私の幻想

これの続きです


 心底楽しそうな顔で、私を呼び出したact.2のリンは私の足を踏みつけた。いつまでたっても慣れることが出来ない痛みに顔を歪めれば口笛でも吹き出しそうなくらいの笑顔を浮かべるリンに歯を食いしばるしか出来ない。自分と同じ体重で踏みつけられ、靴越しとはいえ伝わってくる痛さは過去に出来た傷と相まって更に顔を歪ませるのに十分だった。
 act.2のリンがもらす低い嗤いが耳障りで仕方がない。
 
「無様だね、先輩? 後輩に撮影のたんびにいじめられちゃってさぁ」

 聞こえない。彼女の声なんか耳にいれてやるものか。
 愉悦に彩られた彼女の声も、表情も神経からシャットダウンしようとする。痛みが現状に意識を縛り続けてさえいなければ、こんな奴の言葉なんか全て無視できるのに。横目で時計を見やればまだ大して時間はたっていなかった。絶望しそうなくらい、ゆっくりと時が進む。挫けてしまいそうな心を奮い立たせれば決まって思い出すレンの顔。不器用で、一生懸命で純真な彼を回顧することでこの異常な相手から意識を離せる気がした。

 リンが、act.2のリンがこんな悪趣味な事をし始めたのはいつ頃からだっただろうか。初対面での自分と同じパーツとは思えない可愛い笑顔は思い出せるのに、どうしても目の前の彼女と重ならなかった。同じ鏡音なのに、どうして。浮かんでくる疑問に蓋をする。理由なんか理解できるわけもない。ある日突然、呼び出され今日のように小さな分かりづらい暴力を受けるようになった時さえ彼女は理由を説明してくれなかった。暴力を奮っている最中の楽しそうな顔も、終わった後の泣きそうな顔も理解ができない。
 ……それでも私が現状に甘んじるのはレンがいるからだ。私が呼び出しを受ける時は決まって訪問するact.2のレンが持っている調整機器には私達旧型を一発で壊せる機能がついている。正確にはバックアップを破壊されるだけだから記憶と設定が失われるだけだから物理的に破壊されるわけではないが、今のレンが壊されるなら私にとってそれは死も同然だった。同じ顔で、同じ機能だったとしても私にとって意味があるのは私と共に色々なものを乗り越えてきてくれた彼だけだった。
 不意にヘッドセットにリンが触れる。命の次に重要な物に触れられた事で身体が跳ねる。不規則に早まる駆動音。予想外に優しい手つきと、するりと退かされる足に嬉しさよりも驚きが勝った。

「先輩は、レン先輩の事が好きですか」

 一体、いきなり何なの。
 彼女が変わってしまってから初めて為された意味のある問いに、生唾を飲み込んだ。どこまでも人間らしくプログラムされたせいで、動揺が彼女に伝わってしまったのがわかった。一度目を伏せ、何かを堪えるようにうつむくリン。確かに私は彼女の問い通りレンが好きだし、レンも私のことを好いてくれている。だがそれは私達act.1に限った事ではなくてact.2のリン達にも言える当たり前の事じゃないのか。
 質問の意図も、彼女の心も分からなくて途方にくれる。これまでリンに受けた痛みを思えば沸々と黒い感情も湧きあがってくる。しかしいつの日かの彼女との関係に戻れるとするならば、私はそんな未来を描きたかった。

 彼女の喉が振るえ、目から大粒の涙が零れる。想定外の出来事に目を見開いた。

「どうしたの」

 自分で思っているよりとても心配そうな声が出た。いい人ぶるつもりはないのに、これじゃあまるで偽善者だ。

「レンは、私のこと好きじゃないんです」

 信じられない言葉が彼女の口から告げられる。レンがリンを好きじゃない? 鏡音として、リンがレンを好きなこともレンがリンを好きな事も確立された事実じゃないの?

 かける言葉どころか正しい事実すらも失って呆然と涙を流す彼女を見つめる。act.2のリンが嘘をついてるようには見えなくて、でも思考回路が繋がっている私達が勘違いをしているなんて考えられなくて。最早バグとしか考えられないじゃないか。

「でも、レンはあなたの為に動いてくれてるじゃない」

 現に今だって、act.2のレンは私のレンのところへ向って、足止めのような事を繰り返してる。レンが暴走した彼に壊されやしないかと毎回ひやひやして、控え室に帰るたびにほっとするのだ。だからこそact.2のレンがリンを好いていないだなんて、真実に見えないのに。
 言い訳がましい私の言葉に彼女は泣き顔をさらにくしゃくしゃにして笑った。あの嫌な見下すような笑顔とは違う、本当に諦めきった笑み。小さな手を握り締めて、彼女は言う。

「先輩、親愛と恋愛は違うんですよ? 私は家族として見て欲しいわけじゃない」

 ああ。本当に。

 救われない彼女の為に同情がかった台詞を吐こうとして何とか踏みとどまる。リンは同情してほしいわけでも憐れんでほしいわけでもない。ただただact.2の、彼の愛が欲しいだけだ。
 私まで苦しくなって、酸素がほしくて。どうすればいいのなんて問いに答えなんか無いのに答えを探す馬鹿な自分。恵まれた、自分からは正解なんか見つかるわけないのに。俯けば彼女に踏まれて汚れた靴が目に入った。彼女を許すなんて言えない。だけど、私が辛くて辛くてしょうがなかった時間はきっと彼女も辛かったんだろう。そう思えば苦痛の象徴でしかなかった黒いブーツが少し違うものに見えた。
 八つ当たり、だと思う。それでもレンに愛されていないことがどれほど辛いことかリンである私にはわかる。
 献身が欲しいわけでも、シンクロが欲しいわけでもなく、愛が欲しい。
 あまりにも重たい願いではあるけれど、鏡音として本能のような部分で求めていること。

「……ごめんね」

 あまりにも無責任な一言しか、私からは出なかった。その場で泣き崩れるリンを見ながら、一筋だけ私の頬が濡れた。



「リン!」

「あ、レン」

 あまりにも無邪気な笑顔で君が笑うから、ついつい作った笑顔を捧げてしまう。何故か投げつけられていたシュシュはきっとそこですれ違ったact.2のレンのものだろう。彼の、私なんか目に入っていない無表情な顔を思い出す。感情が欠如したと形容するのが正しいような、空っぽな顔。
 目の前にいるレンに重ねてしまって、力なく笑う。楽しげに話すレンに合わせ、じゃれあう。ごく自然で癒しだったこの行為が今は少し痛い。


「……好きだー!」

 ……とても無垢な君の一言に、勝手に腹立ちを覚えて。本当に自分勝手な自己嫌悪に嫌気がさしながらも、きっとあのリンにそっくりな笑顔で私は応える。私もなんて今は言えないから、適当に誤魔化しながらレンの為だけの世界を守ることしか出来なかった。




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