死んでしまうわ!

べーさく



「結婚しましょう」

 いつになく真面目な顔をして、ベルゼブブさんが放った言葉は百パーセント想定外の台詞だった。端整で真っ赤で一杯一杯の顔をして所謂プロポーズというものをしてくれたベルゼブブさんには悪いが唐突過ぎて冗談にしか聞こえない。本当に、本当ですかね?

「あのー、どうしたんですか?」

 彼が冗談を言う余裕がないくらい考えればわかること。それでも口から勝手に飛び出た言葉はひどく間抜けなものだった。どうしたもこうしたもあるだろうか。落ち着かない心臓と思考とは裏腹に言葉は至って冷静に聞こえた。あまりの衝撃発言に神経が切り離されてしまったのかもしれない。眼鏡をかけ直してみても見える景色は変わらなくて段々とベルゼブブさんの真っ直ぐな視線が痛くなってくる。ちょっと待って下さいよ。そんな真剣な顔で見ないで下さい。こっちは全然準備なんかしてないし、そもそもこういうのには心の準備ってものがですね。ひっひっふーひっひっふー。あれ、これなんか違う? とめどめなく流れる思考がベタなミスを犯す。

「さくまさん。貴方の一生を私に下さい」

 かたかたと震える肩と、きっちり着込んだスーツ。普段の悪態なんかおくびにも出さず彼は続ける。こっちの都合なんかお構いなしですか。一体、何だって言うんですか。上がり続ける体温とちりつくような雰囲気。偶然か必然か二人きりの事務所でこんなことを言われて動揺するなという方が無理だと思います。というか、これ玉の輿ですよね。
 さっさと頷いてしまえ、なんて頭の声は無視して。思わず逸らしてしまった視線をさ迷わせながら思いついた言葉を並べていく。優雅さの欠片も無いベルゼブブさんと同じくらい私も余裕なんかなかった。まるで私達の周りだけ地震が起こってるみたいに振動している。

 
「悪魔から見て人間の一生なんて微々たるものですよ」

「それを全部下さい。私の今もその後も全部全部あなたにあげます」

「私、性格良くないですよ」

「お互い様じゃないですか」

「カレーが好きなんじゃないんですか」

「あなたが好きだって言ってるでしょう」

「……直ぐ置いてっちゃいますよ」

 最後の台詞に思い切りあごを掴まれて強制的に目が合う。あ、これはイライラしてるときの顔だ。一部ついていけていない思考回路がショート寸前の近さのベルゼブブさんの表情について判断を下している。

「いい加減にしろよ! このビチクソ女ァ!! お前が良いっていってんだろうが! 俺の全部やるって言ってんだろ!!」

 手を掴まれた。ニンゲンじゃない手。冷たい手。それでもベルゼブブさんの手は心地よくて、直ぐ傍にある顔が何故かかっこよく見えてしまった。カレーカレーっていつも言うくせに、こういうときだけ卑怯ですよ。無駄に整ってる顔のせいで判断が狂っちゃうじゃないですか。
 誰に言うともなく言い訳して、ベルゼブブさんの差し出した箱を手にとった。定番で女の子なら誰もが憧れる小さな箱。こんなもの、なんて思っていたのに。ベルゼブブさんが震える手で搾り出した勇気で差し出してくれたその箱がただただ嬉しくて。悪魔だとか人間だとか重大な問題なはずなのに大切な事じゃないみたいだ。
 
 彼の、珍しく真剣な怒りを露わにした額にキスをすれば凄く驚いた顔をされる。

「よろしく、お願いしますね」

「当たり前ですよ、さくまさん」

 ああ、こんなありきたりの事がこんなにも幸せだなんて。その日初めて嵌めた指輪は左手にきらきらした輝きをもたらした。


[ 56/77 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -