正義の王

狂+剣


 ギネヴィアが泣いた事を、アルトリアは一度も見た事が無かった。貞淑で民から愛される理想的な姫。剛健で正しき統治をする無敗の王。アルトリアとギネヴィアの関係は国という数多の無辜の民の為の生け贄だった。それを悔やんで恨んだ事は一度として無かったし、自分が選んだ道は最善だとアルトリアは思っていた。
信じていた、のかもしれない。

 剣を握るとは到底思えない指から、ついに不釣り合いな剣が重たい音をたてて落ちる。もう既にその剣を持ち彼と戦う気力はアルトリアには残っていなかった。
何故、彼が。
 黒い鎧から顔だけ覗かせる彼の人は在りし日に共に剣を振るおうと誓い、誰よりもアルトリアが信頼した人だった。サー・ランスロット。約束された勝利の剣の姉妹剣にすら選ばれた忠誠の騎士。円卓の騎士の中でも羨望と憧憬を一心に集めた彼が、今アルトリアの前に立ち塞がっていた。

「Ah...」

 憎しみに駆られたランスロットの顔はどんな太刀傷よりアルトリアを抉った。以前にも剣を交えた事はあった。しかしその時はどちらも引きようがない事情があった。お互いに交えた剣に謝罪を込め、到底本気などではない戦だった。
 だが、今はどうだ。
 悪しき靄を纏っているとはいえ見間違いようのないその顔に籠もっているのは怨念そのもの。聖杯戦争という代理でなく彼自身の憎しみが伝わってきていた。

「ランスロット……」

 呼び掛けにも一切反応しない。かつてアルトリアという少女の誰よりも理解者であった男はただただ剣を振るった。

 一振りに彼女の記憶をのせて、ランスロットは狩る。

 ギネヴィアは美しい姫だった。その美貌をただお飾りのまま朽ちらせ秘めた情愛を誰に注ぐでもなく腐らせる。口々に彼女を羨んだ人の誰が知っていよう、アーサー・ペンドラゴンという勇猛な王の真実を。いかに優しくされようと大切に扱われようとそれはただの情だった。愛を手に入れられない虚しさを、ランスロットは知っている。ギネヴィアも、誰より正しくあろうとする余りに己を殺す痛みを知っていた。
 そんな二人が惹かれ合ってしまった事は極々自然なことだった。そして、それが断罪されるべき事であることも重々理解していた。王の信頼を勝ち得た騎士と、王の愛を賜った王妃。二人が背信の罪に問われたのは仕方がないことだった。

「貴方は、貴方は……ッ」

 それでも、アルトリアは信じていた。自身が注いだ信頼と等価の忠誠をランスロットが捧げてくれていると。それがどうだ。彼は今、この世の全ての悪を見るような目でアルトリアに剣を向けている。輝く剣は黒に汚され、端正な顔立ちは醜く歪んではいても紛れもない彼がアルトリアに全身全霊で憎悪をぶつけていた。精神が粉々に霞にように砕けていく感覚に、彼女は笑みすら浮かべる。

 剣で刺されたわけでもなく、槍で穿たれたわけでもなくアルトリアの意志は挫けのだ。
 汚されたような気がした。築き上げた栄華の王国も、国を憂いて語り合ったいつかの晩餐も、愛していた国民や騎士たち、そして最後まで苦難の道を歩ませてしまったギネヴィアも。自分の唯一の誇りであるブリテン。ブリテンの為に全てを殺して捧げて生きてきたアルトリアが知っているのは博愛だけだった。
 その博愛がランスロットやギネヴィアを苦しめていることを、アルトリアは知らない。知れないのだ。あまりに早く選定の剣に運命づけられてしまったがゆえ人間として成長する機会などなきに等しかった公明正大な王には。だからこそ、本当の姉のようなギネヴィアの苦悩にも気づけなかったのだと詰りたかった。その言葉は最早永遠に失われたままランスロットの思考を巡り続ける。

「Ahhhhhhhhhhh!!!!!」

 咆哮が空気を揺らす。慟哭に似たそれは確かに怨嗟がこもっている。しかしその根底にあるのは贖罪を求める人間の叫びだった。
 決して騎士などでは一人の人間の願い。責めて欲しかった。他の誰でもない彼女自身の言葉で、彼女自身の気持ちをぶつけて欲しかった。博愛でなく、特別な存在でありたかった。

 自身の願いすら気づかずランスロットは刃を高く上げる。戦意などとうに失せているアルトリアは虚ろな瞳で銀の光を見つめる。既に足元に転がっている愛剣を拾う気力さえも、彼女には残っていなかった。


「……お前の事を、私は」

 肉が裂ける音。続く鈍い骨が砕ける音と共にアルトリアの意識は途切れた。溢れ出る血が徐々に床を汚していくなかで、混じった一粒は一体どちらのものだったのか。


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