抱きしめたかっただけだった

金剣



 セイバーが静かに聖杯を引き寄せた。ぼろぼろの肉体に輝く剣と髪。どちらのかものか分からぬ程流れた血がべっとりとセイバーの頬を汚していた。それに気づいたのか、乱暴に手でこすり拭うものだから余計に広がっていく。全く、こんな時でも淑女らしさを見せんのか。乾いた喉で笑おうとすればただただ風を吸い込むような音が出ただけだった。
 ……自分で思っているより酷く、身体は損傷しているらしい。立ち上がろうと力を込めたはずなのに両足はぴくりとも動かなかった。
 この我が、セイバーに負けた。
 そんな事実が面白いくらいおかしくて、でも何故だか視界が歪む。愉悦とあほど遠い、意味の分からない感情。

「ギルガメッシュ、最期の情けだ」

 血まみれの聖杯とは逆の手で愛剣を掴んだセイバーが意図することをしり、再びひゅーひゅーと笑いが零れた。王たる我が我妻に介錯されるなど、戯れがすぎる。

「…………はっ」

 振り絞って出たのは一声だけだった。なんたる不様、しかし意味するところは伝わったらしく、セイバーの剣を握る手に力が入る。最早どうすることもできんな。諦めと呼ぶ珍しい気持ちが、我の心に雪崩れ込んできた。ああ、これは。いつかの朋友の最期と同じではないか。
 神に楯突き、いかに天と地を破壊しようともエルキドゥは還ってこなかった。雑種のように懇願しようが、高笑いして雲を切り裂こうが何も起こらなかった。一度死んでしまった彼は二度と生き返らない。出生の事情から死者の国にすら魂は眠っていない。

 最早何処に行っても彼に会えないように、これ以上我の身体を動かすのも無理だった。

「ギルガメッシュ、お前に問おう。お前は聖杯を手に入れたら何をするつもりだった」

 勝者の余裕か、気まぐれか。はたまたは騎士王の名に相応しくない慢心か、セイバーはどさりと我の隣座り込んだ。鋭い切っ先は我に向けられたままだが、今すぐ切る気はないらしい。
 ふはは、セイバーも愉悦がなんたるかをわかってきたのか。この場に合わぬ思考に、勝手に弧を描く口。うろんげではあるが決着がついた勝負を後にセイバーは最後のひと時を一緒に過ごすという気まぐれを起こした。これが人生の賭け事でなくなんなのか。最後まで生き残ったのが他の雑種であったら、セイバーはどのような反応をしたのか。それすら分からないし知る気もない。ただ我の宝であるセイバーがどのような話を聞かせるつもりなのかは冥土の土産に聞いておいてやろう。

「何もない。この世の全ての宝は我のものだ。勿論お前やそこの汚らしい杯もな」

 我のものを勝手に奪われて許容するほど惰弱な王ではない。この世の全ての財宝は我のものなのだ。

「……貴方が本当に王足るなら、私が王にはなりえない。私本当に王足るなら貴方が王にはなりえない」

 セイバーが剣に力を込めたのがわかる。その通りだ。セイバーは王にはたりえない。例え我を殺そうとも、この世の王たる王は我なのだから。最早少しずつ消えかけている腕を伸ばせば、機械のようにぴたりとセイバーは動きを止めた。ぎこちなく、彼女の頬を撫でる。陶器のような感触と、微かに触れる金の髪。ああやはり、我の財宝に加えるに相応しい。
 王であれともがいてもがいて、必死に空に手を伸ばした少女は、今疲れているように見えた。聖杯を腕に抱き勝者となった今でも幸せそうな感情が見えぬ。セイバーとして、アーサー王として戦い続けた彼女は我よりも苦しそうだった。いっそ、壊れてしまえば楽だったのに。我に壊されてしまえばよかったものを。だが理想を追い求めるその姿が好きなのだから、セイバーが足掻くのを止めれば我も興味を失うのかもしれないが。苦笑しようと身体を震わせれば喉の奥から焼け付くような塊がせりあがってくる。吐き出したそれはとても真っ赤な久しぶりに見た自分の血。

 どこか、彼の人が呼ぶ声が聞こえた。懐かしい、くすぐったいようなあの声。懐かしいあの土地で、懐かしい彼が優しく夢を語るときの。

「お前は王たりえんな。王は我一人だけで十分だ」

 だからこそ、我は王でなくてはいけない。唯一人の朋友が死んだのは我が王だからこそ。そうでなければ我ではなく彼が消えた意味がなくなってしまう。
 どこか面影が見えるセイバーに我の血がこすりつく。指で触れたところから赤い跡が残って我の残滓を語る。永遠に乙女のままの、人間みを失った肌にまるで人間のような傷と返り血がつく。

「……、さらばだギルガメッシュ」


 最期の瞬間はもう痛みも何もなくて、目に入ったのは何故か泣きそうなセイバーの顔のみだった。



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