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「……」

道は続く。
璃緒が目を覚ました時、歓喜と安堵で彼女に触れた指先が震えた。抱き締めたお互いの心臓が確かに鼓動をしていることが、ただただ嬉しかった。

下り坂も上り坂もない平坦な道。疲労感がない為か思考がつい懐古的になってしまう。
……そういえば今まで三人の七皇に会ったのだ。
きっと次は恐らく。

「……よぉ」

「態々立ち止まって待ってくれているとはな。ーーベクター」

ポケットに手を突っ込み、いかにも不機嫌といった顔でベクターが道の端に立っていた。よく見ると口の端が切れ、頬が赤くなっている。不機嫌はこれが原因か、と凌牙は溜め息をつく。

「頬の腫れはアリトからか」

「おー。ついでにギラグとミザエルからは頭に一発づつ食らったぜ。開口一番に殴られたわ」

ベクターは舌打ちを混じらせた悪態をついた後、静かに凌牙を見据えた。

「ナッシュも殴っていいぜ。俺は殴って済まされないほどの悪事をしたからよ」

「……」

因果応報だしな。ベクターはシニカルに笑った。
言葉は皮肉的だが、彼の顔は今まで会ってきた三人同様にすっきりとしている。

「ベクター、お前は俺の事が嫌いだったんだろう?なら俺にそんな事を訊ねる義理はないと思うが」

「あ?あー……確かにナッシュのリーダーとしての態度は気に食わなかったさ」

「なら、」

「ただよ、あいつらとナッシュのデュエル見て……俺達スゲー嬉しかったんだ」

思い返すような声音でベクターは言い、恥ずかしいのか顔を逸らす。
彼の言葉に息を呑んだのは凌牙だった。嬉しいと思われたとは想像だにしなかった。誰も凌牙を責めず寧ろ好意的に接してくれる事に、驚いていたくらいだ。
……力を出しきった一戦をベクター達が見届けてくれた、それだけで充分だった。

「俺は殴らない」

「は?」

「ギラグもアリトもミザエルも、行くべき場所がある様子だった。ならば、ベクター。お前もそうしてくれないか」

俺が殴る代わりだ、と付け加えると稍あって大きな溜め息を吐かれる。

「へいへい。お前はそういうヤツだよ」

「知らなかったのか?」

「知ってるっての。……くそ、お前には敵わねぇな!」

彼は凌牙を睨み付けつつ「じゃあまたな、ナッシュ!」と悔しげに言い捨て、凌牙の隣を通り過ぎていった。

「……」

ずっと探していたと言われたのが切っ掛けだった。
真っ直ぐな揺るぎない瞳で告げられた言葉に初めは警戒しかなかった。だが、神代凌牙がナッシュになった時、ずっと自分を待っていてくれた存在がいたことが、神代凌牙とナッシュの狭間にあった己には救いで。それで決心したのだ。自分は後輩の敵になり、バリアン世界を守らなければと。

「、ドルべ」

「やあ、ナッシュ」

白い石畳の道の中心で柔らかく笑いかけてきたドルべに、凌牙は苦笑いを返す。
声が喉に張り付いたみたいに言葉が出てこない。時に忠信の部下のように凌牙を慕ってくれるドルべにどうしても申し訳なさが募った。

「そう泣きそうな顔をしないでくれ。君はやはり素晴らしい王だ」

そんな凌牙の心境を読んだかの如く、ドルべは微笑みを絶やさず言葉を紡ぐ。
静謐な眼差しは、確りと凌牙を捕らえた。

「泣きはしない。だが、決してお前の言う良い王ではないさ」

「思慮深いのは君の美点だが、私にまで向ける必要はないよ。私は嘘はつかない。ナッシュ、君は私の敬愛すべき王であり、誇りだ」

「……お前には気を使わせてばかりだな」

ドルべは首を左右に振る。そんなことはないと、理知的な声が否定を返す。

「気など使わないよ。私はただ、君の側に在りたかっただけだ。……それは、きっと七皇皆が思っただろう。だから、こうして君に会えるまで待っていたのだから」

「え?」

「君と話せてよかった。本当は私も付いていきたいが邪魔はしてはいけないから……最後に君の手を貸してくれないかい?」

凌牙の戸惑いを悪戯が成功した子供の表情で流したドルべは、凌牙の顔を伺う。
何がしたいのか首を傾げるが、そっと片手をドルべの前へ出す。すると、彼は凌牙の手を恭しく取り、ゆっくりと白い手の甲へ唇を当てた。

「敬愛すべき我が友。喩えこの身が離れようと、魂だけは君の側に、強き君と共に。……ありがとう、ナッシュ」

温かさが離れ、ドルべは立ち上がり驚きで目を丸くする凌牙へ微笑みを向けた。
その瞳は願いが叶ったという感情を湛えていて、凌牙は小さく苦笑いを溢す。

「ああ。お前の想い、確かに受け取ったぜ」

「メラグに宜しくと言っておいてくれ。……では、また会おう」

満足そうに笑ったドルべは、靄の中へ消えていく。
残された凌牙は、静かに靄の先の道へ目をやり足を踏み出す。

「……」

バリアンとして、凌牙は戦った。神代凌牙は死んだ、居るのは七皇を纏めるナッシュだと、言い聞かせながら。
けれども、心の何処かでは疑問を抱いていたのかもしれない。神代凌牙を死なせるのが、嫌だった。
そんな想いを一番に見抜いたのはきっと妹だ。彼女は、消える最中凌牙へ「生きて」と言った。その目は確かにナッシュを凌牙と呼んでいたのだ。
彼女は何時だって凌牙の隣にいた。生きていた時も、魂になってからも。二人で在ることが当たり前で。
こうして凌牙一人になってしまうならば、今度は。

「迎えに来たぜ、璃緒」

「凌、牙……?凌牙……っ」

本当はさみしがり屋で、泣き虫な妹を迎えにいくのは凌牙の番だろう。

路傍に蹲り伏せていた顔をあげ璃緒は凌牙の姿を視認した途端、ぽろぽろと涙を溢しながら彼へ勢いよく抱き着いた。

「ばか、ばかぁ!いっぱい傷ついても平気な顔して!凄く心配してたのよ!」

「ああ。悪い」

「悪いわ!何が呪いよ…… 凌牙は人一倍責任感背負っちゃうだけじゃない……ばかぁ」

「……うん」

「でも、そんな貴方の妹で、良かったの……、私幸せだった」

強く強く服を掴まれ、璃緒は嗚咽を漏らす。凌牙はただ黙って彼女の言葉を受け止めた。

「心配かけちまったな」

「……、でも、迎えに来てくれたんでしょう?」

「お前を迎えに行くのは俺の役目だろ」

眉を八の字にして言うと、璃緒は顔を上げて真っ赤な兎のような目を晒して漸く小さく笑った。

「……ありがとう凌牙」

「それは俺の台詞だ。……待っててくれて、ありがとな」

「ふふ、私だけじゃないでしょう?」

皆貴方を待っていた。
璃緒は花が綻ぶ様に似た笑みで、今まで凌牙が会った彼等を思いながら言葉を告げる。
凌牙は照れ臭いのか璃緒の言葉に微かに唸った。

「まあ、どいつも『また』とは言ってたけど」

「なら皆まだ待ってるわね」

「どこでだよ」

「霧が晴れた先じゃないかしら」

私も知らない、と璃緒がいうと、何処からか荘厳な鐘の音が響いてきた。

そして、白い世界は突如視界が開けた。
二人が見上げた先には巨大な柱に囲まれ天辺に鐘を備えた塔。

「彼処に行けって事か」

「……ええきっと」

おずおずと璃緒が凌牙の手を握り、どうする、と問い掛ける。答えはあってないようなものだであったが。

「行こう、璃緒」


双子は早足で向かった。何時かのように、下らない話で笑い合いながら。時に口喧嘩を交えて。塔を目指して進んでいく。

「お、ナッシュにメラグー!」

塔の入り口には、璃緒の言った通りの光景があった。
ぱたぱたと手を振るアリトとギラグ、ベクターと口喧嘩で一触即発なミザエル、そんな二人を宥めるドルべ。
賑やかな七皇が二人を出迎えた。

「お前らなんでまだいるんだ」

「いや、一番乗りしたはいいがどうにも気が乗らなくてな……」

頬を掻きながら言ったのはギラグだ。その呟きにアリトも頷く。

「でよー、ミザエルとベクターが揃ったら喧嘩がおっ始まって、」

「私が仲裁に入るまでいつ手が出るか冷や汗ものだったらしい……」

手は出さないぞ!とミザエルが吠え、俺を殴っただろうが!と更にベクターも横槍を入れ、ドルべは深い溜め息を吐いた。

「それは因果応報だベクター。……ふん。とまあ、ナッシュと別れはしたが大して時間を開けず再会した訳だ」

「『また』会ったってことか」

肩を竦めた凌牙に、ドルべと璃緒はくすくすと笑い肩を震わせた。

「ベクターは一人で行くと思っていたが……」

「うるせぇナッシュ」

「見かけによらず照れ屋なのね」

「黙ってろメラグ!」

「……」

各々が、悔いのない顔で話をしている。七皇であった頃は決して見られない表情ばかりだ。
出会えて良かった。このとき、心の底からそう思った。彼等の絆を刻むようにこの光景を焼き付け、凌牙は巨大な塔の入り口へ視線をやる。
死んだ後、やるべき事は残っている。

「……そろそろ、俺は行かないといけない。地獄で待ってる奴がいるんだ」

「凌牙……」

風が凪いだように静まり返る彼等に、小さく口元を弛める。泣きそうな璃緒の頭をなで、意志の強い瞳で七皇を見た。

「お前らと出会えて、良かった。色々あったけど、七皇は……俺にとって何物にも変えがたい絆だった。けど、それで俺の犯した罪は消えない。償わなきゃならねぇ」

「ならば、私達も同罪だな」

ドルべの声が凛と響き、顔を上げた凌牙の視界にアリトやギラグが頷く姿が映る。

「だな」

「まァ、俺なんか地獄往き決定だろ」

「ほう。よく解ってるじゃないか」

ベクターの軽口にミザエルが感心した声で相槌を打ち、ベクターに嫌な顔をされている。

「どうして……お前らは救われるべきだ。今度こそ、幸せに、なるべき、だろ……!」

「そう混乱するなって、ナッシュ!」

「そう、アリトの言う通りだわ。あのね私達の幸せって、きっとまだ凌牙と一緒に居ることなの。貴方が私達を思うように、私達も凌牙の幸せを願ってる。それが叶えられるなら、貴方に着いていく。それが私達の救いよ」

は、と口を開いたが声は息となって消え、代わりに両の目から幾数もの雫が頬に二本の線を描いていく。視界が滲み、皆の表情が見えない。

「やっと、泣いてくれた。本当、凌牙は我慢強いんだから」

ぼろぼろと零れる涙が止まらない。凌牙が璃緒にしてやったように、今度は璃緒が凌牙の背を優しく擦る。

「もういいの、貴方の苦しみを私にも背負わせて?凌牙は一人ぼっちじゃないんだから」

「う、あ……ああ!」

耐えていた感情を出しきる勢いで凌牙は声を上げて泣いた。

「みんな、貴方に着いていくわ。だって凌牙は大切な仲間だもの」


七皇とはバリアン世界を統べていた王達だ。七皇であった頃はどこか殺伐としている節があった。
だが、様々な出来事が重なり、最後は七皇の一人として運命に抗い続けてきた凌牙の力で彼等は漸く絆が出来た。

それは魂だけとなった後、より一層固く結ばれていく。そして、その中心にはいつも藍色の髪をした王がいるのだった。
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