イグニール
遠ざかって行く列車を視線で追う◎は、隣で吐き気を堪えてふらふらしているナツに溜息を吐く。
それには様々な心境が入り交じっていて、言わずもがな主な原因はナツだ。
『今度から早く降りろよ…』
「おぉう………」
無事、ハルジオンに戻ってきたナツだったがいつも以上に酷く酔ったようで、焦点が合っていない瞳で◎を見つめる。
そして嗚咽を漏らし口を押さえるとよろりとよろけてしまい、列車を眺めていた◎に軽くぶつかった。
『…酔い止め持ってくるか』
凭れかかってくるナツを支えて呟いた◎は、何度目か分からない深い溜息を吐き、荒い呼吸を繰り返す彼を眺める。
「んぁ?な、なんか言ったか…??…おぇっぷ……」
◎の言葉を酔いの所為で上手く聞き取れずにいたナツは聞き直すが、また吐き気が襲ってきて俯いてしまった。
身体を震わせる弱々しいナツに、鼻を鳴らして嘲笑を贈った◎は肩を竦めて言い放つ。
『別に?いちいち酔ってるから迷惑だって言っただけだ』
「言っただけ、って、…ひ、酷くねーか?!」
冷たく放たれた言葉に多大なる衝撃を受けているナツを見かねたハッピーは、後ろにいる彼等を振り返った。
「◎、待ってたんだよ」
何度も街に行こうと誘っても梃子でも動かなかった◎は、長い間その場に留まっていたのだ。
文句や嫌みを言っていても、実際にはそのような事を思っていない◎。
それをナツは分かっているのだが、やはり誰かに事実を教えて貰った方が嬉しくなるようだ。
「◎!!!」
ぱぁっと表情を煌めかせて満面の笑みを携えると、両腕を大きく広げ伸ばして◎に抱きつこうとした。
だが◎はむすりと不機嫌な表情を浮かべると、突進する勢いで飛びついてきたナツを華麗にかわす。
『おいやめろ、暑い』
「…………!!」
一瞬にして暗く落ち込んだナツを置いたまま歩いていく◎に、ハッピーは微かに笑いながらついて行く。
随分と落ち込みトボトボと歩くナツは地面に視線を落とし彼等の後を歩いた。
「なんだよ…列車には二回も乗っちまうし……」
「ナツ、乗り物弱いもんね」
乗り物に乗ったナツの酔い方は尋常ではなく、見ている周りの人間が彼は今にも死ぬのではないかと錯覚をしてしまうほど、酷い。
いつも一緒にいるハッピーと◎はその様子を常に見ているので、もう慣れている。
顔の色が真っ青になったナツを見ながら、二人は何故こんなにも弱いのかと不思議に思った。
「腹は減ったし……」
「うちらお金ないもんね」
『…おい。此処に来る前に食べてきたよな』
ナツとハッピーが腹部に手を当てて悲しそうに眉尻を下げたのを見て、全く腹がすいていない◎は首を傾げる。
しかし食欲旺盛らしい二人は早くもお腹を鳴らしてうなだれていた。
先程の列車の事からいろいろと疲れたのか、それきり無言で石畳の道を歩いてゆく彼等。
暫くそうしていた時、黙り込んでいたナツがふと俯かせていた顔を上げて、視線を二人の方へ向けた。
「なぁ、ハッピー、◎」
『あ?』
「火竜ってのはイグニールの事だよなぁ」
イグニールの事をよく話すナツだったが、◎は興味がないらしく寝ていたり何か別の事に意識を持っていったりと殆ど話を聞いていなかったらしい。
問いかけるナツに、火竜やイグニールについてあまり知識のない◎は肩をすかす。
「うん。火の竜なんてイグニールしか思い当たらないよね」
『…………………』
しかしハッピーとナツは◎がイグニールについて知っていると思っていたので、無言になる彼をよそに話し出した。
「だよな。◎だってそう思うだろ?」
話を聞き流していた◎はナツが意見を求めてきた事に驚き、数秒だけ動きを止める。
自分に話しかけはしないだろうと思っていたらしく、何も言葉を考えていなかったので口を噤んだが、ナツの視線に耐えられなかったのか小さく言った。
『知らない』
「は?言ってなかったっけ??…つか、イグニールは見たまんま竜だぞ……」
んん?と眉を潜めて訝しげな表情を作りイグニールの事を話したか話していないかの記憶を辿り始める。
それの様子に後から何か言われるのは面倒だと焦ってた◎は言葉を濁しながらも話を少しずらした。
『いや、見た目は竜だと分かってるが……しかし、竜がこの世に一匹だけって事はないんじゃないか?』
詳しくは分からない◎だったが、ナツの表情を伺いながら確かめるように聞いてみる。
「……!!!」
『…そこまで考えていなかったか』
◎が覗いたナツの表情からは、他にも火竜がいるかもしれない可能性を全く考えていなかった事が見て取れた。
やや呆れ気味に溜息を吐いた◎に、慌てたナツは言葉に詰まり戸惑う。
「で、でも火竜はイグニールだけだぞ」
そう言ってはいるが彼方此方に視線を泳がせるナツに、◎はぴくりと片眉を上げて呟いた。
『……お前が知ってる火竜が、だろ』
「いーや、イグニールだ!絶対にイグニールがいるんだ!!」
◎の言葉に対し首を振って必死にそう言うナツは、絶対にイグニールしかいないと考えているようだ。
ナツにどう言っても無駄であり、そして竜について知識が無い事もあったので、◎はそれ以上何も言わなくなった。
いや、会話をするのが面倒臭くなったという事もあるのだろうか。
「でもイグニール以外の火竜なんて聞いた事がないよ」
「そうだよな!よぉし、ちょっと元気になってきたぞ!」
「あい」
会話をしなくなり何処か遠くを眺めながら歩き始めた◎に代わり、ハッピーは軽く沈みかけたナツを励ます。
ナツはその言葉にまた元気を取り戻したのか、腕を突き上げてぶんぶんと回した。
はしゃぐ彼等を横目に溜息を吐いていると、◎の視界に遠くで火竜と叫んでいる大群が映り、ついでに黄色い歓声が耳に届く。
『…あれじゃあ竜はないな………』
すっと目を細め周りの様子を観察した◎は、竜にあれほどの歓声はないだろうと結論を出した。
歩くにつれて徐々に大きくなってきた歓声にナツやハッピーも気付いたようで、馬鹿馬鹿しいと嘲笑する◎の肩を抱き嬉しそうに笑う。
「ほら!!噂をすればなんたらってっ!!」
「あい!!!」
大きいはずである竜の姿が見えない事を指摘しようかと迷っていた◎はその笑顔を見て何も言えなくなってしまい、強引に引っ張られながら本日何度目かの溜息を吐いた。
「◎も行くぞっ」
『………はぁ、』
*← →#
[back]