夢のおはなし

ボスヒメ


 ヒメコが泣いていた。ああ夢だこれ。うん夢。早く覚めろー。
 ヒメコの泣き顔もスイッチの内心焦った顔もリアルだけど、何故だか夢だってはっきり分かった。場所は、部室。いつもたむろしているあの部屋まできちんと再現されている。夢って凄いなー、真剣な二人を余所に変なところで感心する。

「…………っく」

 ヒメコの泣き顔なんて見たくないのに声を抑えようとする仕草も無理に整えて笑おうとする所作もそっくりだった。夢は願望を表すなんて嘘だ。大嘘だ。俺がヒメコの泣き顔なんて見たい訳がない。スイッチや俺がついているのにヒメコが泣くわけがない。

 覚めないかな、これ。冷え切った心でいくら願っても中々終わらない。好みの夢を見られる事がないように夢を自由に終わらす事も不可能らしい。不便極まりないな。

「ヒメコ」

 ずっと泣かれているのは凄い嫌だったから夢だと分かっていてもつい声をかけてしまう。泣き止んで。泣かないで。

 折角声をかけたのにヒメコはこちらに顔を向けなかった。下を向いて涙を零し続けるだけ。スイッチが黙って背中をさする。普段の茶化すような言葉は、いやそもそも二人の間に全く会話がなかった。

 おかしい。
 泣いてるとはいえヒメコが俺らに何も言わないなんて。いくらふざけていい時とよくない時をスイッチが弁えているからって、泣いているヒメコに一言も声をかけないなんておかしい。

 そもそも何で俺の声が二人に届かないんだ。声が出ないわけじゃない。ただいくら音にしても全く二人が反応してくれないんだ。
 

 まるで俺だけ世界から切り離されてしまったみたいに。

 そう思った途端に恐怖が身体を支配する。これは夢、これは夢。 言い聞かせてみても嫌にリアルなこの質感が感覚を襲う。嫌だ一人にしないでくれ。俺たち三人でスケット団だって言ったじゃんか。俺の隣はヒメコとスイッチで、あいつらの隣は俺で。吹き出る汗と焦燥感。一体全体この夢は、なんなんだ。

「……なんで、なんでボッスンやねん」

 は? 俺?
 唐突に飛び出た名前。呼び親しまれた愛称に耳を傾けて、眼差しを向けても一切ヒメコは俺の方を見なかった。俺だけが取り残されていつも指定席から動けないでいる。落ち着くはずのこの場所は最早茨で出来てるみたいにチクチクと俺を苛んでいた。

「仕方がない」

「しゃーないってなんやねん! ボッスンが死んだってのに、随分余裕な顔できんなぁあんた!」

 え?

 夢の中ではあるが、俺は死んだみたいだった。



 
 暫く二人の会話を聞いて掴んだことが何点か。
 まず俺は交通事故で死んでしまった事。ヒメコとスイッチは現場にいた事。庇おうとしたヒメコとスイッチまでつい最近まで怪我をしていた事。

 ……そして二人がそのせいで罪悪感を覚えている事。

 俺が、私がもう少し早く飛び出していたら。二人の口からよく出る言葉。長い長い悪夢は当分終わりそうになく、感覚的には三日ほどたっていたがしょっちゅう二人の口から出てくるこの言葉が嫌いだ。
 どうせ俺の事だ、自分の不注意で死んだんだ。二人を責める気なんてない。むしろ俺のせいで怪我をさせてしまってごめんと謝りたい。
 だがこの夢の中で俺には二人と交流する事は出来ないようだった。言葉も交わせないし触れもしない。いや、触れることには触れるのだが相手に知覚してもらえないのだ。
 ボロボロと枯れない涙を零すヒメコと涙こそ流さないものの、明らかに憔悴しているスイッチ。俺のせいで二人まで暗くなってしまうのが嫌だった。三人で笑いあっていたスケット団なんてどこにもなかった。目が覚めたら二人に凄く優しくして、ありがとうもたくさん言うから早く目が覚めて欲しかった。



「ボッスン……」

 うわ言のように呟いた言葉は一体何度聞いただろう。大好きなその声も明るさを欠いた状態で聞けば辛いだけだった。夢なのに一向に覚めない。なんでこんなに嫌な夢を見るんだ。頬を抓っても思いっきり叩いても起きる事はない。
 瞳に浮かべた涙を拭ってやろうとヒメコに近づく。触れることはないと知っていても零れ落ちそうなそれを黙ってみているなんて出来ない。

「泣くなよ、らしくねぇ」
 
 整った顔にこんな時だというのに可愛いと思う。衝動的に頬に手を伸ばす。滑らかな感触にありきたりに生唾を飲み込んで、じょじょに距離を近づける。
 馬鹿、何やってんだ。夢とはいえ仲間に、それも相手が拒否できないような状態で手を出すなんて卑怯だ。
 制止の声がガンガンと頭に響く。しかし全く連動しない身体が唇を重ねる。初めて触れたそこはとても柔らかくて温い。渦巻く思考に足を取られて倒れこめば、ふっと軽くなる感覚に包み込まれた。




「あ、覚めた」

 漸く、日常が始まる。

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