仮初

ケイソラ


何時からだろう。全てに冷めてしまったのは。


今日もまた、馬鹿な男が馬鹿面を晒して近づいてきた。

「ソラウさん?」

馴れ馴れしい。軽薄そうな見た目通り、当たり前のように腕をまわされた。気持ちの悪い大きな指が這うように身体に触れる。
半ば諦めと共に魔術師と呼ばれる人種に対して侮蔑をこめ、色んな人に褒められた笑顔を浮かべる。ソラウの顔は本当に綺麗だね。いつかの父の声がフラッシュバックした。

「こんにちは。何か御用でも?」

きっと家だとか、愛だとか下らない話。家なんか勝手に結びつけばいい。愛なんかもっと実りある相手とすればいい。どちらを求めるのも、私相手では間違っている。私は、生まれた時にそんな感情全てを置いてきてしまったのだ。自己紹介をしているつもりなのか、ぺらぺらとよく喋る男に分からないように冷笑をもらす。不愉快だと蹴飛ばしてしまえればよかった。だがそんな事をすればとても面倒な事態に巻き込まれるのは目に見えている。
吐き気と頭痛を私と相手に覚えた。今度の男はえらく早急で、先程から必死に私の手を引いてこの見た目だけは麗らかな公園から連れ出そうとする。一歩でれば入り組んだ市街地、何処に連れて行くつもりなのかなんて私にも簡単に予想がついた。

「ね、君のお父さんの許可もあるしさ」

ずきり。ないはずの心が音をたてて歪む。いくら父でも、そんな。諦めてるなんて言っておいて滑稽なくらい期待してる自分。女だからと、政略結婚をさせられる事に今更不満はなかった。ないと思っていた。だがいざ遭遇するとどうだ。
本当に、馬鹿じゃないか。何時からか零さなくなった涙が、何故か今更になって溢れてきそうになる。


「私の婚約者を離して貰おうか」

お世辞にも凛としてなんて言えない声が身体を動かしかけた私を止めた。割り込むように現れた男は苛立ただしげに眉根を寄せる。金髪碧眼。しかし整いすぎているわけではないその顔に見覚えはない。そんな男が発する怒気はさっきまで私にべたべたと触っていた男に向けられているもので、不安が少しずつ引いていく。

「なんですか、いきなり」

明らかに動揺する茶髪の男。だが掴んでいた私の手を離す気はないらしく、汗ばんだ感触が気持ち悪い。一方で名乗りもしないきっちりと着込んだ男はもう一段階圧力をあげる。私に向けられているものではないのに、鳥肌がたつくらいの凄み。まるで父のような傲慢さが伺えるそれは何故か不快じゃない。最早引っ込んでしまった涙を、なかったことにして目元をそっと拭う。

「最終警告だ。彼女を離せ」

口ごもる茶髪の男はありきたりな捨て台詞を残して逃げ去っていった。なんなんだ、この人。幼い日に馬鹿にした白馬の王子様はこんな感じにお姫様を助けてくれていた。昔は馬鹿に出来たその行動に何故だか胸がざわめく。これじゃあまるで絵本の中のお姫様のよう。らしくない想像に思わずかぶりをふった。
婚約者だと名乗ったその男は私の方に向き直るとえらく心配そうな顔をする。

「大丈夫かね? どこか怪我は」

 外傷はない。せいぜい赤毛の髪がほつれた程度。安心させるように微笑めば、凄く嬉しそうな顔をされた。作り物じゃない、本物の笑顔。久しぶりに見た生の感情にどう対応していいか分からなくて困ったように眉根を寄せる。一体この人はなんなの。そして勝手にペースをあげる私の心臓もどうしてしまったの。らしくない。本当にらしくない。

「ありがとう。えっとあなたは?」

 笑みを伴って尋ねればきょとんとした顔で返された。そんなに可笑しな事を聞いた覚えはない。私を知っている風で、婚約者を名乗られてはいたが私をこの人の事を何も知らない。だからといって不愉快になるわけでもないのが珍しいのだけれど。

「お父様から聞いていないかい? ケイネス・エルメロイ・アーチボルトだ。今日から君の婚約者になった男だ」

 さっきまで不快な男に触られていた手にキスを落とし、紳士然と挨拶をされる。どこか高飛車な印象を与えるケイネスという男はどことなく父に似ている。しかしはにかんだように笑われればそんなイメージは吹き飛んだ。まるっきり大人なのに、子供みたいな笑い方をする人。くすりと笑えば心外そうに眉根を寄せられた。オールバックで完璧に整えられた髪と表情がアンバランスで可笑しさが増す。

「何か不満があるのかね?」

「いいえ。珍しいなと思っただけですわ」

 わざと他人行儀に言葉を作ればさらにむくれられた。冷めていた心に、ちょっとだけ暖かな風が吹く。父が選んだ仮初の婚約者といえ、こんなにも大切に扱ってくれる人は初めてで、ありがとうと言いたいのに意地悪をすることしか出来ない。子供みたいな、いや子供そのものの私の感情。抑える気になれなくていつもより自然に笑みがもれる。

「これからよろしく、婚約者様」

 今度の婚約者は、いつもよりとても楽しそうだった。


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