とある弟と姉の話
夢現に瞼を上げ下げする。温く暖かいこの場所が気持ちよくて中々動き出せない。白い天井、いや正確にはそうプログラムされた物体を見上げる。
後五分だけ。自分に言い聞かせるように言い訳してもう一回目を閉じた。どうせ特にやる事もない。寝ていたって許される筈だ。
ソファに体を預ければ気持ち良さに直ぐに眠れる、予定だったんだけど。
「……ちょっとリン重いんですが」
「おはよ、レン。なんで昨日はソファで寝たの?」
俺の意見を欠片も聞く気がない片割れが俺の腹部に乗っかったせいでそれは阻止された訳であって。黄色い髪が寝起きの目には眩しかった。重いなんて言ったけど、お腹には綿飴くらいの質感しか感じない。それくらいリンは軽い。
暖かい感触が生々しくて早くリンを退かしたい。
「とりあえず退いてよ。邪魔なんだけど」
本当はそれほど邪魔ではないけど。リンのせいですっかり覚めてしまった頭を掻きながら言えば素直に退いてくれた。支給されていた服を引っ張って皺を伸ばす。別にどうでもいいけど俺達の仕事は歌を歌い、人を楽しませる事。それに見た目も入るならば要求に答えなくちゃいけない。
大きく伸びをすればリンが再び聞いてきた。白い透き通るような肌。露出の多い服で詰め寄ってくれば勝手に跳ね上がる心臓にもなんだかもう慣れた。
「で、なんでソファで寝たのよ?」
「んーベッドまで行くのが面倒だったから」
「嘘。昨日はレン早く収録終わってたでしょ。本当の事言ってよ」
おせっかいで無遠慮に人との距離を詰めてくるリンは適当に吐いた言葉で騙される気は更々ないようだった。元から勘の鋭いリンの事、大体予想はついてるんだろう。
「カイト兄と喧嘩したんだよ。“お姉ちゃん”に心配かけたくないから黙ってただけ」
“お姉ちゃん”、ね。そう思えない癖に俺もよく言う。
でもリンがそれを願うなら仕方がない。俺はVOCALOID 、要求された事をこなすのが仕事なのだから。
――それが人間からであれ、愛しい想い人からであれ。
「ふーん。普段レンとカイト兄仲いいのにね。原因は?」
「ただ」
「あ、嘘はもう言わないでね?」
まだ言い切ってないのに。こういう時はリンの鋭さと同調してるプログラムが嫌になる。例えどんなに距離をとろうとしてもその手段を消されてしまうから。
離れるなんて結局できっこないにしても。
にっこりと微笑んでるリンに降参の意をしめすように両手を振ってリンの手を掴む。滑らかな肌は俺と同じ素材で出来ているはずなのに何処か違う。やっぱり触っただけ簡単に上がってしまう体温を気づかれないよう願う。
「カイト兄がさ、リンとレンはいい加減離れたら? って言ったんだ。俺達、一応姉弟なんだからって」
カイト兄が俺達の事を真剣に考えて言ってくれたのは判ってる。
判ってはいるけどそれでも駄目なんだ、俺には。
「レン君さ、いい加減リンちゃんと離れた方がいい」
「え?」
居間で二人っきりになった時、静かにカイト兄が言った。言われた言葉の真意がわからなくて呆然とする。
「……君達は姉弟だろう? それも僕とメイコみたいに設定上のじゃない。プログラムとして姉弟だろ」
「あ、はは。何言ってんだよ、いきなり」
真剣な目と、いつもと違う空気に突然なった事に驚いて無理にふざけようとする。自分でもわかっちゃうくらい乾いた声しかでなかった。干上がった喉がちくちくと痛みを訴える。
「レン君は頭がいい。僕が言いたい事、わかるよね?」
射抜くような視線に一歩も動けない。逃げ出したいけど足が動かせないんだ。カイト兄の青い目に含まれた感情が俺の足を地面に縫い付ける。
カイト兄は何を言おうとしてる?
「わからねぇよ……」
漸く搾り出せた声は震えてる。でも呟いた言葉が本物じゃないことくらいわかってる。わかってるんだよ。
「リンちゃんの事好きでしょ? なら」
「黙れッ!!! カイト兄に、わかってたまるかよ!!」
メイコ姉と、普通に恋愛できるくせに。メイコ姉とずっと一緒にいられるくせに。メイコ姉と愛し合える癖にッ!!
俺とリンが一緒にいるのは簡単だ。でもそれは俺が望む関係ではなく、姉弟としてだ。そんな関係耐えられない。我慢できない。
……なら一緒にいるなんて無理だとか、全部わかってるんだよ!!! それ全部に蓋をしてでも一緒に居たいんだ。リンと居られないなら俺の存在なんて消えてしまってもいいんだよ!!
「ちょっと!!」
思いっきり力を込めてカイト兄を居間から押し出す。体の大きいカイト兄を体当たりでもするかのように。もうこれ以上何も言わせないように。これ以上俺に踏み込ませないように。
「うるさいうるさいうるさい!! 首突っ込むな!」
リンの幸せだけ考えてここまでやってきただなんて言えない。だけど俺の願望でリンを傷つけない自信はあった。これまでも、これからも。俺がどれだけリンを想っていてもそれを悟らせないだけの努力はしてきた。いつも“弟”としてやってきた。
それを、我慢して自分の気持ちに蓋をしてまで掴みとった場所すら否定されるなんて許せない。
俺の幸せ?
そんなのはとっくのとうに決まってるんだよ!!
「レン君!!」
どうにかカイト兄を追い出した。扉越しに動揺したままの声が伝わってくる。そこで初めて俺はカイト兄も震えているのに気がついた。ガタガタと大きな体を揺らしながら。小刻みに揺れている。
肩で息をついて扉に寄り掛かってへたり込む。視界がやけにぼやけた。
「僕だって、レン君とリンちゃんが大切なんだ……。だから、お願いだ」
泣きそうになる自分を叱咤する。俺は造り物、造り物だから泣くなんて要求された時以外はしなくていいんだ。わかってはいてもプログラミングされた涙が、いや物体が頬を伝って。
「……カイト兄、ごめん。それだけは譲れない」
俺が人間に忘れ去られて動かなくなるまでリンの傍にいたい。どんなに馬鹿にされても失敗作だって言われてもいい。リンの隣にいたい。
例えリンが俺の事を弟として愛しているだけだとしても、俺は其処にいたい。
リンが動かなくなったら俺が代わりにリンの分まで歌うよ。リンの名を忘れさせなんてしない。リンの悲しみは俺の悲しみで、リンの幸せは俺の幸せだ。
「……レン君は、いやレンは幸せなの?」
そんなの決まってるじゃないか。
「ああ。当たり前だろ」
「そうか」
そうに決まってんだろ。
「レン?」
「何?」
リンが青い目で覗き込んでくるから思わず笑顔で返してしまった。仏頂面とは言えないまでもポーカーフェイスを気取りたいお年頃なのに。
「レンはリンと離れたい?」
あはは。そういうのを愚問って言うんだよ。離れたくても離れられる筈ないじゃんか。もうとっくの昔に囚われたままなのに。
心配そうとも不安げともとれる顔で聞いてくるから抱き締めてみる。鼓動がこれ以上ないくらい跳ね上がったけど気にせず耳元で囁く。
「なわけねーじゃん」
「そっか。ならいいや」
リンが俺と一緒にいたいと想い続ける限り、俺はリンの傍にいるよ。
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