌牙の身体を借りた紛い物、」

「ふざけるな!」

脳裏が熱を持つ。頭の中では疑問と怒りが渦巻いていた。
カイトは感情のままに声を荒げて彼の言葉を遮る。こんなにも激情に駆られたのは久方ぶりだった。一度溢れ出た言葉は止まらず、堰を切り凌牙へ向く。

「俺達にとっての神代凌牙はお前だ!お前、だけなんだぞ……!確かに、バリアン七皇の奴等からすればナッシュであるのも間違いではないのだろう。だが、俺の知っている人に頼ることが苦手でその癖我慢だけは誰よりも上手くて……。少しは頼って欲しいと思える人間、それはお前だけだ。凌牙、お前だけなんだ……」

「……」

「……、墓碑に、名を刻まなければならないほど凌牙の名前は重いか。辛い、のか」

奥歯を噛み締め、感情を押し殺した声で、カイトは尋ねた。
凌牙は、水晶のような曇りのないカイトの双眸をじっと見つめ、それから微かに笑う。まるでカイトが激昂することをわかっていたかのように。

「カイト。てめぇがそうやって怒ってくれるなんて珍しいものが見れたよ。それにお前の考えが聞けて良かった」

「ーーああ」

「名前は……重いな。お前が呼ぶ度、息の仕方を忘れそうになるんだ。心臓が痛い。罪悪感ってヤツに潰されそうだよ。なのに、その癖、……嬉しい。こんなんじゃ、本当の凌牙に申し訳ないってのにさ。
全く、どうしようもねえよな」

息を詰めたのはカイトだった。以前なら絶対に見せない純粋なさっぱりとした笑みを凌牙が向けるのだ。
嬉しいと思う一方で、自分が凌牙であることが苦しいと言う。穏やかで、悲しげな笑みを浮かべ。

けれど、その穏やかな声も、深い海色の瞳も、ほんの少し眉を下げて困った顔も。全てカイトが知る人間の凌牙の姿だ。

「事故で亡くなった凌牙は、生きたかったと思うんだ。もっと家族とか大切な奴等と触れあって、そんで幸せとか、感じたかっただろうな。……そう考えたら、どうしても申し訳なくなる。今、その幸せを、奪ってしまっているってさ」

「俺は、お前ではないからその気持ちは解らない。……だが、お前の傍で一緒に考えることなら出来る」

「考える?」

「凌牙、お前は今幸せだと言っただろう。それを罪だと思うな。亡くなった凌牙に申し訳ないと感じているのなら、その分幸せをその心に、魂に刻み付けて生きろ。……俺が亡くなった凌牙ならば、そう願う」

そうであってほしい、と言う感情をどうしても少なからず織り混ぜてしまうが、ぽつりぽつりと落ちるように紡ぐ言葉はカイトの願いであった。
その願いを聞いている凌牙は、珍しく言葉を選んでいるカイトの姿を目を丸くし凝視している。

「そんな、考え方もあったんだな」

数秒、間を置いて。じっくりとカイトの言葉を咀嚼し理解した彼はそっと目を伏せ、やがて口端を引き結び俯いてしまう。

「凌牙?」

「……、ばか。見んなよ」

そっと薊色の髪へ指を通すと、ふるりと彼の肩が震え小さな声で怒られる。その時、掻き分けた髪の隙間からすっと透明な雫が頬を流れ落ちていくのが見えた。
沢山の感情が詰まった落涙を瞳に映してしまえば、途端にカイトの胸の奥がざわめく。

彼は、平和な生活の中で独りずっと悩んでいたのだろう。そうして償うと決めた決意が名を刻むと言うことだった。……それはきっと、自分を亡くすに近い。相当の覚悟が必要だっただろう。
それらを、彼は一人きりで抱え込んでいて。そんな凌牙が流す涙は酷く美しく映った。

「これからも、お前を凌牙と呼ぶが……構わないか」

「はっ、嫌って言っても呼ぶだろうが。……いいぜ。俺は、神代凌牙として、精一杯生きる。それが、亡くなった凌牙の償いになるかは判らないけど……幸せを記憶に焼き付けていく」

「ふ、随分前向きな意見になったな」

「まあな。だってカイト、お前が俺の在り方を一緒に考えてくれるんだろう?」

「上等だ。幸せもしっかりと覚え込ませてやろう」

ほんの少し赤くなった目元を緩め凌牙は恥ずかしい奴、と顔を逸らす。カイトは至極満足げに腕を組み口を吊り上げた。


二人が去ったあとの静かな墓地の、木陰下の墓碑には真っ白な百合の花束が手向けられていた。白い花弁はどこか幸せそうに風に揺れていた。
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