どうかその時は笑えるように

雁桜



「好きな人が出来たんです」

 そう笑った桜ちゃんはとても綺麗で、大人びていて。思い出したくないのにちらつくあの人の影が寄り添う。

「その人、凄くかっこよくて、強くて、頼もしくって」

 次々と告げられていく言葉。耳を塞ぎたいのに、全くもって身体が言う事を聞かない。動け、動けよッ! 誰か俺の耳を塞いでくれ。桜ちゃんのそんな嬉しそうな顔みたくない。伸びた手足と、綺麗な身体。ぼろぼろの自分と釣り合わないだなんて言っておいて、俺は怖かった。

「おじさんと違って、私を助けてくれるんですよ?」

 桜ちゃんまで俺を置いていってしまうのが、怖かった。



 飛び起きれば古いオンボロの時計は午前二時をさしていた。インナーにびっしょりと汗をかいている。喉がからからだ。荒い呼吸を落ち着かせて、タオルを探る。布団の横に転がっていたそれで額を拭いて、漸く一息ついた。

 夢、だった。

 うん。そうだ。わかっても、嫌にリアルな感覚が頭に残っている。今より少し大きくなった桜ちゃんと、少し年をとった俺。桜ちゃんは変わらず俺に懐いてくれていて、俺はそれが嬉しいと、それ以上は望んでいなかったはずなのに。桜ちゃんと、なんて俺の自己満足以外何物でもないのに。


「……はは」

 夢の中の桜ちゃんが俺に言った台詞を聞いた瞬間、今まで眠っていた何かがざわめきだした。葵さんが結婚する時にしまったあの何かがくだを巻いて俺に這いよる。どうせ手に入らないならいっそ形だけでもと。
 そんな悪魔の囁きに耳を貸してしまっている時点で俺には桜ちゃんの傍にいる資格はなかった。桜ちゃんが幸せになれますように。桜ちゃんに未来をあげられますように。
 綺麗事をほざいていても、結局は。暗闇になれてきた目で天井を見上げれば感情により高まった魔力と合わせて蟲たちが壊せ壊せと囁く。大事な何かを取られてしまうくらいならと。



 干からびるくらい乾いている口の中に水を流し込む。体内の蟲が蠢く感覚を認識しながら再び布団に戻った。爺の、醜悪だと思った笑顔を思い出す。確かにあの笑顔は俺にも受け継がれている。醜悪な、醜い汚い感情は俺の中で渦巻いている。呼応するように、蟲たちがさらに蠢く。否定したい血の繋がりがしっかりと俺の中にある。
 聖杯戦争を勝ち抜いて、運よく俺が生き延びたとして。それでもきっと桜ちゃんと別れなければいけない日が来るんだろう。考えただけで叫びだしたいような不安に駆られる弱い精神を押さえつけて、目を閉じる。あの子の幸せが俺の幸せだ。今日まで耐えてきた修行も、全て桜ちゃんのためだ。そう信じていたが、もしかしたら俺のためなのかもしれない。助けてあげたなんていうおこがましい考えを彼女に押し付けるのかもしれない。
 だから、もし。

 唯一だった誓いが一つ増える。
 桜ちゃんがもし、誰かと幸せを手に入れたとしたなら俺はそれを祝福しよう。笑っておめでとうと言えるように。
 それが出来ないのなら、今度こそ俺は間桐の闇に葬られよう。それが初恋のあの人と、桜ちゃんに対してできる俺の精一杯だった。



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