気まぐれに決まってるじゃない

 ちくたくちくたく。硬質な時計の音が吸い込まれるように空間に消費されていく。毛ほども身じろぎをしない彫像のような少女は、今はまだ深奥に意識を飛ばしたままの主が覚醒するのを待った。月が昇ってそろそろ半刻がたつが、気まぐれな吸血鬼は毎日決まった時間に起きるようなことはしない。気の向くままに起き、気の向くままに貪るのが悪魔であると認識する彼女は自身のお気に入りのメイドが機械と寸分違わぬ正確さで目覚めを待つようになっても習慣を変える事はしなかった。咲夜と呼ばれる少女も別段不満を漏らすわけでもなく、むしろ喜びを持って主の命に従っていた。

「…………ん」

レミリアが見た目相応に溢した覚醒の合図に一瞬咲夜が消える。文字通り一瞬の後再び姿を表した咲夜の手にはティーセットが握られていた。心なしか冷たい部屋において、暖められたそれは白いもやを作り出していく。

「今日のは?」

「アッサムに妖精の羽根を少々」

「ふーん。ま、頂戴」

布団にくるまりながらくぐもった声で会話するレミリアは不必要な会話を好まないメイドに毎夜の慣習である紅茶を要求した。レミリアが齢百歳あたりから始め、今まで欠かさず続けたこの習慣は咲夜が来てから飛躍的に質が向上した。それまでレミリアの紅茶を淹れるのは美鈴の役目であり、彼女も一般的には遥かに高水準ではあったが咲夜が淹れたものには敵わなかった。香り、色、風味。どれをとっても完璧であり完全で瀟洒な従者の名が誇張ではないと証明している。
白いティーカップに注がれた琥珀色の液体はどこか陽炎のように揺らめいた。幻想郷でも希少とされる妖精の羽根を惜し気もなく使った一杯を、レミリアは躊躇することなく喉へ流した。

「……何これ。美味しいけど頭くらくらするんだけど」

「ええ。妖精の羽根は同族以外には毒となりますから。ティースプーン一杯で致死量だそうですよ」

試したことはありませんが、と澄ました顔で続けるのだから小憎たらしいとレミリアは思った。ふらつく視界は次第に治まり、むしろいつもより鮮明に見える室内にレミリアは小さく驚きを示す。

「一旦治まれば身体中の細胞が活性化し、疲労回復等の効果が得られるそうですが本当みたいですね」

 まるで主で試したかのような傲岸不遜な物言いに特別レミリアが注意することもなかった。咲夜のこういった言動は常だし、機械のように言われたことだけをこなすメイドも面白くない。永い時を生きる吸血鬼にとっては退屈は何より忌み嫌うものだった。
 完全に痛みが引くと冴え渡るような爽快な感覚がレミリアを巡った。咲夜には強すぎるこの毒も五百年を生きた悪魔を死に至らしめるな強さはなかったらしい。五感が鋭敏になり、身体の筋肉という筋肉が力を増している。今なら霊夢にだって勝てるかもしれないとレミリアは思った。 


「弾幕ごっこ、する?」

「お望みとあらば」

 あくまで瀟洒に返す咲夜はすらりと伸びた脚から銀製のナイフを取り出す。手足の延長の感覚で取り扱うそれは一歩間違えれば簡単に咲夜の肌を切り裂いてしまう切れ味だが、本人は意に介さず掌の上で弄ぶ。照明しかない部屋でちらつく反射に、レミリアはしばし思考を必要とした。そして咲夜の顔色がいつもよりほんの少し、ごく僅かに悪いのに気がつく。いつもよりはっきりと見える目で確認するように目を細めれればやはり若干ではあるが全体的に調子が悪そうだった。


「……やっぱいいや。あんた今日調子悪いでしょう」

 思い出したように欠伸をするレミリア。対する咲夜は少しだけ眉根を動かした。そうやって反応してしまうあたり、まだまだ青い。内心でレミリアはほくそ笑む。パチュリーに丸投げして育てたお陰で対外的には可愛げがないと思われがちな咲夜ではあるがレミリアを筆頭とした紅魔館の住人は咲夜お微妙な感情の変化を察知できるようになっている。それが愛かと聞かれれば素直に頷くような生き物は紅魔館には存在していないが。

「着替えだけやってよ。今日はパチェとお茶でも飲んでる」

「私などに気を使われる必要は」
「私がやりたいの? 二度は言わないわよ?」

 言外にプレッシャーをかければあっさりと咲夜は折れた。元来主の機微を察知できぬほど愚かでも鈍くもない咲夜は予め用意していた丁寧に畳まれた服にレミリアを着替えさせる。
 その手順も普段より手際が悪いことにレミリアは何も言わなかった。咲夜から微かに香る紅茶の匂いにも言及しない。くぁ、と思考を邪魔するように再び欠伸がもれる。

 ……私が死ぬかもしれないという心配は出来るのに、自分が死んじゃうかも、なんて発想は出来ないのね。半ば諦めたように呆れながらレミリアは溜息をつく。どうしてこのメイドは自分の命を粗末に扱うんだろうか。本人が粗末に扱っている自覚がないからこそ一番厄介だった。体調が悪かろうが骨が折れていようが咲夜は何ももらさず勝手に私にとって最善であることをしようとする。しかも彼女の最善と私の最善には齟齬があるのだからもう面倒なほど始末におえなかった。


「じゃ、今日は一日休みなさいね。私室から出ないこと、なんなら私の部屋で寝てもいいわよ」

 寝間着をおざなりに畳み、何か言おうとする咲夜を制して早口で指示を述べた。これまで一度も命令に反したことのない彼女はやはり今回は言葉を飲み込んでただただ頷いた。気まぐれに撫でてやればとろけるような愛犬の顔に満足を覚えたレミリアは重たい扉を開け、図書館に向った。

 さぁ、パチェに解毒薬を貰わないと。
 なぜだか上機嫌で、レミリアは赤い赤い廊下を一人で進んでいった。

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